L/W 雑記
2002年2月27日(水)
あれもこれもと少しずつ堆積しているものが気になってしまうけれども、致し方なし。無視するわけではないけれども許容量もあるから、とにかく毎日少しでも進めるようにするだけの話。
無理をするとかしないとか以前の話。
本当に1日1歩くらいのペース。
進めただけよしとするくらいの余裕が欲しいところである。
だいたいが毎日何かをしていること自体が結構頑張っているような、それくらいのもんなのだから、それ以上の何かを求めることは無茶というものだ。
そういうわけで午前中から目覚めて起きてはいるけれども、動き出すのは午後からだったり、夕方からだったり。生きているだけでもエネルギーを消費するんだなぁと実感する。割と、本当に、それくらいの弱々しさなのである。
「頑張るぞ」と思った時点で「しまった」と地団駄踏むくらいの怠け心が必要なのだ。
まぁ、もともとが相当に怠け者だという自覚はあるのだけど、それをより鮮明に実行するというかなんというか。頑張って怠けるのも、また間違っているのだけど。
「イノウエ」の台本も気にはなっているが、余裕はないし、今はもう少しダラダラ寝かせておこうと思う。おおざっぱにこんな感じのものというイメージはできあがりつつあるが、そのイメージ自体を言語化していない段階。
すでに何度か書き始めては中途で終わっている部分も含めて、3月中には一つの結果物を作ろうと決意だけはしている。
思いのほか、今Fact-ionalをしていることがよい刺激にもなっているし、こらからの作劇のスタンスの参考にはなっていると思う。作りたい雰囲気とか方向性とか(もっとも方向性なんて結果に過ぎないとも思うわけで)。
もしかするとやや体調悪めなのかもしれない。
そのせいもあるのか、この空気の重さは。
2002年2月26日(火)
予想はしていたけど、やはり夜なかなか眠れない。
それはさておき、これから家に戻って部屋を片づけなければならないことに気付く。
明日、ガスの点検に来るのだけど今のままでは人間の入る隙間というものがないので。
まさに「カオス」と呼んでも差し支えない我が部屋は、色々なものが堆積している。
何かきっかけがないとそれらの堆積物をなんとかしようという気が起きないというのも問題なのではあるけれど、とにもかくにも片づけなくちゃ。
で、1回片づけてしまうとそこで安心してしまうのか、再び新たな堆積が始まってしまうのが悩みどころ、というかダメなところなのだけれども。
今日は午後から動き出し(午前中はダラダラと読書)、友人の会社へ行き、新たな仕事をもらい、オギスタへ。
稽古をして家路に着くといったところ。
そういう意味ではそれほど変わりのない毎日でもある。
毎日が刺激的である必要はないし、それでは体も心ももたないのだけど、今年に入ってからのインプット不足はちょっとなんとかしたい。
入手する情報量の問題ではなくて、自分のフィールドから少しでもズレた視点からの刺激という意味において。
そういう意味ではグイン・サーガなんて読んでいる場合ではないのだけど、これはまた、儀式のようなものなので。
義務化のエネルギーから自らをどう解放していくのか。
今はそれが切実な問題だ。
2002年2月25日(月)
気が付くと週が明けている。
しばらく雑記を更新していないことに気付いた。
そうか、忘れていたのか。
毎日のように事務所に来てだらりとしていたのに雑記を更新することを失念していたらしい。
今日は病院で取材→オギスタコース。
稽古などの予定はないので、そのまま終了の予定。
体力はさほど回復しつつある実感はない。
一日せいぜい一つの何かができたらよしとするくらいの状況は変わらず。
そういう意味では無意識なのか、毎日何かの予定(複数)を入れることをしてしまっている自分に気付き「これじゃいかん」と反省。習慣とは恐ろしいものだと思う。ここ数年はとにかくスケジュールを埋めることを何かそれ自体が目的でもあるかのようにしていたような気がする。その無理がたたって今回の長期間の入院になったことはもはや明白な事実である。自分のペースを認識することが大切だ。
