L/W 雑記


20010131(水)

condition yellow なるも病院は無事通過。
入院は免れる、が、要注意であることには変わりがない。
精神的にはやや上昇傾向。
というか落ち着きつつあるという状況。
それはそれで重畳至極。
やはり病院では時間がかかり、予定を一つゴメンして、芸術の森へ。
芸森は、やはり遠かった。
で、いそいそと稽古場へ行ったところ、今日は作業日。
細かい作業をして帰宅……する前に、飲む場所その2にて遊んで帰る。
12時を過ぎたらなるべく自分の時間としよう。
明日のこともあるので、基本的には寝るばかりなのだけど、ちょっと余力があったら自分のために使おう。
せめてものなさけ。
明日から遊戯祭のゲネプロが始まる。
午前中は仕事をして、午後からコンカリーニョへ。
いよいよ、始まる。
作業は、終わらない。
「フーコーの振り子」もようやく正念場。
なんとか今週中には読み終えて、次の本に取りかかりたい。
稽古は明日休み、もしかすると意外とゆっくりと過ごせるかも、というのは淡い幻想。
自分ちからが少しずつ上昇しているような気がする。
その気をきちんと利用しよう。
大丈夫。僕は意外と元気です。
そんなこんなで、気が付くと明日から2月。


20010130(火)

分かっちゃいるけど、小康状態復帰を記念して飲む。
飲む場所はしばし2カ所に限定することにする。
それは、まぁ、ささいな進歩か。
たしたことないけど。

△について考えることが多い。
バーボンのボトルと、チェイサーのグラス、そして琥珀の液体と純粋な氷の入ったグラス。
この△の中には酔っ払いの夢がある。
これに灰皿などが入って□になるとかなり無粋なものになる。
△は神秘の形。
父と子と聖霊の△はその究極の形。
その中にはぽっかりと空虚がある。
あるいは絶対の曖昧がある。
キリスト教の神は△に3つのペルソナを配置することで、神の存在を曖昧なものにした。
唯一絶対の正体は3枚のタマネギの皮。
最終的究極的存在のあり方を曖昧にすることで、神を絶対的な存在までに押し上げたのだ。
定義不可能性。不可知性。
これが神を絶対的な存在とする。
唯一神の弱点はここにある。
唯一であるが故に定義しうるということ。
それを解消するのが父-子-聖霊の△なのだ。
不可知故に曖昧であるが故に絶対たりえる存在、それがキリスト教の神なのだ。
だからこそ、この△は揺るぎがない。
それを酒場で再確認したのであった。

あ、いいわけ。
そんなに飲んでませんよ。
最後に行ったときにボトルにほんのわずか残っていたのがなんか気持ち悪かったのです。
稽古終了後のクールダウンも兼ねて。

押井守は旧約聖書から脱出したが、僕はいまだにキリスト教から抜け出せない。
それは素材ではなく、生活だからかもしれない。


20010129(月)

とりあえず小康状態に。
活動可能領域への再突入。
少しずつ様子を見ながら活動を再開。
夕方には遊戯祭のミーティングへ出かける。
ややグロッキーになって帰還。
クールダウンの時間を雑記に費やすことにする。
CDを2枚購入。
病院へは単純な理由から行き損ねる。
これは今日の失敗。
次回は水曜日の午後。
仕事も水曜日には再開する予定。
しばらくは午前中だけとかの時間帯で働けると助かると思っている今日この頃。
気になることはアパートの前に放置されているとしか思えない車。
どんどん雪に埋まっていく。
すでに脱出不可能状態になっているんだけど、これでいいのかしら。
そういえば昨年、このアパートに引っ越してきたときも別の車が1台埋まっていた。
雪が溶けてもそのままだったのだけど、しばらくして消え去って、その後彼の姿を見たものは誰もいない。
そして発見。
心身共にボロボロの時は癒し系の音楽は通用しない。
むしろ、何もない方がいい。
照明も出来る限りくらい方がよい。
ただし、真っ暗はダメだ。
沈黙の中にうずくまっている孤独感が人を癒すこともある。
少しばかりアップ傾向。
波はいつもあるのだけど、まぁ、仕方がないさ。
脈絡のない話もいつものこと。
今までで一番音楽を聞いていたのはきっと浪人の時だと思う。
その時に聞いていて、今も聞いているのはクラッシュとソフィー・B・ホーキンスくらい。
明日もなんとか少しずつ復帰と回復へ向けて。
そして、長寿と繁栄を。
酒はしばらくは飲まない。
食事も制限。
どうしようもなくなったらちょっとだけ自分を甘やかすこと。


