L/W 雑記
2004年5月27日(木)22:16
相変わらず『授業』を読んでは頭を悩ませている。
というよりも悩みながらも前進しているつもりなのだけど、それでも悩ましげな戯曲である。
とりあえずリミックス作業を開始してみてから悩んでも良いのかも知れない。
が、もう少し読み込んでからリミックスすべきなのかも知れない。
単純に作業開始のタイミングを図っているところなのだけれども、それほど時間はあるわけではない。
リミックス版を出来る限り早く渡したいからでもあり、またどの程度のリミックスを行うのが適当なのか、とりあえず始めてみたくもあるからである。
でも、待て待て。
急がば回れ。
見えているもの、ここでリミックスしたい構造や部分は何となく覚え書きとして既にあるのだけれども、それでいいのか。
可能かどうかはともかく、しばらく寝かせてから改めて読み直し、リミックスの計画を立てるべきなのではないか。
その辺りの案配なのだ、要するに。
今、考えているリミックスだと、明日からでも作業は開始できる。
別に今からでも構わない。
が、何か納得できない部分もあるし、6日の稽古の時に少しリミックスの概要を話し合ってからでも遅くはないのではないかと思うのだ。
今の計画では潤色というよりも、原作をフラットな状態にしてしまうということが主眼の一つ。
フラットな状態の台本を作成してあとは演出での作業に任せるべきなのか、フラットな状態にして、色を少しでも付けておくべきなのか。
どうでもいいことのようだけれども、演出としては結構感覚が異なってくる気がする。
それは書く私と演出の私が違う人物だからだ。
テキストはあくまでテキストでしかない。
そういう意味では潤色と演出の両方を受け持ったのは正解だと思う。
多分、メンバーが考えているものとは異なるものになるだろうから。
それを理解してもらうことも大切だ。
とすれば時間をおいて次回の稽古の際に潤色の計画を発表した方が良いであろうと判断することができる。
寝かせるのが正解なのか、とっとと書き始めてしまうのが正解なのか、そこが悩みどころ。
まぁ、今は自分の本番も抱えているから、それが終わってからでも良いのだけど、とりあえずもう少しテキストの読み込みを続けてみよう。
2004年5月25日(火)21:45
久しぶりにTPSの公演を観る。
ビールを担いで観に行く。
劇評をするつもりはないが感想というか覚え書きとして。
なんだろう、あの間というか、えーと、ほぼ前半。
劇場に入るので保険として安定剤を飲んでおいて良かった。
危ない危ない。
つまり、とても明晰で分かりやすく親切な作りになっているのだけど、それがかえってうっとうしいのだ。
セリフだけならまだしも、間で説明されると蕁麻疹が出そうになる。
それは役者の不安から出てきたものなのか、あらかじめ演出されたものなのか分からないのだけど、あまりにも説明的すぎる間。
説明するために作られた間。
その割に必然性を感じない間。
おそらく肉体と発声のバランスが悪いせいもあるのかもしれないと、今、ふと思う。
必然的な間は身体の必然性から生まれる。
またその上での計算が必要だ。
具体的な秒数で言えば1,5秒くらい余計なのだ。
もっとポンポンと軽快に展開しても良いはずの流れが、この余計な間で断ち切られてしまう。
お話自体は難しい話ではないのだから、説明はそれほど必要ないのだ。
特に「間」による説明は不必要である。
それにより必要な、効果的に使われるべき間が死んでしまっている。
かったるいのだ。
笑えるシーンが笑えない。
その意味では斉藤歩氏の登場は救いではあるのだけど、それはそれで事情は聞いたけど、ありゃおだってるよ。
ちょっとやりすぎ。
だけど、あの爆弾がなければ本当にこの芝居は止まってしまっていたであろう。
結果なんか見えている芝居なのだから、後は人間関係で見せることを考えなければならないし、それがこの芝居のテーマなのだと思うのだけど、その割には人間関係の凹凸がセリフだけで、リアリティとして見えてこない。
戯曲としてはもっと北海道弁を多用しても良かったのだと思う。
すなわち、かつての旧友3人の間での会話とか。
まぁ、皆さん、お上手なのだけど、お上手なだけなのだよな。
それはもう分かっているのだ。
でもそれではリピーターは増えない。
徐々にこなれてくれば、本番をくり返していけばまた違う形のものになるのかもしれないのだけど、払う金額は一緒だからなぁ。
少なくとも現時点では完成形ではないのだろう。
でも、完成形、商品として見せてもらわねば観客としては困るわけだ。
タバコとアイヌネギの話なんか分かっていてももっと楽しめるものになるのに、役者同士のリズムが合っていない。
結果は合唱の出来に見えてしまうワケだ。
んー、もったいないなぁ。
TPSメソッドでもあるのかなぁ。
いつも「間」が気になってしまうんだなぁ。
観客はそんなにバカじゃないよ。
むしろこの劇団の存在意義としては観客を育てるということもあるはずなのだろうから、これではいかんのよ。
この「間」の取り方はまるで10年前に芝居を始めた頃あちこちで多用されていたものと同じだよ。
良質な作品とは必ずしも親切(ありがた迷惑な)な作品である必要性はない。
もっと楽しい作品のはずなんだけどなぁ。
ぬるいんだよなぁ。
というわけで1800円なら、まぁ、妥当というところ。
次回は発泡酒に格下げ。
ホントはエビスの黒だったんだけどね。
以上、とりあえず今日のところの感想。
悪いわけじゃないんだよ。
でも、これで3000円はないんじゃないの?
