雑記
1999年8月分
19990831(火)
8月も終わる。
怒濤のような8月であった。
札幌という街から身動きもせずに、アウトプットな毎日であった。
でも、9月も、これほどではないにしろ怒濤デイズなのであろう。
いいことだ。
暖かいうちは。
明日、9月1日は飯店の開店1周年記念日。
特別の催しをするでもなく、そういえば昨年もそうだったなどと思いつつ。
久しぶりの飯店稽古。
その後、「リベンジ」稽古。
演出と役者を行ったり来たり、それが気持ちがいいと同時に、相互に侵入しあうのが気持ち悪かったり。
いや、それがいいのだ、バランスが。
そして、それが別の現場であるということが、さらによいのだろう。
19990830(月)
一部復活。
いったん崩れたものは、少しずつ立ち上げ直さないといけない。
自らの継続性を保とうと思うならば、自らを知ることだ。
知って、それの維持に努めることだ。
少々の作業と、「リベンジ」稽古。
日本という国にいて、欧米発の「演劇」をしている自分を意識することがある。
それは伝統と近代との対立という問題を設定しようというものではないが、
しかし、見るとき、作るとき、常に何かしらの違和感を感じていることは確かだ。
いまだ、それを言語化する努力はしていないけど。
19990829(日)
本日も完全オーバーホール。
回復の兆しあり。
月曜からは、多少はまともに動けるような予感。
とりあえず減煙を考える。
調子の悪いときは徹底的にストイックな胃腸生活を心がけるべきなのだ、やはり。
こうしてダラダラとなにもしないで過ごすのも、本当に久しぶりだということに気付いた。
きっと、そういう無理も蓄積されていたのだろう。
閾値を超えるとあとはひたすらに苦痛の日々なのである。
わかっちゃいるけど……という部分もあるのだ。
外はすっかり秋気候へ。
19990828(土)
本日も休養日。
ようやく落ちつき始める。
思わぬ休息の日々に何をするでもなく、テレビを見ているのみ。
それにしても……
つかこうへいの芝居よりも、ウルトラマンガイアに感動してしまう自分って……
ウルトラマンガイア、来週最終回である。
19990827(金)
すべての予定をキャンセル。
帰省のはずがそれも出来ず。
ボルタレンを1回使用。
昨日は3回だったことを考えると、多少は良くなったのか。
少なくとも、痛くて目が覚めるということはなくなった。
しかし、だた、休んでいるだけというのも、なんとも味気ない話だ。
かといって、本を読む気も起きない。
集中力は圧倒的に痛みに対して向けられるので、
他のことに関しては放っておかれるのである。
それでいいのだ。
休むべし。
19990826(木)
激しい腹痛。来たか。
しばらく、様々なものが放置されてしまうだろう。
しばしの休養と節制を。
しかし、大腸病変は相変わらず順調の様子。
CRPもそれなりに安定。とはいえまだ、陽性。
GOTやや高し。コレステロール値、低し。
痛みはボルタレンでごまかす。
今晩がヤマか。
……って、闘病日記だな、これでは。
19990824(火)
日中はひたすらにパソコンに向かう。
休みなのか休みではないのか、もはや定かではない。
しかし、また同時にワーカホリックな部分があるのだろう。
何か一段落した後に次がないと不安になってしまう。
いや、単純に貧乏性なのかもしれない。
あるいは、気が多いというべきか。
私に余暇は必要ではない。
もし必要なものがあるとしたら、だらだら過ごせる時間だ。
それを「停電」と呼びたい。
飯店稽古。
19990823(月)
とりあえず大学関係一段落。あとは、審判を待つのみ。
exFOR-7A稽古開始。
9月3日まではそれなりに怒濤の日々になったり、ならなかったり。
うまい具合に肩の力は抜けている。
短期間の稽古だがさらなるアップを。
19990822(日)
しばらく雨に当たる。
そして、芝居を観る。
芝居を見る数がもともと少ないせいもあるのかもしれないが、まぁ、それ以上に暇がなかっただけなのだが、それにしても久しぶりの観劇である。
よく分からないことが多い。
分からないのならば、分かることを手がかりに進んで行くしかあるまい。
ゆっくりと、少しずつ。
ガラスで指の先を切る。
右手の人差し指。
血の味を確認する。