何かの意見に同感なんだけど、それをうまく自分のコトバで表現できないもどかしさを味わっている。「分かる分かる、つまり……」の後が続かない。それは分かっていないせいなのかもしれないし、ボキャブラリーの問題なのかもしれないし。しかし、考えてみると前者かもしれないわけで。つまり、分かっているフリをすることで会話を継続し盛り上がることをよしとし、それを目的とするという本末転倒な思考法。そうすることで新たな発見があったり、人間関係が円滑になることもあるのだろうけど、果たしてそれでいいのかどうか。
一方で「真に分かる」ということへの絶望感のようなものもあり。あるいは拒絶感なのかもしれないけど。そもそも自分自身のことを真に理解しているのかどうかすら怪しいものだし。理解し得ぬからこそ、ゆえに毎日の生活の中に起伏があるからこそ、実感のある生き方ができるのかもしれないし。
分かってしまうことのつまらなさというか。しかし、分かりたいという欲望というか。
なんて考えていると、ふと現実感のようなものから離れていってしまう感覚。
2002年2月22日(金)
結局、忘れている。書きたいことなんて実にいい加減なものだ。
本当に思い出せないから笑うに笑えない。
朝から体調もそれほど思わしくなく、じっとしている。
事務所に少々用事があり立ち寄る。
でもって、適当に時間を過ごして帰るだけ。
今日は特に外のカンパニーの使用はないし。
本日〆切の仕事は明日までに延長してもらい、しばしのお休み状態。
あぁ、書きたかったことを思い出した。
が、長くなりそうだし、何かそれでまとまったものでもなさそうなのでやめにする。
本日はこれにて終了。
週末は思いの他ひっそりとしたオギスタである。
2002年2月21日(木)
Fact-ional日記にも書いたのだが、今日の稽古は実りのあるものであった。もっとも毎回そうであるように心がけるのは当然なのだけど、思いもせず「よしよし」という日があるのも確かな話。
うまく表現はできないのだが今日の稽古時間は結果的に豊かな時間となった。
個々の内容ではなくて、全体的な成果として。
これはつまり参加者一人一人のポテンシャルの問題だ。
結局、集団でものを創るという作業はかけ算なのだということの再認識。
一人でもゼロもしくはマイナスがあれば、いくら1億のポテンシャルの人間がいてもすべてゼロもしくはとんでもないマイナスになる危険性を常に秘めているのが集団創作の現場なのだと思う。
つまり今日の稽古はエチュードこそしなかったし、芝居の中身の話も少ししかしなかったけど充実した稽古であったのだ。勿論、「もっともっと」という欲求は常にある。それでいいのだ。
明日締め切りの仕事は本日は手つかず。ほぼ終わっているのだけど、細かい部分の修正やらが残っている。
必ずしも体調が良いわけではない、というか、やはり自分が思っている以上に(むしろ以下か)一日の行動量は制限されていると痛感する。
午前中からお昼過ぎまでは病院。2週間ぶりの採血は微妙に陽性。外来では今までもよくあるパターンなんだけど、これを陰性のままキープすることがなかなかできない。否、できないわけではないだろうが、そうすると何も身動きがとれなくなってしまうということなのだ。今の行動量の半分以下で、後はおとなしくしているくらいなのだろうと思う。それでは芝居などできない。
無理は禁物だが、もう少し行動量を増やせないものだろうか。
いやいや、それはそれで「偽前向き」思考じゃないか。ここはなんとか陰性キープを目指しつつ、自分がすべきことやりたいことをギリギリで探る方がむしろ「前向き」と呼べるのではないだろうか。
時間軸が逆の記述になってしまった。
自分で今日は話していて気が付いたというか納得したことなんだけど、語彙が増えたり、コトバが出てくる時って、自分の興味のあるジャンルから少しずれたところにあるものを読んだり見たりしている時らしい。脳味噌がその分刺激されているということなのだろうけど。
まだ書きたいこともあるのだけど、タイムアップ。
今日はここまで。
明日には忘れている可能性大。
……って書くと思いだそうとするのだろうから、それはそれで。
2002年2月20日(水)
3歩進んで2歩下がるというか、今日中に終わらせてしまおうとしていた仕事を断念。明日に持ち越しとなる。根を詰めそうになったら、まずは一歩引いてみる。緊張しそうだったら、まずはだらけてみる。ここら辺のバランス感覚が必要なのだ。
適度な負荷はリハビリに効果的ではあるが、それ以上無理をする必要はないということだ。
それよりは毎日コンスタントにリハビリを続けることの方が大切なのだ。