20010128(日)

このパターンは。
うーむ。
前回の入院パターンに似ている。
似たようなパターンは何度もあるのだけど、まさに前回の入院パターン。
嫌な感じ。
というわけで、腹痛と発熱は治まらず。
熱は結局朝方には引いて38度台に落ち着く。
でも、そこから下がらない。
今晩、どうなることやら。
後から考えると昨日の晩はすごく大変であった。
気付くと日本語じゃない言語をしゃべっているし、それも早口で。
これはなかなか出来る経験じゃないと、そう考えることにしよう。
腹痛のこともあるので、ヘタに解熱剤も使えないのだけど、今晩も同じような症状になったら使わざるを得ないであろう。
やばいよなぁ。ボロボロだ。


20010127(土)

予想通り、発熱。
痛みはきっとあるんだろうけど、朦朧としているのでよく分からない。
39.5度、とりあえず。
これで上限かも知れないし、そうではないのかもしれない。
ここまでくると、夢と現実が結構いい加減になってくる。
もう一つの世界では何かのシステムを作っていて、それの懸案事項が次から次へと押し寄せてきている。
それが何かの物理的な構築物ではなくて、なにやら精神共同体のようなそういう大きなシステム。
自分で書いていてよく分からない。
どうやら困ったことに、何か障害となる存在がある様子。
名前はなくて存在だけがウワサされているような何か。
侍のような格好をした人が数人周りにいる。
なんか、そういう世界にふと行ってしまう。
ふらふらと起きてまた、横になると同じ世界に戻っていく。
困ったことに前回の夢で問題が解決されていないとそのまま続きだったりして。
とにかく寝ているしかなくて、薬も一応飲んでいるけど、しばし回復は困難か。
発熱期間が終了するとやたら体がだるく、お腹がニヤニヤするという時期が長く続く。
over40度で、かなり警戒必要か。
と、思ったら、すんなりover40度。
寝ます。


20010126(金)

格闘中。
明日は主治医の出勤日ではないことを確認。
結局、病院へ行くのは月曜日になりそうだ。
とにかく長時間の活動は困難なので、一日の「これだけ」を決めて動かないといけない。
と、いうわけで本日は夜から稽古場へ。
それまではじっとしているしか仕方のない時間の過ごし方。
こんな時は頭も働かないし、何もすることができない。
ただ苛立ちだけがたまっていくのだけど、それも消化器には都合が悪いので、開き直るしかないのである。
何か口にいないといけない。
けれどもそれが水であれ、エレンタールであれ、固形物であれ、通過の痛みはあまり変わらない。
少なくとも痛みを感じなくてすむのは完全絶飲食なのだけど、それをしていると何も行動することが出来ない。
だからどこかでこの循環公式を破って「まともな」方向に持っていかないといけないのである。
かろうじて可能なのは読書かもしれない。

入院中はあまり痛い思いをしない。
ひどく痛くなって入院することはあっても、それ以上の痛みはないからだ。
むしろ病院で痛いときは結構精神的には悲惨だ。
自由が拘束されている分、本当に寝ているしかできないし、「痛ぇよぉ」なんて電話をすることもできないし、言い得ない孤独感がたまらなく悲惨に思えることがある。
勿論、ナースコールで痛み止めをもらうこともできるけど、それだけといえばそれだけ。
「病気」という現実といやおうなく向き合わねばならない。
それはそれで、しんどい。
一人の部屋で「痛ぇよぉ」とうめくのも、哀しいものがあるけど、それはそれでしんどいのだけど、それよりも病院のベッドで痛みに対峙するよりはいいような気がする。
まてよ、時と場合によりけりかもしれない。
うーん、前言撤回、病院よりは部屋で苦しんでいる方がましだ。
そちらの方がなにかの可能性があるからだ。

うまくいかないもんだ。


20010125(木)