キーボード、まともにたたけず。
19990821(土)
アトリエインディゴにてワークショップに参加。
大量の汗を流す。
コトバに偏っている自分と、体を求める自分に出逢う。
どちらも僕なのだけど、汗を流している肉体は気持ちがいい。
「表現」を意識する点における舞踏と演劇の共有の可能性を考える。
問題はコトバ、なのかもしれない。
しかし、コトバを「音声」と考えればいいのだ。
言葉の意味ではなく、声の質に魅入られることもあるのだから。
他、細々と作業。
それでも、多少は夏を満喫する。
19990820(金)
演劇財団>>松本堂>>演劇財団>>稽古>>自宅で作業というスケジュール。
スケジュールをじっと見てみる。
フル回転生活はしばらく続きそうだ。
電池交換が必要なときはどうすればいいのだろう。
ネジ式でなかったのが、唯一の助けだ。
技術革新はしておくべきである。
この場合、太陽電池でもいけない。
無限機械の導入が望まれるところだが、理論と実践は常に距離を保っている。
限りある資源は大切に。
考えるための時間が欲しい。
19990818(水)
FOR-7A解散してしばし虚脱状態。
本日よりようやく復帰を目指すが、その間にたまっている作業作業……
なかなかにのんびりとはできないものなのであろう。
月曜・火曜とそれなりに休養しつつ、それでも、何かしら焦る気持ちもありつつ、充実はしていたが、一気に加速をかけて復活することが必要な気がして、ガソリンを補給したい今日この頃。オイルの交換も必要だ。
夏の残骸と付き合う。
残骸ゆえにどことなく寂しげで楽しい。
例えば時間、例えば金。どちらかに余裕が欲しいという切ない思いはどうすれば解決するのであろうか。いや、解決の方法は明確だ。
そんなこんなをつらつら考える朝。
なかなか復帰できず。
たまっている雑務を片づけているうちにやろうとしていたことが出来ず、そのまま稽古へ向かうことになる。
飯店の稽古も再開、来週からは「リベンジ」の稽古も入ってくる。
とりあえず、毎日できることを片っ端から片づけていくしかないのである。
これがなかなかに難しかったりもして、つまりは、持続するエネルギーの問題となるのだ。
まぁ、破綻をきたさないように、適当に発散しつつというところなのだろう。
夜の雲はなにかしら不気味だ。
19990814(土)
FOR-7A初日。
ようやく最終公演。
長いようで短いこの数ヶ月を思い起こす。
きっと明日はそんな暇はないかも知れないから。
3ヶ月連続公演。ユニットとはいえ、3回も公演を迎えてきた集団なのだ。
なにかしら寂しい気持ちもある。
楽しみ抜くこと。
キレのいい演技をすること。
やらかすこと。
僕のFOR-7Aの最終目標はこれだ。
FOR-7Aに関して長々と書くことはまた、後の機会にでもするだろう。
今は、舞台に上がるのが楽しく、また怖く、でも充実している。
明日。
19990813(金)
カウンターを取り付ける。
いったい、このページ自分以外に何人きているんだろう。
自分勝手に展開するのもよいが「さらしている」という羞恥心を味わいたい。
マゾなのだ、基本的に。
今はまだ、午前中。
「論理」への書き込みはもうしばらくはできないかもしれない。
昨日、ようやく本を1冊読み終える。
本を読むというよりも活字を補うという作業だったが。
松本堂>>教文。
5時間で仕込み〜場当たりをする。
とりあえず外枠は出来た。
あとはソフトである我々、役者の、否、自分の問題だ。
FOR-7A解散まで通せる回数は最低3回。
暑い夏とともにFOR-7Aは解散する。
涼やかな顔で。
まずは、舞台、である。
苦しみつつ楽しむこと。
19990812(木)
脚本、ようやく終了。
こういうたぐいの脚本は短い時間で集中的に書いてしまうのがよいということを痛感する。
だらだら書き続けるには必要以上のエネルギーの消耗を覚悟しなければならない。
そういう意味では、脚本を書くという行為が好きではないのかも知れないとも思う。
いや、そうでもないか。
書いている間は結構楽しかったりもするのだから。
書きながら、感動しているあたりはかなりバカだ。
書き直しやら、演出上でのカット、公演時間的な制約などなど戦うべき所はいくらでもでてくるが、それは脚本を書くという行為とはリンクしない。