「大丈夫そうだ」という妙な過信が後々響いてこないように。
というわけで、本日は夕方近くに事務所入り。
少々仕事をして疲労を感じたところでこちらは終了し、しばしだらける。
読書少々。
読みたい本も常に持ち歩いているのだが、久しぶりに再読中は「グイン・サーガ」@栗本薫。
まぁ、好き嫌いがはっきり分かれる人だなぁという印象。
再読中といっても80何巻まで出ているので、いったいいつ読み終わることか。
全部終わってしまってからもう一度最初からとは思っていたのだけど、2年に1回くらいはこのイベントしておきたいところ。
そもそもグイン・サーガは小説というよりも漫画の単行本に近い感覚。
出版の間隔も2ヶ月に1冊だったりするし。
とにかく本が売れないご時世でこれだけのペースで刊行され、しかも売れている(まぁ、こうなったら惰性だけど、良くも悪くも)本もないだろう。
だいたい1日1冊読んだって3ヶ月近くかかってしまうんだから。下手したらその間に2冊くらい増えていたりするのだからたいしたものだ、というか化け物というか。
来年は坂口安吾全集だろうと今からの予測。
Fact-ionalはようやくスタート地点にたどり着いたなという感想。
ひとまず支えとなる小さな一点が見えたというか。これを基点に次は3月1日のシンポジウムあたりに向けて一つの区切りとしたい。
久しぶりに演出をしていてようやく演出をしている自分に慣れてきたというのもあるのかもしれない。そもそも入院で創作の現場から離れていたこともあり、ここしばらくはその感覚を取り戻すための期間でもあったのだ。未だしっかりと地に足の着いた感触はないけれども、かろうじてつま先くらいは着いているような状態。これもまた一つの小さな基点なのだ。
Fact-ionalが終われば、いよいよイノウエの稽古も始まることだし、それ以降の予定もそろそろ考えないことには宙ぶらりんになってしまう。
相変わらず回り道が多いのだけど、このペースは悪くないと思う。
2002年2月19日(火)
やはり、よく分からない。
「テロとの戦い」というフレーズといい、その中身といい。
何もかもを「テロ」という一言でいっしょくたにしてしまうことといい。
勿論、テロ行為を容認するものではないが、「テロとの戦い」は必ずしも武力行使だけではないはずだ。
ブッシュが「あんたらも確かに悪いが、俺たちもかなり悪かったゴメン」なんて言ったら多少はテロも減ったりするんじゃねぇのなんて思うんだけど。
取り締まるだけがお巡りさんの仕事じゃないと思うんだけどね、世界の警察さんよ。
必要なのは「テロとの戦い」ではなくて「テロを引き起こしてしまう状況への戦い」ではないだろうか。今回の侵攻をきっかけにアメリカの国防予算が15%アップした。いったいこれで儲けているのは誰なのか。その儲けた金はどこに使われるのだろうか。
肉親を友人を殺された人が、殺した人に対して何も感情を抱かないということはありえない。
それはアメリカ国民であっても、アフガンの人々であっても。
この感情は国防予算15%アップでは解決されることはない。
父ブッシュの湾岸戦争といい、子ブッシュのアフガン侵攻といい、ブッシュ親子には武力行使がつきまとっている。まるで漫画じゃないか。
まぁ、「テロとの戦い」で躍起になって自衛隊を派遣したがってしまう日本の首相もかなり漫画なんだけど。Dr.スランプのマシリトを想像しているのは僕だけではないはず。じゃあ、自衛隊はキャラメルマンか。
ところでオウムの事件があったときの日本という国の反応はどうだったのだろうか。
海外のニュースでは「テロ」と言うコトバが明確に示されていたけど、ついぞ日本のマスコミのニュースでは「テロ」というコトバが大きく出ることはなかった。多少はあったけれど、それが大きく扱われることはなかった。
変な宗教団体がとんでもない事件を引き起こした。
これが一般的なオウム事件への反応であったように思われる。
オウムという集団は変な教団ではあっても、テロ集団として明確に認識されることはなかったのだ。「何をやらかすか分からない変な人たち」でしかなかった。
これをもって「平和ぼけニッポン」と論ずることも出来るし、そう論じていた人もいた。なぜか、そのときのことを思い出す。
それはそれでどうかとも思うのだ。
そしてそういう国が「テロとの戦い」をしようというのもどうなのだ?