確実に調子は悪くて、昨晩はずっと痛みと格闘していた。
大腸の狭窄部分もいやーな感じで主張していたし。
胃から十二指腸に関してはかなりの主張ぶりであった。
土曜日には病院に行かないといけないのだけど、確実に胃には潰瘍があるだろう。
胃液の逆流する感じもあったし。
とにかく、痛くて仕方がなく眠るところの騒ぎではない。
布団の中でうずくまるかわめくかしているだけ。
そういうときには痛みの中におかしな感覚というか、別世界を感じることもある。
それはそれでやばいのだけど。
とにかく、痛み止めの薬も今はないので、そしてあったとしても使うのをためらわれるので、ここはひたすらに我慢の子なのであった。
落ち着いたのは午前7時頃。
それで眠ったのだけど、感じとしては眠ったというよりも意識を失ったというニュアンスの方が的確だ。
胃から大腸にかけての一体がなにやら崩壊状態。
そういうときは何もしない何も飲まない何も食べない。
すなわち何も口にしないでじっとしているしかない。
なにかをしようとすると途端に動けなくなってしまうからだ。
今回の「波」はかつてないほどの大波であった・
今は何とかこうやってパソコンの前でカチャKチャやっているけど、おそらく今晩、もう少ししたら波は確実にやってくるだろうことが予想される。
これは戦いだ。
痛みに対して動揺してはいけない。
ただ落ち着いて痛みの出所を感じること。
そこに意識を集中して痛みの源の時間を止めてみること。
腹がひどくいたくなるようになったのはそれでもここ2年くらいのことだ。
それだけ無茶な生活をしているということも否定は出来ない。
その通りだからだ。
とにもかくにも夕方までは完全に絶飲食。
何一つ口にしないで横になり黙っているだけ。
テレビも付けないし、音楽も聞かないし、ましてやゲームもしないし、パソコンにも向かわない。
夕方、少しだけ落ち着いたところで、出かける。
本日は遊戯祭事務局ミーティング。
無理をしない程度に食事をとり栄養を補給。
それでも今食べるのはやや危険な感じがするけど、入院しているわけでもないので、ある程度は活動が出来なければならない。
エレンタールのみだと、どうしても力が入らない。
空腹感は満たされるし、確実にカロリーは補給しているのだけど、力にはならない感じがする。
これは20数年間生きてきたクセみたいなものなのだけど、本来ならばこれもクリアしなければならないことでもある。
しばらく仕事は休ませてもらうしかないだろう。
本当に申し訳ないのだけど。
そして、少しでも回復して遊戯祭関係の作業をしてしまおう。
精神力ではカバーしきれないこともあるのだ。
薬で一日を強制終了することもできるけど、それは本来の使い道ではないし、今はそれをしてはいけないような気がする。
明日はスタジオ運営委員会と芝居の稽古。
なんとか回復へ向かってメンテナンスを。


20010124(水)

何かを選択しないといけないんだけど、何を選択するか。
腹が痛い。
生活のことを考えると断然に仕事をするべきなのだが、遊戯祭も差し迫ってはいる。
後で大変なことにならないように今のうちに片付けておきたいこともある。
そういうわけで、優先順位としては遊戯祭なのだけど、どのみちはらいた。
嫌な感じ。
ビッグウェーブか、一過性のものかは一晩くらいたってみないと分からない。
少なくとも眠れないくらいの痛みともなれば、結構キテいるということにはなる。
それでも、少しの睡眠後、起きてみて大丈夫ということもあるのだけど。
精神的には徐々にアップしてゆく方向になりつつある矢先に、これである。
まぁ、いつものパターンといえばそうなのだけど。
つまり、
精神的にダウンしている>>いろいろとやってみる>>体のどこかに無理がかかる
>>それでも精神的にはアップ傾向>>でも、その時にはやられている
>>でもってやっぱりダウン
こういう経路になるのである。
循環しているのだけど、どう考えても健全ではない。
きっと、どこかでうまく何かを回避するためのチャンスとか方法とかあるはずなのだ。
とにかくそれを見つけないことにはこのロンドから抜け出すことは出来ない。

体調は良くないが、今日は午前中から作業。
午後からコンカリーニョへ行き、やはり作業。
遊戯祭のテクニカルのミーティングに参加し、「波」を感じる。
もう少しだけ作業をしたかったがさすがに断念。
現在に至る。
なかなかうまくはいかないものだ。
今日もそんなことを痛感しつつ、腹の調子を微妙に探りつつ。
焦りは禁物。
慎重に慎重に。
し、か、し、や、は、り、い、た、い、も、の、は、い、た、い、の、だ。


20010122(月)

忍び寄る恐怖、めくるめくロンド。
じんわりとビッグウェーブの予感。
危機感。
今、ビッグウェーブを迎えている場合じゃない。
必要なのは自愛の精神。
お腹の中では黄色信号チカチカなので、慎重に慎重に。