あとはせいぜい苦しむがいい、演出よ。
FOR-7A稽古。
明日午後5時から(!)会場入り。
教文の企画であるのに、何という余裕のなさ。
さらに考える。
この企画、教文演劇フェスティバルなんだよな。
フェスティバル。
お馴染みが年に1回集まる会合ではないのだ。
そういう意味ではFOR-7Aが風穴を開けていく役割を担っているのかも知れない。
公共の施設だからこそ、冒険をすべきなのだ。
公共性とは多数決ではないのだから。
19990811(水)
なんだかんだと、FOR-7A本番まで休みつつ推移できるこれからだと思っていたら、そうでもなく、休むのはそれ以降になりそう。
突っ走るというよりも、小走りに毎日が過ぎていく感じがする。
小走りゆえに歩みも遅く、かつ、時間がかかり、体力も精神力も消耗する。
FOR-7A稽古。
教文>豊拓のコース。
今日の豊拓は灼熱モワモワ地獄だった。
汗だく稽古。
……それにしても、大通りのビアガーデンは昨日で終了だったのだ。
教文>豊拓までの道のり、「ああ、ビール」と心をときめかせていたものであったのだが、昨日で終了なのか。
その事実を知ったとき、秋に向かってジリッと動き出した北海道を感じる。
せっかく試されてるんだからもうちょっと粘ろうよ、夏。
なんだか寂しい気分になる。
深夜、冷房のきいた店で脚本を書く。
手書きバージョン終了。
明日明後日までにはパソコンに上げて、佐渡組スタッフには渡せるだろう。
とりあえず、一安心。
最悪のパターンはFOR-7A打ち上げで、早く帰宅し作業をすることだったから。
小走りながらも駆け抜けているのだな。
19990810(火)
暑い。細かい作業が少しだけ一段落して午前中はダラダラと過ごしてしまおうとするも、何もすることがないことに気付く。
夏バテ予防にはエレンタール。
氷でも浮かべてみたらまるでさわやかトロピカル気分。
来週までにすますこと、いくつか。
まずは何をとりあえずやはり、コトバなのだ。
それから肉体。
時間によって優先するものが異なってきたとしても仕方があるまい。
人は何気ないコトバに傷ついたり心重くなることがある。
そうしてそのコトバをはいた人間はそのことに気が付かない。
コトバには意味がある。
コトバには空気がある。
コトバには毒がある。
コトバには気持ちがある。
だが、コトバは何も語らない。
人間が語るのである。
あるいは「他者」との関わりが。
FOR-7A稽古。教文はひんやりしていて、気持ちがいい。
つい眠気が……てことは夏バテ注意報だな。
暑さと睡眠不足と稽古……しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
FOR-7A解散まであと5日。
解散の瞬間、何を思うのだろうか。
きっと、一つの公演の終了とは違う何かがあるに違いない。
……が、まずは舞台。
凝縮し拡散するエネルギーのピストン運動が舞台に風を作るだろう。
19990809(月)
日中は暑い部屋の中でコトバと格闘する。
汗とともに思考能力も流れていってしまうかのようだ。
そうして睡眠時間も流れていってしまう。
例えばそれは自室を片づけることによって解決するような問題なのかも知れない。
コトバとの格闘のダメージか、それとも昨日のノンマイク朗読のダメージか、右肩が痛む。
引き続きノドの調子もよくない。
タバコの数も必然的に減っていく。
こちゃこちゃと肉体はやられているということに今、気付く。
僕はただの北の人なのだ。
----ここでフリーズ。真夏にフリーズとは皮肉だ。----
FOR-7A稽古。
問題は舞台に立ってその中で「生」を受けた人間として遊ぶことが出来るか、だ。
そのためにはすべてのプランを全うすべきなのである。
明日から教文リハAにて稽古。
動くべし。止まるべし。語るべし。生きるべし。
19990808(日)
週末は、休む暇がない。
昨日はザ☆朗読>教文>中央小学校>豊拓と休む間もなく飛び回り、今日は今日とてザ☆朗読>教文>豊拓と移動。
さすがにヘビーな2日間である。
しかも、ザ☆朗読ノンマイク事件でノドを痛める。
まぁ、鍛え方が足りないと言ってしまえば、それまでなのだが、20分間ほぼ一人で語り続けるのはなかなかにしんどい。