そういえば今回のアフガン侵攻ではエバタ氏の登場が少なかったなぁと。
NHKを見ていたときに出演していて、相変わらず淡々と(そしてあられもなく)武器の解説をしていたのが印象的であったが、その後NHKに出ているエバタ氏を見ていない。
「このなんちゃらというミサイルはとにかくすごくて、うんちゃらかんちゃらたくさん人が死にます」
ある意味、この人とんでもなく達観しているのか、単純に何かが麻痺しているのか、ただのマニアなのか、謎は深まるばかり。とりあえずかなりのキャラではあるけれど。
そのエバタ氏、普段どんな生活をしているのだろうか、かなり興味がわく。
あのベレー帽のような髪型は健在だったが、湾岸戦争当時に比べベレー率が低下してしまったのには時の移り変わりを感じてしまったものだが。
我々は結構とんでもない時代に生きているのかもしれないが、それはいつの時代であってもやはりその時代に生きている人にとってはとんでもない時代であったのだ。
生きているということそのもののとんでもなさもそこには含まれている。
2002年2月18日(月)
Fact-ional日記を書き始めて、こちらとあちらとどちらを先に書くか考えてしまう。
結論としてはこちらがどうしても後で、あちらで書き足りない部分とかあちらでは書きにくい部分がこちらに流れてくる仕組みとなるのだ。
だから例えば「それでもやはり現代社会と現代演劇云々はよく分からない」といえば、やはりその通りで、これはユニット内でなんだかんだと話を進め、稽古を進めることでもあるけれども、結局、何かを表現しようとしたら行きあたるところでもあって、この企画に関わらず常につきまとう問題でもあるのだ。
そう、だから、「現代社会に潜むゆがんだうんちゃらをなんちゃらして」なんて肩肘を張る必要も勿論ないわけで、むしろ冷静にじっと我々が生きている「今」を見て、その「今」を生きる人間を描こうとあがいてみるのがいいのだろう。
演劇のできることなんてその程度なんだけど、その「その程度」が人の人生を変えることもあるのだと思うとなまなかに「その程度」と呼んでしまうのも、あれだな、悪いな。
まぁ、なんだろ。
不幸なメディアでもあるし、贅沢なメディアでもあるよな、演劇って奴は。
だからでもないが、それだけの時間と手間暇をかけるんだから「ましなもん」を作らにゃあかんなと気持ちを引き締める次第でもあって。
ありゃりゃ、これではFact-ional日記の続きじゃないか。
あちらで書くべきことはあちらで書いてしまうはずであった。
しかし、逆はありえないだろう。
結論としては「やりたいことをやる」で十分で、それがすべての出発点なのだ。で、答えもその中にあるのだと思うし、そう信じていなければ何も発信できないことになってしまう。
「私」が今生きているということそのものが作品の出発点なのだということ。
それは「俺が、俺が」という無邪気な自己主張ではありえない。
まぁ、しかし、それだけでは寂しいので多少は理屈をこねる必要もあるから、ちょいと面倒というか何というか。
人間そのものは変わらない。
ただ、それをとりまく状況が刻々と変化し続けているだけで。
そしてこの変わらないはずの人間が目下のところ最大の謎でもあって。
今日は日中稽古、夕方から夜にかけてはお仕事な日々。
それなりに動いてはいるわけだ。
明日は逆パターン。
お仕事は金曜日までにすませて、イノウエとやらにもとりかかり直さねば。
と「しなければいけない」を増やさないことも大切。
2002年2月17日(日)
唐突にリニューアルを思いつくが、意志のみでプランまでは進まず、結局そのままとする。
しかしまぁ、ただのテキスト打ち文章のみというスタイルも、もう少し見やすいものを考えてもよいだろうとは思う。
思いつくままにネットをぶらぶら。