お昼を過ぎて病院へ、それから時間まで映画を観る。
押井守「AVALON」を観る。
サントラの入手は2月になってから。
えがったっす。
久しぶりにハレな気分で、次は芝居を観に劇場へ。
うーん、ハレの気分がしぼんでしまう。
ありゃありゃ。
そんな日もあるさと遊戯祭のミーティングへと向かう。

やばい感じは継続中。
明日も仕事を休ませてもらうことにする。
休むのは仕方がないけど、収入が心配な今日この頃。
なんとかせねば。
焦りが無茶を誘発することは昨年も同じ事を繰り返したから、少しは勉強するべきだ。
慎重にじっくりと無茶をせず。
案配が難しい病人稼業。
……別に病気で稼いでいるワケではないけど。
作業が飽和状態なのもあるので、やはり慎重に慎重に。
どこかで無理はかかるのだから、余計に気を使うべきなのであった。
休める時間は休んでおこう。
酒もタバコも控えめに。

人生バランス論者の僕としては、どこかに上がるタイミングがあると踏んでいるのだけど、これがなかなかなかなか。
時間をかけてクールダウン。
ようやく少し眠れる兆し。
まずは重畳。


20010121(日)

年が明けてからというもの、どうにもこうにもなんだかどうしようもないことばかりを書いている。
少しはバカなことを書かないといけません。
世迷い言の毎日。
ちょっとはシャキッとしましょう。
とか書きつつも、本日は体調すぐれず全ての予定をお休み。
次の1週間に備えるのでありました。
やはり1週間に1日は完全に何もしない日を作らないといけません。
やや、出血も確認。
微熱も確認。
これはお休みサインです。
明日には回復。
今日はとにかく寝るだけ。


20010120(土)

飲んでも酔えないときがある。
酔えないというよりも、頭がさえてくるというか、飲むたびに覚醒してくる感覚があるときがある。
しかし、確実に酔ってはいるのだけど、それでもそんなとき。
今は、そんな感じ。
どんなに酔っても何も変わらない。
事実に向き合うしかない。
だったら向き合えばいいだけのこと。
明日はミーティングと稽古。
そうして、また、長い1週間が始まる。
救いは、ない。


20010119(金)

なんだかなーと思う。
しかし、まぁ、なんだかの根本は自分にあることも知っているので誰にも何もできない。
ゆえに自分で解決しなさいということ。
証明終わり。
世の中、個人的な生活の部分も含めてだけど、何かとても悔しいことが多い。
何が悔しいかといちいち上げてはいられないし、その悔しさの源泉はやはり自分に返ってくるような気がする。
想像力だの妄想だの空想だの。
それらが人を苦しめる。
考えるのも考えものだ。

それはそうと、今年は新しい靴と新しいコート。
このコートがやたら重い。
着ている間はそうとも感じないのだけど、持つと重い。
これは体を鍛えろというサインなのかしら。
もっとも鍛える以前の問題だけど。

なかなか純粋になれないなーと思う。
これまた考えるということに不随しているのだけど。
いな、むしろ「よく」考えていないせいもあるだろうし、考えた結果はすでに決められたことである以上、実行するべきなのである。
結論はそういうこと。
分かっちゃいるけどやめられない。
頭を使うという行為は麻薬のようなところがある。
中毒症状にご注意。
へこんでばかりもいられないのでどこかで何かをしないといけませんです。
てなわけで、明日も仕事。


20010117(水)

宣言しても仕方がないけど、寒い。
寒いというだけで気力も失せてしまう。
仕事場から稽古場へ、そして家に戻るとかなりの冷えっぷり。
そうなると言いようもなく悲しくなる。
やれやれとため息をついても息は白く、お腹が減っている。
よっこらしょとコンビニへ飲み屋へ。
調子はどうにか回復。
昨日一日でクリアできたようだ、重畳重畳。
読書は移動時間だけの状況。
いつまでたっても「フーコーの振り子」。
あっちへいったりこっちへいったり、全然変わっていないようで、少しずつは確実に進んでいる。
この寒さのせいで家でのんびり読書気分にはさすがになれないのであった。
引っ越しも考慮にいれつつ、しかし、まずはもう少し住環境の向上をはかってみよう。
水曜日。
明日は仕事が休み。
そのスキにいくつか解決しておくことを解決すること。
稽古場にエネルギー源(ウィダーインゼリー)を忘れる。
以前はザバスというのがあってこっちの方がカロリーが高く、若干お腹にも優しかった。
いつのまにかウィダー一色になってしまったけど。
ウトウトはして、眠ることは眠るのだけど、熟睡が出来ないというのが正確なところ。
2時間くらいで目が覚めてしまう。
また、ウトウト。
少し寝て、目が覚める。
これの繰り返し。
そして、気が付くと出かける時間。
どっかできちんと眠れないと疲弊するのみなのは自分がよくわかっている。
何とかしよう。
朝、起きたら部屋は暖かく、ご飯がある。
そういう生活をしたいものだと、今朝思ったのであった。
ゼイタクか?


