L/W 雑記


2002年3月11日(月)21:19

「イノウエ」を書く前に「ベンチベンチベンチ」があった。
今日、明日に書けて、とりあえずベースとなる脚本を書いてしまうつもり。あとは修正しつつ削除しつつ付け足しつつ稽古をしつつ最終的な上演台本(になるかどうかはわからないけど)にしていく予定。
オギスタ引継もそろそろあるようだし、だいたい持ち込んでいるパソコンだの道具だのも持って帰らないといけないし、その他色々と整理をすることもあったりなかったりするようなそうでもないような今日この頃で、案外忙しいのかもしれない。
しかし、締め切りは締め切りなので、なんとか稽古初日には「イノウエ」第1稿(実際には第3稿くらいなんだけど)を渡せるようにしたい。ま、早ければいいというものでもないけど。
ノートを開いてみたらびっくり。Fact-ionalの稽古予定みたいなものを入院中に書いていたんだけど、ほぼその通りに進んでいる。まぁ、確かにそれだけの分量をこなしているし、余裕をもって計画していたからでもあるんだけど、なかなかよいことじゃないか。温水にせよ、弦巻君にせよ、城さんにせよ、毎回結果を出している。それが当たり前の稽古場であるということを嬉しく思うだけなのだ。
しかし、あと2、3日は最後の悩む場面かもしれない。これを乗り切れば本番まで一直線……だといいな。
あとは己の精神状態をなんとかするだけか。


2002年3月10日(日)18:06

気が付くと3月も10日。早いって、一日。
グイン・サーガは45巻まで進むも、一時休戦し、指輪物語に取りかかることとする。
はりぽたはなんだかんだと結局食指が動かなかったが、指輪は少しやる気。
しかし、あまりダラダラしていられないのも事実で、Fact-ional終了すればイノウエ稽古開始。つまり脚本の締め切り。なかなか腰が重い。しかし、そろそろ本格的にこちらも再スタートせねば、さすがに、これでは。
キャストは昨日で全員の顔を見ることが出来たので、イメージがようやく固まりそう。いずれ、イノウエの状況は飯店ホームページで日記を開始することとして、昨日、ようやく客演の牧さんに会う。面白そうな子。演技は見たことがないから何とも言えないが、まぁ、それはそれで稽古が始まればいやでも直面すること。そういう意味では、桃代もふるさとも似たような条件と言うこともできるわけで。温水がFact-ionalに参加したことで、一気に全員お久しぶりもしくは初顔合わせとならずに済んだ。
とにかく集中しよう。イノウエとFact-ional。なにせ、後者はあと10日で初日。進捗考えると多少の余裕があるけれども、この余裕がくせ者と心得るべし。
まずは中途でやめた前回バージョンを読み返してみることとしよう。
かなり、あれはイノウエ最終版に近い形ではあったから。


2002年3月9日(土)18:13

「鬱」というよりも「不機嫌」だったり「ふさぎ込んでいる」だったり「無気力」だったりする今日この頃。
何もする気がしないと書いてしまうのは簡単だけど、実際問題としてそれではうまくないわけで、ある程度の何かをクリアするなりしなくてはならない。けれども、体が反応しないというか、いやはや、いいわけだべやと言ってしまえばそれまでかもしれないけど、そうでもないのかもしれないとかとか。
……書けん。終了。


2002年3月8日(金)17:11

別に書きたくないわけでも忙しいわけでもなかったのだけど、少し間が開いた。その間にも毎日はそれほど変わりなく過ぎてゆき、一方で何かが変わってゆく。
相変わらず油断をすると「少しでも何かをしよう」という動きをみせてしまうので、今はとにかくそれを抑制するためにエネルギーを使っているというところ。かなり娑婆の生活には慣れてきているけれども、2、3日ちょっとでも頑張ってしまうと、どっと疲れのようなものに襲われて、夕方までだるくてたまらず、布団から動けなくなってしまう。やや鬱のような感じなのかもしれないけれど、体力面の部分も大きいだろう。でもって、頭もぼんやりとしていて、昨日通院の日だと思って病院に行ったら、予約はその前日で、主治医もいないから、結局次回は月曜日の午後になってみたりして。踏んだり蹴ったりほどではないけど、なんとなくあらゆることがスムーズに動いていない苛立ちのようなものに襲われたり。
そういう意味では稽古をしている間が、今のところの救いなのかもしれない。楽、というのとも少し違うけれども、「何かをしている」という実感の問題なのかもしれない。「何かをしている」という実感で時間を埋めているだけなのだと言われてしまえば、それだけなのかもしれないけれど。
例えば、ほんの些細なことが面倒くさくて何もしたくなくなってしまう。この雑記をアップする作業なんてものの数分なのに、それだけの作業が面倒くさくてどうしようもない。したくない、というのとも少し違う。そこに「やらなくちゃ」という意識が生まれてしまうことがどうしようもなく嫌なだけで、だったらしなくてもいいやなんて思ってしまうのだ。まぁ、それで通してしまうところが、ダメなんだけど。それで頑張ってしまった結果が、昨年秋からの入院生活だと思うと、「よっしゃ」と腰を上げる気持ちにもならないというものだ。
病気そのものとの付き合いなんて、慣れてしまえばルーティンなだけで、何のことはないのだけど、それを取り囲む社会生活という面にはなかなかなじむことができない。
3月いっぱいでオギスタを辞めることとなった。まぁ、内部的な事情も知らないわけではないからアレではある。