しかもその後、教文リハAにて稽古なのだ。
以上、言い訳終了。
新車のライトは復活した。
暑さに何かが目覚めたのかも知れない。
そうして、状況はなにかしらリンクしている。
今週から来週にかけての牡羊座の運勢はおしなべて良い。
人生バランス理論からすると、この後、ダウンなのだろうが、今は今と思うしかあるまい。
ここぞ、今。
とりあえず、目の前の必要なことを片づけていくこと。
そのためにはこの気温はつらい。
19990806(金)
豪雨の中、チャリを走らせた。
新車のライト壊れる。
見えていたものが見えなくなる。
しかし、外界の景色は思ったよりも鮮明だ。
だから、見るのだ。
コトバではなく、見ること。
19990805(木)
日中、ひたすらに文字との格闘。
宗教の話しを書いていても、なぜか最終的にはコトバへと話題は移行してしまう。
宗教を論理で語ることで、陥ってはいけない罠がある。
あくまでも外壁をなぞることしかできないのだ。
一段落ついたところで、FOR-7A稽古へ。
「お手玉」……これが今の問題なのである。
今日はいい汗であった。
いい加減暑いのは勘弁してもらいたいが、それでも稽古帰りの自転車は爽やかだ。
テレビ塔企画に進展あり。
とにかく粘っていればいいことがあるという話か。
19990804(水)
外は晴天。気温も上々。
だが、家での作業。
昨日から手をこまねいていたホームページ関係の整理がようやく一段落する。
飯店スタッフミーティング。その後FOR-7A稽古。
うまく頭の切り替えできない感じ。
それでも汗は流れ続ける。汗!君は汗!
水分をとるさきに、水分が出ていってしまうのでは割に合わない。
地球にも優しくない。
そういう意味では冬!お前の出番だ。
いや、初夏!とか秋!とかのほうがいいのかもしれない。
好感度的には。
精神と肉体はあろうことかリンクしている。
どちらも上々であるようにすることは難しい。
いや、こういうことを考えているからなのか。
相変わらず二元論に縛られているのだ。
日々の生活においては、目指せ!いい加減論くらいなのだが……
しょぼし。
19990803(火)
7/25観る。
前夜の寝不足がたたって、途中、覚えていない。
緑な映画であった。「欲望の翼」とは別な意味で。
ビックウェーブ回避へ向けての活動・その2としてたわいのない買い物をする。
何か普段とは違うことをすること。それが回避のポイントだ。
しかし、今晩から明日にかけては波がくるのだろう、きっと。
FOR-7A稽古。
ようやく先が見えてくる。
稽古への集中度が上がる。
困惑の7月下旬に比べ、肉体的疲労は大きいが、精神的疲労が減ったかも知れない。
先は見えたが、見えた結果、改善点も見えてくる。
ようやく、ここからなのだ。
本番を目前に控えた今、しかし、全体的なプランが変更されても何も不安が生じないような状態。すなわち、それは「何を為すべきか」が見えているということでもある。
後は、できるか、できないか、だ。
19990802(月)
雨。そしておさまる。
改造。暫定的に終了。
とりあえずは雑記を書くだけの毎日になりそうだが、時間があれば他の部分の充実も図ろうと思う。
L/Wは「そのうち」書きたい脚本のタイトルである。
FOR-7A稽古。
演出プランの変更。2週間後は公演が終わって解散であるというのに。まだ、あがく。
あがくための余裕はまだある。
それができる集団なのだ。
夜、眠れないまま、様々なことを考える。
飯店のことなども頭をかすめる。
漠然としていたリニューアル構想がなんとなくまとまってくる。
おそらく、組織という問題ではなく、集団という問題になるに違いない。
「この」集団で芝居を作っているという感覚が欲しいのだろうか。
それは今でも実現されてはいまいか。
いや、もっと前向きな思考のはずなのだ。
それを理解してもらうこと。
言葉遊びのような哲学っぽい思考は別ページに書くことに決める。
ここでは、たわいのない、それでいて思いつきの言葉を吐き出すことにしよう。
19990801(日)
飯店稽古後、FOR-7A。
あらゆる意味でぽっかり何か空いてしまう。
7の月は終わった。
振り出しに戻るもよし。
ホームページ改造計画に着手する。
8月。何も変わらないけれども新しくスタートしよう。