やはり風邪症状だったのかもしれない。くしゃみや鼻水などは落ち着いた様子。イライラ感は体調の善し悪しに関わらず時々発作的に起こるものだから、とりあえず無視。大変になるときは大変になるのだから、それはその時に考えればよいこと。
一瞬、「あれ、元気かな」という感覚にだまされないようにしないといけない。そうではなくてもまだ退院して10日もたっていないのだ。それだけでも体力ない上に、3ヶ月強におよぶ入院でスタミナ面はびっくりするくらい衰えている。なにせ事務所に1日いるだけでも重労働なのだから、これでは何もできないに等しい。世の中のほぼ全ての人が素晴らしいエネルギーの持ち主に見えてしまう。瞬発力・持久力・集中力すべてダウンダウンダウン。
というわけで思っていることの半分も進まないのだなぁ、と痛感しつつ、行動予定を縮小しなきゃと思案する。「今の自分にはここまでできる」という指標が相変わらずないから、微妙な負荷をかけつつ、それ以上は進まないというのが当面の行動方針。
このまま今の仕事を続けるかどうかも視野に入れつつ。収入云々よりも可能かどうかという側面で。
とにもかくにも今はFact-ionalとイノウエに集中しよう。
2002年2月16日(土)
風邪だか、アレルギーだか分からないが、ここ2、3日不調。
異様に目が疲れている感覚と、頭痛と、疲労感と、それに続き吐き気少々といったところ。
症状が落ち着くと今度はイライラしてくる。
とにもかくにもどうにも落ち着かない。
考えをまとめたり、何かを書くこともできない。
のだけど、無理矢理、雑記書いてみたり。
今、気が付いたが、何にせよ症状が安定しているときと、今のように訳の分からない時とでは、ワンセンテンスの長さが違うようだ。
深呼吸をしてみたり、伸びをしてみたり、ウロウロしてみたりするのだけど、まるで効果がないようなので、諦めて何もしないことにする。
昨晩は久しぶりに「睡眠感」を味わったので、体調はそれでも、まぁ、ましなほうか。
その前までの数日はちょっと変な感じ。
寝ていると自分が喋っている声で目が覚めてしまう。
5分の1くらい意識的に口に出している音なんだけど、何を喋っているのかいっこうに分からない。
アクセントはイタリア語に近いような気もする。
とにかく異様に早口。
ものすごく肩の凝った感覚。
体調も良くない。
けれども、微妙に面白い。
マネをしようとしてみるけど、できないあたりとか。
まだ、退院して1週間なのだった。
慣れてくるとすぐにでも調子に乗りそうなので、ここは自重して自重して。
2002年2月13日(水)
稽古再開。詳細はFact-ional日記参照のこと。
って他に話題らしきものはなくて、スタジオ2では遊劇社が、劇場ではTPSが稽古をしている。
まぁ、公演があるという意味での稼働率はかなーり低いオギスタではあるけど、ほぼ毎日誰かが来て稽古をしている。
必ずしも状況としていいわけではないけど(つまり経営的に)、しかし、とにかく使われているという側面においてはいいわけだ。
場所があって何の用途もないのでは話にならないわけだから。
これが最終的に経営につながってくれば文句はないのかもしれないけど。
まぁ、現場の人間としてはかなり呑気な発言ではあるが。
さすがに稽古をするとかなりスタミナ消費。
もっとも見ていて、笑って、ちょいとコメントしているくらいなんだけど、なかなかどうにも。
あ、あれだなFact-ionalダークサイドにならないようにしよう、ここは。
とにかくFact-ionalは30分という時間との戦いになりそうな予感。
いい加減に新しい手帳を買わなければと本日思う。
2002年2月12日(火)
オギスタは本日特に予定はなかったが、リハビリついでに立ち寄りメールチェックなど。
全体的にあちこちが乾燥しているのだろうか、ノドの調子が悪い。
この流れで風邪など引くわけにはいかないので、とりあえず黙っている。
寒さに2月らしさが戻ってきて部屋が寒いせいかもしれない。