20010116(火)

朝起きたら調子が悪かった。
痛みはそれほどでもないのであるけど、なんというかやばい雰囲気。
トイレもいちごシロップ。
観念して仕事を休み、稽古までぎりぎり体調を整える。
時間が出来たから他の仕事をすればいいのだけど、とてもではないけど、動けない。
それでもどうにか稽古までには回復。
体がしんどいときに部屋に一人でいるのはさすがにこたえる。
今までの不眠を補うかのように少しは眠ることが出来たのがせめてもの幸い。
昨日は久しぶりに全力疾走をした。
もう、すごくすごく。
「ぐぅ」以来の全力疾走ぶりであった。
体力の低下を確認。
身体能力に関しては今までの遺産を食いつぶしているような感覚がある。
鍛え直さないといかんなぁとゼエゼエしながらこれまた確認。
腹の調子はそれでもましな方。
まずは少し休みながらも全力疾走なのである。
明日は仕事お休みの予定だったけど、今日の分があるので出勤し、そのあと稽古。
まだ、火曜日だと確認し、お休みなさいなのだ。


20010115(月)

うーん、そうか。
月曜日が終わっただけなのか。
異様に長く感じた今日一日。
別に何があるわけではないけど、それでも微妙に週末は待ち遠しい。
なぜか金曜日は楽しい気分のような。
まともに学校へ行っているわけでも、会社に勤めているわけでもないけど。
地下鉄やバスを移動していて、今日はこれだと書こうとしていたことがあったけど、きっと忘れている。
だとしたらその時の瞬間に浮かんだ感傷のようなものなのだろうから、無視。
いろいろと考えるのだけど、いろいろと考えていないときの方が人間は強いのだと思う。
強いというには語弊があるかも知れない。
没入のなんでもなさのような、それをある意味では「純粋な」瞬間だと思ったりもする。
ところで、昨年の年末くらいから個人的な日記を再開した。
止めてみたり再開してみたり日記の運命は過酷だ。
デジタルなデータになっているものはまだ残っているけど、ノートは買ったものの2日間くらいしか書いていないとき、もう、それはどこにもない。
そうかと思うと、引っ越しの際などにひょっこり浪人の時の日記が出てきたくらいにして。
なにやら若いのだけど、それでも今よりも偉いなぁと感慨もひとしお。
今回の再開した日記は、ただ書くだけの日記。
タイプの練習のように何も考えないで、ただ書く。
むしろ、打つ。
打つ楽しみだけの日記のようなものである。
論理はメチャクチャ、その日の出来事なんか何も書いていないこともある。
それを言えばこの雑記も同じで、結局ウェブでやってるか、自分だけの楽しみのためにやっているかの違いしかない。
いやいや、これとても書いているときは何も考えていない。
ほとんどクセのように書いている。
そんなんじゃエンターテナーじゃねぇやとも反省するのだけど、どこかに通り過ぎてしまうのがこの世の常。
流れ流れて。
眠るというよりも布団に潜り込むための通過儀礼のように打っている。
だからといって入眠儀礼でも何でもなくて、かえって最近は眠れないことが多い。
今日も疲れているはずなのに、午前3時。
明日は稽古。
通しだ。


20010114(日)

