リクエストにおこたえして……
テレビ塔始末記

19990811


……と書いてみたもののどこから書き始めようかと迷ってしまう。
この猛暑の中、どうにも頭が回らない。
首が回らないのはいつものことであるが、頭も回らないのは困ったものである。
仕方がないので舌を回すことにしよう。
思いつくまでに、ダラダラ書いてみる。

日中テレビ塔の下で朗読をするという試みは、確かに挑戦的なことではあった。
が、しかし、妙にうまくいく確信はあった。
淡々とジャズをBGMに聴くでもなく、かといって無視されるでもないものを提供する----この試みは、意外とすんなり受け入れられたようだ。
(否、むしろ朗読をバックにジャズを聴くという方が正しいかも知れない)
朗読をしたのはプラトンの『クリトン』で、ソクラテスとクリトンの掛け合い漫才みたいなものだ。
明日は処刑されるかも知れないというソクラテスの前に、彼の友人であるクリトンが訪れて、彼に監獄から逃亡するように働きかける。
だが、”ひねくれ者”ソクラテスは、結局いつものパターンで、話題を自分のペースに持ち込み、長々と一人芝居をしてクリトンを煙にまき、何もせずに処刑を迎えるにいたるという、爆笑間違いなしのストーリーである。

プラトンの対話編を芝居として立ち上げたいという思いはかなり前からあって、何をどうしたものかと考えていた頃もあった。今回の朗読はそういう意味では、もしかすると何かの出発点になるかも知れないと思いつつ、それよりも気を入れて見に来たワケでもない人たちの前で朗読をするということにさらなる興味を抱くのであった。
芝居をストリートに持っていくのはある意味、難しい部分もあるかも知れないが、朗読ならばあるいは何か方法があるかも知れないとも思う。
ま、それはさておきテレビ塔である。
いったい、どんな反応があるかといえば、思っていた最悪の状態よりは遙かにましで、むしろ予想通りの展開となったことに関しては僕のカンの良さが光ったということか。
……なんてね。

7月31日(土)に1回、8月7日(土)・8日(日)に関しては1日2回というステージであった。時間はおよそ45分。これを僕と会田君で読むのである。しかし、主役はあくまでもソクラテスである。後半は20分くらいほぼしゃべりっぱなし。水分を補給する暇もありゃしない。しかも、野外の企画であるからマイクの使用は必須であった。マイクを通して、落ち着いて淡々と語る、これをバックにビールを飲み、つまみを食い、札幌の短い夏の一時を過ごしていただく予定だったのであり、8日の1回目までは何事もなく朗読は進んでいったのであった。
が、運命の2回目。
天気は晴天、気温は35度を超える暑さである。
人間だったら汗かいてビールでも飲んでりゃ気分は晴れる。
だが、やってられないのはPA機器である。
毎日のように暑い中酷使されて、正確無比にして頑張り屋のミキサーもプチッときたのであろう。我々が舞台に立つと同時に、ヒートアップ。そのまま帰らぬ人となってしまった。
舞台が終わった後で、悲しそうに逝ってしまったミキサー2台を見つめるPAのおじさんの「いや、いかれちゃったよ」というコトバ、そして優しくミキサーを見つめる眼は心にグッとくるものがあったことは言うまでもない。

さて、舞台に立った瞬間逝ってしまったミキサーはまぁ、それでも、よい。
残された遺族としての我々は、それでも舞台に立たねばならないのである。
復旧に30分ほどかかるとのこと。スケジュールをワケにもいかず、結局ノーマイクで朗読を開始することにする。
それでもラッキーであったのは屋外とはいえ、テレビ塔の下、吹き抜けてはいなかったことである。多少は反響もある。それならば、なんとかいけるかもしれないと、心に小さな不安を抱きつつ第一声を意気揚々と出してみる。
----こ、これはっ!----
しかしながら、僕の声は札幌のくせに暑い空気の中に拡散していくのであった。
瞬間、汗が出る。
長い45分を想像する。
次には芝居の稽古があることも思う。
淡々と語れない事実を確認する。
役者としての潔さを考える。
朗読の後のSAPPOROクラシックを思う。
気を入れて、声を出し、汗を流し、朗読を始める。
はじめ、ステージから降りてみるが、むしろステージ上の方が見せ物としても声の反響的にもよいことを感じ、ステージ最前列に立つ。
再びクラシックを思う。
そして、大学祭の実行委員長をしていた時を思い出す。
僕は、案外、アクシデントに遭うと楽しくなってくる人間なのかも知れない。
意味もなくアドレナリンを放出し、気分が高揚する。
そしてクラシック。
北海道限定の君のために僕は語ろう。
唯一のクリトン会田の長い朗読の中で、決意を決める。
声のペース配分を考えている余裕は瞬間的には訪れるが、考える余裕であって、実行の余裕ではない。
むしろいかに水分を補給し、聴いてもらえるように語るかが勝負だったのだ。
そうして問題の後半シーンへ。
この時点で僅かではあるが声が割れてきている。
だが、これまでのすべてを忘却する。
読む肉体になろうと思う。
ひ弱な肉体がこの朗読に堪えうるかどうかは終わってみなければ分からない。
いいのだ、それでも。
目は既にビールコーナーへ向かっていた。

最後の数分、ようやくマイクが復帰する。
おそらく、この時にはすでに限界状態であったろう。
声が割れないように押さえるも、押さえきれないシャウトの欲望が、理性を振り切ろうとしていたそのギリギリのラインであったのだ。
マイクに向かう僕の声は、おかしな色調を帯びていた。
汗にまみれた男は、ようやく本来の持ち場に戻るが、しかし、そのソクラテスは不測の事態により瀕死寸前であった。
----稽古でやられるな----
そう、確信したのであった。

こうして長かった45分は終了したのであった。
相変わらずの寂しい拍手。
それでも、少しは気持ちが入ったものであったかも知れない。
事実、我々が朗読をしている間、ずっと観ていてくれた人がいた。
クラシックの生は、焼けついたノドを心地よく刺激した。
これで、ジョッキが冷えていればテレビ塔万歳!間違いなしだったのだが。

このようなアクシデントにも関わらず、否、むしろこのようなアクシデントがあったおかげで、面白い経験はできたのである。
ギャラ分は読んだはずである。
我がソクラテス殿も草葉の陰からナナメに笑っているに違いない。

しかし、この日最も感動したのは、ステージの脇でキャンペーンを張っていた「ビックリマン2000」のおねーちゃんだ(完売おめでとう!)。
中のチョコレートが溶けないようにウチワを仰いでいる姿は、なかなかに心にくるものがあった。
きっと、何の役にも立ってなかっただろうけど。