家ではぼんやりとしていたり、本を読んだり、洗濯をしたり。
外出などすると疲れてしまうのは相変わらず。
少しずつ「外界」に慣れてはきているけど、一気に元に戻ることはまずない。
とはいえ、遊戯祭も終了し、稽古も再開することだし、仕事も少しずつではあるけど再開していくことだし、何にせよ金がない、時間は多少あるけど、それは体を休めている時間というわけで。
ハタから見るとただ何もしていないだけにしか見られないんだけど、その何もしていない時間や状態が今の僕の仕事のような部分ではある。
食事に関しては、まぁ、マジメに守っている方ではないだろうか、今回は、今のところ。
というか、あまり強烈な「食いたい欲」がないせいかもしれない。
時間さえあればエレンタール飲むことの方が楽だということもある。
それにおそらくそれほど量を食えないということもある。
家には3ヶ月は籠城出来るくらいのエレンタールがあるわけで、食いたい欲求さえなくて、エレンタールを飲む時間さえあれば、むしろそちらを選択するというだけの話でもあるのだけど。
しかし、時々は悪さをしておく必要も感じるのである。
これは医学的な部分でエレンタールを飲んでいれば基本的に必要な栄養素は摂取できるのだが、コレステロールと微量元素はどうしても足りなくなってくる。
特に油脂はエレンには含まれていないので、マジメにマジメにエレンのみ生活をしているとコレステロール値はどんどん下がる一方。
実際、一時期通常の半分くらいしかなかったという時もある。この時はさすがにフラフラしていた。
で、食うことで補おうとすると危険きわまりないので、点滴で補うこととなる。
微量元素は例えば亜鉛とかなんだが、ここら辺が不足すると口角炎とかになるので、「あぁ、最近ちょっとマジメすぎかも」なんて、ウドン食ったりしてみたりするわけだ。
何にせよつまりは時間的な余裕なのかもしれない。
忙しいとエレンタールを飲む時間が面倒くさくなってしまう。これが良くないと知りつつも安易な方法を選んでしまうのだ。
食ってないと何となく力が入らない気分になるし。
これは要するに胃の中に何かが入っている感覚なのだ。
別にエレンだろうとIVHだろうと栄養素自体はいくらでも補給できる。
しかし、何か活動しようというときの踏ん張りは案外、カロリーではなくて、「お腹の中に何か入っている感覚」に過ぎないのだ。でも、この感覚が踏ん張りを保証しているのだろう。
時々「あんた、食べて元気出さないと」なんて言われるんだけど、微妙だよなぁ、これは。
食べられないんじゃなくて、食べちゃいけないだけなんだから。
そんでもって食べて元気になる病気って、比較的短期間で簡単に直る病気には当てはまることが多くても、長期間の内臓系の病気にはあまり当てはまらないことが多い。
糖尿やら肝臓やら、とにかく内科系の病気には食事制限は付きもの。
自分で入院していて感じるのだけど、内臓系の患者さんへのお見舞いってなかなか難しいと思うのだ。
食べ物は、その人はOKでも同じ病室の人のこと考えると躊躇するし、最近はお花も難しい。花粉だ何だと、病室にお花飾らせない病院もあるくらいだから。
本とかも、その人の好みとかわからないとどうにもならないし、そういう意味では何もいらないんだと思うのだ。人が来て、何気ない話をして、多分、その辺が無難なお見舞いなのだろう。
2002年2月11日(月)
飯店サイトでFact-ional日記なんてもんを始めてしまった。
きっと「イノウエ日記」も始めることだろう。
今までは「日記もの」ってあまり興味はなくて、というか読むのが面倒くさくて、自分でこれだけダラダラ書いておきながら、人様のウェブの日記は敬遠していたのだが、最近、ちょっと面白い。
別に面白いサイトを見つけたというわけではないのだけど、単純に「あぁ、いろいろな人がいるなぁ」とぼんやり眺められるからなのだろう。