2002年3月5日(火)16:42

健康で何事もなく、日々つつがなく生活していくというのは、とても難しいことだと痛感する。むしろ、そういう生活のあり方は一種の理想であり、ファンタジーですらある。
母方の親族はほぼ女兄弟のようなものであったから、結束力というかネットワークが保たれていることもあり、現在も行き来がさかんだ。だから色々な話が耳に入ってくる。誰それの叔母が入院したとか、従兄弟がまた入院するとか、別の従姉妹の旦那がまた手術だとか、そういう話をいろいろ。いいこともあれば悪いこともある。年をとれば病気の一つや二つは当たり前。それでも毎日は過ぎてゆき、変わるものは変わり、変わらぬものは変わりない。平凡とは一種の理想郷であり概念に過ぎないのだ。それを忘れると「大衆」などというコトバに揺り動かされ、そのことにすら気が付かなくなってしまう。
ムネオは確かにあくどい奴だと思う。一方で妙に憎めない所もある。いかにもたたき上げの「政治屋」というコトバが服を着て歩いているような彼ではある。ムネオの圧力は確かにあったに違いない。それを正当化するつもりはないし、やぁひどいもんだとも思うけれども、その意向をくんでしまうお役所はどうよ。
圧力があったけど、結局そういうことにはなりませんでした。悪い政治家はいるけれどきちんと役人は頑張ってるぜ、というのなら今の流れは理解できるけど、そういうことでもないわけで、圧力かけられてうやむやの力関係で、結局それが通ってしまうということは、一方で通してしまう人間なり組織が歴然と存在するということに他ならないわけで、どうもそこら辺へのつっこみがいまいち見えてこない昨今の報道。ムネオが可哀想だとは思わないけれど、知りたいのは全貌であり、事実であり、誰が誰に何をしてその結果としてこうなったというシナリオだ。どうも、何かが欠けている。それに気付いているはずなのに、なぜか横並びでどこを見ても変わらない。それじゃあ誰もニュースなんて見なくなるよ。
報道の公共性とかメディアの公共性って、君たちの間の隣同士顔色伺いのことを言うのかね。そのくせ何かあれば報道の自由だの表現の自由だの知る権利だの、それもある主観に基づいてのフレームであるにもかかわらず、自らが社会正義そのものであるかのように振る舞うのだ。
「スズキムネオさんをどう思います?」
「なんかキモイよねぇ」
で終わってしまう反応もそれはそれでどうよというところだけれど、コイズミは「キモくない」からあれだけの支持率をいまだに得ているのだと思うと、なんだか空恐ろしいきさえしてくる。それが現実なんだよ、なんて言ってしまうのもこれまたどうかというところか。
「なぜ人を殺してはいけないのですか」という命題はある意味では答えようがないけれど、「あなたは誰かに殺されたいですか」という質問には明確に答えられると思う。
明確な答えを出すのが大切なのではなく、適切な質問をすることなのだ。


2002年3月4日(火)22:12

あれ。昨日も書いたと思ったけど、そうではなかったか。記憶にない。
睡眠不足感は多少は解消されたような気もするけど、気のせいかもしれない。
一つ昨日のことを思い出した。
日中、事務所でうとうとしている間に夢を見た。
詳細は思い出せないけれども、最初はオギスタのような場所から始まったはずなのに、北大の体育館周辺の風景にスライドし、しかも登場人物も僕から別の人物に変わっている、という夢。体育館の中には、公園のアスレチックを狭いところに集めたかのような建造物があり、あちらこちらに罠が仕掛けられているのが察知される(その罠の正体は知らない)。しかもそこは何か大きなイベントの会場のうちの一つなのだけど、予備的補足的補欠的サブのサブくらいの扱いの会場らしい。イベントのパンフレットにはスケジュールが掲載されているが、スケジュール通りにイベントは進行されていないどころか、その会場では何一つ行われていない様子。僕はどうもそこの会場担当のスタッフか何かのようだ。傍らには口うるさい相棒、誰かは知らないけどやたら陽気で弱きだ。会場内は薄暗く、あちらこちらに薄ぼんやりと赤や黄色の照明。その中を何故か探検している僕と相棒。イベントのことはすっかり忘れている。
そんな夢だったような気がする。
何かが起きてしまう前に、目覚めないとと思った途端、目が覚めてしまった。惜しいようなほっとしたような、妙にドキドキするような夢だった。
夜、その夢を思い出しながら続きが見られないかしらんと考えたが、どうやら無駄だったか無意識の彼方に消え去ってしまったようだ。シリーズ物っぽい雰囲気もあるので、もしかしたらそのうち続きが現れるかもしれない。僕には珍しく総天然色、音響付きの夢であった。
雑記やらFact-ional日記は書くには書いているのだけどアップをしていない。
それは書いた後にはすっかりへたれているからである。
今日できることも明日に回すの主義だ。
たいした作業でもないんだけど。
普段から何かしら表現について考えることがあるが、たいていの人は何か節目の場面とかこれぞという場面、アクシデントがあったりすると案外使い古された陳腐なコトバを吐くもんじゃないかという仮説。1万組くらいの夫婦のプロポーズのコトバの統計をとった人とかいないのかしら。それなりに面白い結果になりそうな気もするんだけど。
ツメの話はおとついのことか。やはり昨日の記憶はあまりないようだ。
あ、そうか。昨日はそれまでの眠れない状態、睡眠不足状態のリバウンドで病的なまでに眠かった1日ではなかったか。きっとそうに違いない。