去年くらいから「早く嫁さんをもらえ」と言われるようになってきた。
親戚連中からもなのだけど、周囲の人からも。
確かに。
今の生活の様子を考えてみても、結構メチャクチャだ。
今現在やっていることや、やりたいことの影響もあるけど、「暇」という感覚がない。
最近になってようやくそのことへの危機意識が芽生えてきた。
余裕がないと何も自分の中に蓄積されない。
ひたすらにスポイルされていくだけだ。
だからといって嫁さんをもらうことでそれが解決されるのかどうかは分からないけど、少しは精神的生活に余裕が出来るかも知れないと思う。
とはいえ……こればかりは相手が必要なことですから、そうそう「くださいな」「はいよ」という訳にはいかないのだ。
去年くらいから精神的にも肉体的にも綱渡りな生活。よろめきながら、崩れながらも、まぁ、なんとかどうにか。
きっと今年も同じような感じで生きていくのでしょう。
いっぱいいっぱいな状態が継続されているから、もう何がどうかもちょっと分かりかねるのだけど、もう少ししたら少しは余裕が持てるようになるだろうと思う。
飯店の再開計画もぼんやりとアウトラインを描きながら。

きっと精神的にはいまだにクローン病という病気と付き合うことになった時点から解放されていないのだと思う。
今年に入ってからはまだひどい腹痛に見舞われることもなく、はらいた初めはないのだけど、ま、無茶苦茶やってりゃどっかでツケは回ってくるわけで、無理は禁物と言いたいところだけど、やらねばならぬこともある。
とすれば時間の使い方の問題だ。
充分な睡眠時間ときちんとダラダラできる時間を維持すること。
その上で、自分の目的に向かっていくこと。
優等生な解答なのだけど、結局のところそれが結論なのだ。
んー、睡眠のための時間は何とか確保したいのだけど、眠れないのはどうしようもないわな。
明日は仕事をし、家庭教師をし、それから遊戯祭のミーティングへ。
怒濤の1週間の始まりである。
気合いを入れるのはある意味簡単なのだけど、静かに静かに着々とというのは難しい。


20010113(土)

休日勤務。
カチャカチャと仕事をする。
そのまま、劇場を考える会へ。
どうにかこうにか。

明日は夜の稽古まではフリー。
遊戯祭のホームページの更新もしなければ。
慌ただしいけど、それもまたいいんじゃないでしょうか。
思ったよりは冷静だ。

夜中にちびりちびりとウィスキーをなめるかのごとく読んでいた「フーコーの振り子」がようやく下巻へ。
いつになったら読み終わるのやら。


20010112(金)

最近、知らないうちにパソコンの日付が進んでいる。
これが2001年問題かとか思いつつ、まぁ、とりあえず大きな実害がないので、いいかというところ。
それなりに働きつつ、稽古をしつつ、遊戯祭の準備をしつつ。
明日は劇場を考える会プロジェクトZOOの報告会。
いよいよ中島公園に劇場がオープンすることになった。
その話。
それでも昼間はお仕事だったりする。
遊戯祭直前は仕事が出来ないだろうから、今のうちに働いておかないと。

結局。
必要なのは強いとか弱いとか状況がどうだとかじゃなくて、何をなすべきか、何をなすべきではないかというところなのだ。
分かっちゃいるけどやめられない。
でも、分かっているんならやめるべきなのだ。
きっと、そういうことだ。
気合いの入れ方はいろいろ。
時々は手書きで何も考えずに書いてみることで、面白い決意が生まれることもある。
それはそれ。
不言実行は美徳だけど、なんだか他者には勿論、自分自身にも伝わらないような気がしてあまり乗り気にはなれない。
だったら書いておけ、言っておけという方針もいいのだろう。


20010109(火)

ぼんやり過ごしていたというほどぼんやりも過ごしていないのだが、
気が付くと1月も9日。
2001年第1弾の雑記も本来ならば気合いの入った宣言を述べてもいいくらいのところなのだが、バカヤロウそんな気分でもねぇや、なんて時だってあるのだ。
体調は悪くはない。
つくづく、僕は「間の悪い人間だ」と思う。
役者としては分からないけど、実生活ではそうだ。
でも、まぁ、芝居のことを考えると実生活で間の悪い方が面白い役者になれるのかも知れないとかとか思ってしまうけど、それでも、なぁ……とはしばしば思うこと。
結局、あちこち占い系のサイトを巡ってみたりして、小心者だったりもするのです。
思うようにはいかないもんだ。
でも、最後にはいい結果になるという確信もどこかにあって笑えるんだけれども。
それは若いということかもしれない、まだ子供だということかもしれない。
でも、この確信は何故か信頼してもいいと思っているのだ。
少なくとも今まではそうだったから。
酒だって飲みたくはなります。
寒いし。
そんな謹賀新年。
あまりめでたくもない21世紀の始まり。