これまた単純な話で、ぼんやりしている時間を多くしようとしているせいでもある。
昨日は遊戯祭に顔を出し、1本だけ芝居を観た。
少しだけうろうろして、それで限界。スタミナ切れ。
まぁ、こんなもんだろうと(芝居の中身じゃなくて、スタミナね)家路につく。
書くことが分散されると書かれる分量が減るかというと、多分、そうじゃないんだろうなと。
何だろう、今はとにかく書いてやれという時期なのかもしれない。
ちなみに「イノウエ」は3分の1まで書いて、振り出しに戻る。
……あ、そうでもないか。
多少は分量が減るのかもしれない。
2002年2月9日(土)
退院はしても、身体の使い道というところでは極力入院レベル+αくらいの生活。
まぁ、無理をしようとしても無理できないので、それ以上は望むべくもないのだが。
もはや「焦っても仕方がない」というよりは「焦りようがない」くらいの体力というのも情けない話だが、事実でもある。
しかし、「慣れ」というか「環境適応」というか、これも2、3日もすれば、また少しは活動範囲が広がったり、活動可能時間が長くなったりはするのだろう。
とにもかくにも今、というかしばらくの目標は「疲れない」である。
疲れて眠りにつくのは非常に楽チンで、今まではそうやってきたのだけど、そんなことをする体力すらない現在では、また年末の繰り返しになってしまう。
もっとも、年末再入院劇は別の要因だったのだけど、果たしてそれだけかどうかは未だに不明。
とにかく退院直後が実は一番危ないので、何事も慎重に。
そんなわけだから、家では何もしていないし、事務所に来てもぼんやりしているだけ。
本を読もうにも、今日は夕方過ぎるまで眼底あたりの調子が悪く、本当に何もしないまま一日が過ぎようとしている。
それはそれで苦痛なのだが、だからといって何かをしようにも何もできない状態。
「イノウエ」の予算を少々いじってみたりする。
予算、特に収入の面はかなりが机上の空論である。
活動を1年以上休んでいる劇団の再開公演とはいえ、一体どれくらいのお客さんに来て頂けるか正直、わかったものではない。
もっとも「赤字だしてでもやったるぜ」という気概もある程度は必要だし、さらには「自分たちのやりたいことをしているのだから赤字とかそういうのは関係ないじゃん」という声もないわけではない。
しかし、まぁ、何より「観ていただいてナンボ」の世界でもあって、これを継続することに意味やら意義やらがあって、何より「いいもん」である必要もあって、どれも欠かすことができない。
そこで勝負のしどころ。
いいラインで予算を組む。
結論はそれしかないのだけど。
2002年2月8日(金)
それなりに睡眠時間はとっているのだけど、微妙に眠く、午前中は惰眠をむさぼり、午後に退院。
家に戻るもちまちまと片づけをしつつ、全然片付かないので、適当に休んだり、少しだけ読書をしたり、ぼんやりして過ごし、夕方からオギスタへ。
特に仕事があるわけではないけど、メールを確認したり、雑記書いたり、まぁ、何もしていないに等しいのだけど。
退院してOKというよりはむしろこれからが問題なわけで。
果たして今の体力やら免疫力でどれくらいならできるのかできないのかの見極めが必要であろう。
何せ年々体力は落ちているし、入院のたびに新たな症状やらなにやらが見つかるしで、例えばクローンなりたての5年前とは比べるべくもない。
毎回入院の度毎に勲章が増えているようなものだ。ありがたくはないのだけど。
まぁ、内科の病気の場合、たいていがそんなもんだ。
ある病気なる、薬を使う、薬の副作用で別の症状が出る。
だいたいがこれの繰り返しなのだ。
たいていはどこかでストップするんだけど、それは年齢によるところも大きいのかもしれない。
まぁ、3連鎖、4連鎖しているうちに寿命になるといいますか……
40代、50代はまだまだ若手。
あたしなんざひよっこでさぁ。