でもって「授業」のことを考えたりもしてみる。
ポイントはユニバーサルデザインとしての演劇、なんだけどきちんと現代劇であること。
そして演劇の場合、最大公約数がユニバーサルではないのだということを理解した上で作業を始めること。
公共性と民主主義とは全く別の概念なのだ。
「授業」はもはや不条理劇ではない。
なにしろ世の中そのものが不条理なのだから、むしろ現代そのものを描いているというべきである。
それをどのような形でセカンドライフの人達と作っていくのか。
時間の制約などもある中で何が出来るのか。
探っている時間はあまりない。
不条理劇を不条理に描くことほど陳腐なことはないのだ。
むしろ遊びのつもりで作るべきである。
それが演劇が現実を乗り越える一つの手段であると考えている。
2004年5月17日(月)22:27
とりあえず日々のあれやこれやは飯店やらgahに任せておいて、ここでは11月の演出について考えたりダラダラしてみようと思う。
つまり何を軸に潤色をしていくかということ。
無論セカンドライフのメンバーを軸にすえるのだけど、そういうことではなくて戯曲の構造のどの部分を捕まえてみるかということ。
この辺は柄本明の公演を観なくて正解だったかもしれない。
どうしてもその作品に影響されてしまう部分が良きにつけ悪しきにつけでてしまうだろうから。
で、「授業」だが、面白いのだが、それは滑稽さ、あるいは物語のどんでん返しの面白さだけでは、やはり不十分なのだ。
そんな芝居であるならば60時間ですぐにでも出来てしまうだろうし、まぁ、当たり障りのない評価はもらえるだろう。
それは面白くない。
折角やるんだからもう少し冒険して遊んでみたいというワクワクがある。
上手じゃなくてもいい。
そうじゃなくて、でも、あぁ、これはただの芝居じゃないぞという、きちんと戯曲のエッセンスを掴んだ作品にしたいのだ。
案外そういう当たり前のことをなえがしろにしてしまいがちになるんだけど、今回は少し時間があるので、またセカンドライフシアターという劇団の特殊性もあり、ちょいと悩んでみようかというわけだ。
読んでいてすぐに気が付くことは、コミュニケーション不全のお話であるということ。
僕はあまり戯曲を読まない不勉強家なので、イヨネスコがどういう人物でどんな作品を書いているのか分からない。
時代背景だってあやしいもんだ。
でも、現代性のある戯曲であるという確信はある。
この登場人物3名はたった3名であるにもかかわらず、それもそれなりの時間(60分くらいか)があるにも関わらず、人物の関係性こそ変化はあるけれども、コミュニケーションらしいコミュニケーションをとらないままに劇は終わってしまっている。
初見のなんじゃこりゃ感は実は物語のどんでん返しではなくて、というかどんでん返し自体は陳腐なものだ。
これがオリジナル初演ならともかく、多少でも知っている人が観に来るとするならば、どんでん返しをメインにもっていっても何も衝撃は受けないだろう。
(まぁ、知らない人の方が圧倒的に多いのだろうけれども)
無論、見せ方としては最後のどんでん返しへの複線をうまく隠しつつクライマックスに持っていくというのが一つの演出の見せ場ではあるわけだけれども、この戯曲を現代の日本で50代の人達が演じる意味をもう少し考えながら潤色作業をしたいのだ。
……が、今日は眠いから記述はここまで。
書きたいことは山のようにある。
2004年5月2日(日)02:56
これだけくしゃみ・鼻水が出るということはやはり猫アレルギーに違いないのだろう。
が、アレルギーの検査としてはマイナスの評価が以前に出ている。
慣れもあるのかもしれない。
以前は犬でもくしゃみ・鼻水状態になっていたことがあったが、今では(おそらく)問題はない。
しばらく通っていないが、耳鼻科に行ってみるのも良いかも知れない。
あまりにもくしゃみ・鼻水状態が極端だし、体力が低下していると息がぜいぜいしてくる時もあり得るからだ(実際、以前はそういうことがあった)。
プレドニンをある程度服用しているときにはあまりアレルギー的症状は出ない。
つまり、プレドニンには免疫力を抑制する効果もあるからで、その分抗原抗体反応も柔らかくなるというものだ。
だが今はプレドニゾロン1mg。
さすがにこれでは対処のしようがないのかもしれない。
アレルギーの検査と必要時の投薬が一番だとは思う。
が、とりあえず今の話題の中心は薬剤性肝炎の方で、2週間前のデータから肝臓の数値が一気に跳ね上がっている。
今日のデータをコピーしてもらうべきだった。
前回のと比較するためにもらっておくべきであった。
クローンでの治療でこれまで肝臓が極端にやられたことはなかったということは、メンタルの薬が原因と考えられる。
だが、一概にそうとも言えないのかも知れない。
既に脂肪肝であったのはプレドニン服用の影響だし、それが減量されたからといって即脂肪肝が良くなることもない。
第一、少量ではあるが現在でもステロイドを服用しているわけだから。
まぁ、どのみちいずれは肝臓に負担が掛かりどうにかなることは予測されていたわけで、ただそれが昨日分かったというのが少々ショックであっただけなのだ。
とりあえずはメンタルのドクターとも相談しつつ、薬を減量するか、別の薬を使うかという判断になるのではないかと思われる。
とはいえどちらの場合でも折角低いながらも安定しつつある現状に変更をかけるわけだから、不安は確実につきまとう。
それがどうも気になってしまうのだ。
今日は久しぶりに遊んだ。
といっても、酒を飲み、おやつをつまみながら、ゲームをするというたわいない集まり。
何も特別なことがなくてもいいのだ。
ただ過ぎていく毎日が少しでも平和であればよい。