2002年3月2日(土) 19:28

全然眠られない。
それでも3時間とか、1時間とか分眠しているので、まったく眠っていないというわけでもない。眠られず、睡眠時間が短い。これが正解。
そして、今日は寒い。
オギスタもボイラーの調子が悪く、修理は週明けになりそうなので、今日明日は寒い。事務所と劇場は別の暖房なので暖かいのだけど、今している仕事は事務所パソコンではできないので--単純に書類などを置いておくためのスペースがないからなのだけど--スタジオ1などでノートPCを使って作業をしていることもあり、寒さが身にしみる。
ここ数日の暖かさのせいで気持ちがすっかり春に向かうモードになっていたせいもあり、手のひらを返したかのように寒くなり、雪が降り、風があったりするとげんなりしてしまう。感覚なんて実にいい加減なものだ。
ツメが伸びている。伸びているツメはある日突然不快な存在となる。毎日少しずつ伸びているのだから、徐々に気になり出してやがてツメを切るという行為につながると思いきや、ある朝、突然にツメが邪魔になる。予測はしているけど、この不快感は不意打ちに近い。突然にその存在を主張しだすのだ。まぁ、別に切ってしまえばまたおとなしくなるんだけど、なぜもっと前の段階から少しずつ主張しないのか。あるいはツメの伸びが気になる閾値のようなものがあって、それを越えると突然に意識するようになってしまうのか。謎である。
今日はこれを書き終えたら家に戻る。
仕事も終わってはいないけど、明日できることは明日することとしよう。


2002年3月1日(金) 16:46

日記の微妙なところは、それがいつ記述されているかということに尽きるような気がする。その日の日付であっても、必ずしもその日に記されているわけではないからだ。その日のことを書くという意味においては、その日の就寝前に一人静かに一日を振り返るといった具合に記述するのが望ましいのかもしれないけど、別にまとめて書いてもいいわけだ。つまり、何のために日記を付けているのかという目的によるとも言えるのだ。……って別に、そんなたいそうなことではないのだけど。
山下清の記憶力というのは凄まじいものがあったそうだ。彼はその放浪中のできごとを事細かに記憶していて、施設に戻ってからノートに書いていたという。しかも、いつ、誰と会い、どんなことを話し、何をしたという非常に具体的な事が、実に細かい文字で記述されている。アシヤガンノスケは旅の途中で作品を作っていたけど、あの作品たちも施設に戻ってから製作されている。天賦の才とはこういうことをいうもんだとつくづく驚かされる。けれども、その反面、忘れることができない苦しさもあったのではないだろうか。それだけ細かく覚えているということは、当然、嫌なことも事細かに覚えているということでもあるわけだから。時に人は忘れることで癒される動物であってみれば。毎日なにがしかのことを記憶し、忘れ、ちょっとリセットし、そうやって適当な緊張感と開放感を持って生きている動物であれば。「象は忘れない」とはアガサ・クリスティの小説のタイトルであったか。
最近、ある友人のことを思い出す。彼とは小学校から高校まで同じ学校に通っていて、今は交流がない。彼は高校を卒業するまで一言も誰とも話すこともなく、そもそも口から音を発することもなく、口を開けることもわずかであった。話すことはできたに違いない。現に高校卒業後に会ったとき、彼はやや遠慮がちに話をしていたのだから。それはそれで衝撃的ではあったが、同時に違和感なく受け入れることが出来たのであった。学生時代、どのようにして彼とコミュニケートしていたのか記憶はさだかではない。けれど、いつもいつも下らないことで盛り上がってはじゃれあっていたのは覚えている。当時は全く考えることもなかったけれど、今にして思えば、かなり変わった友人だったのだ。