雑記
1999年10月分
19991028(木)
ひたすらにCDを焼く。
おそらく明日も明後日も。
週末は自宅と稽古場の往復だけの日々になりそうだ。
なかなか静かに考えるための時間がとれない。
それは今に始まったことでもないし、この状況からは難しいけれども2時間でもそういう時間が確保できれば少しは精神的な安定を図れるかもしれない。
あるいはその時間はしばしのクールダウンの時間である。
いかにせっぱ詰まっていようともぼんやりとする時間は必要である。
それは自らの状況を客観視するための時間である。
特に今の状況の場合、木を見て森を見ずという精神状態に陥りやすい。
ふと、自分を振り返る時間というのは貴重なのである。
「なにもしない」ということをするための時間。
19991027(水)
こんなにも空いてしまった……
先ほど自宅に戻る。
照明のことなど考えてみる。
それから、劇団のことも。
どことなく今が自分にとって転換期であると思う。
それは明確な形をとることなく、ジワジワと生活の中に侵入してくる気配ではあるが、確実に展開しているようだ。
一つには大学生活をいかなる形であれ終わらせなければいけないということもあるのだろう。
卒業か、中退か。
意外なことにせっぱつまってくればくるほど逆に心は冷静になってくるものだ。
卒論も書き始めてみたりもしているし。
あとは持続力なのかもしれない。
そして、芝居に関しても転換期なのであろう。
凝縮への欲望であろうか。
集団としての今の満天飯店はこの1年で拡散の方向をとってきた。
しかし、次からはむしろ凝縮であろうと思われる。
それは次の拡散のための一つのステップでもある。
芝居に関わるということ。
履歴書的には「趣味」とは書けないような関わりを自分は選択しているのだと思う。
むしろ仕事であり、義務でありたい。
それはビジネスライクに芝居に関わるということでもなく、それで食うということでもなく、いや、それらも含めて仕事でありたい。
内的な欲求と外的な状況。
問題はその兼ね合いである。
19991017(日)
まぁ、飯店記録に書いているような内容の一日。
午前中から夕方まで稽古。
ようやく自宅に戻って僅かな休息。
雪は降ってくるし。
北海道には秋などは存在しない。
あるのは雪のあるシーズンとないシーズンだ。
冬はキライではないがどこもかしこも寒いのはどうかと思う。
せいぜい家の中だけでも暖かくありたいものだ。
そのためには先ず部屋の整理から始める必要がある。
それから灯油の購入である。この2点が最低必要なのだが、これが同時に面倒でもある。
ましてや家にこもっている生活はしばらくは出来そうもない。
「のんびり」と言うコトバは僕の時間の中には存在していないようだ。
少なくとも、もうしばらくは。
芝居だけで頭を悩ませている分にはまだいいのだが、もう一つ、一文字も書けていない卒論がある。
しかも来週は中間発表。
さすがに絶体絶命である。
19991016(土)
怒濤の週末稽古2日目。
昨日よりは体力の消耗は激しくない気がする。
あるいは気力の問題か。
少なくとも何かが進んでいる感覚は僕の胃と精神を多少は軽くするらしい。
見ていることしかできないもどかしさは、ないわけではない。
でも、それでも、多少は解消されてきている。
それはきっと僕が面白がれているからかもしれない。
まだまだ課題は山積みなのだけれど。
課題と同時に、芝居を離れてすべきこともまた、あったり。
それはとりあえずweekdayに回すしかあるまい。
八方美人にして、全てと深い関係になろうというのは難しい問題なのだ。
19991013(水)
突破するためには集中力が必要だ。
冷静なる集中力。
少しずつ一つずつ片っ端から。
あとは自分を信じるより他、あるまい。
19991012(火)
この週末はじっくり休もうと思ったのに、そうでもなかったりしたりして……
休むべきところで休むことに失敗するとかなりつらい日々が待っていることになる。
全然つながりはないけれど、ここ数年の僕の10月は実りが少ない。
というか最悪の月であることが多い。
どん底精神の宝庫、10月。
夜長なのにその夜はつらい時間であったりする。
なにか10月には魔物が住み着いているのであろうか。
そして今年も……なんとか乗り越えるべし。
しかし、様々な事柄が差し迫ってきている。
どれもこれもせっぱ詰まっている。
しかも終わりが見えない。
きっと、そういうシーズンなのだ、10月は。
それにしてもまずは今週、次は来週、片付くかどうかギリギリのところ。
肉体と精神、どっちが先かの問題かもしれない。
うぬ。
19991007(木)
午前中病院へ、CRP1.9。
ううむ、上がっている。
いっこうに緩解で安定しないのは、食生活の問題か、それとも精神的なものか。
まぁ、後者なのであろう。
だとすると食生活は徹底的に守るしかないかもしれない。
ALLエレンタールとか。
イントラを注入するとどうしても体がだるく、時には微熱まで出てくる始末。
まぁ、直接脂肪を注入するのだからある意味では仕方がないし、注入速度を遅くすればひどいことにはならない。
1時間半〜2時間でちょうどいいくらいか。
そんなわけで、今日はちょいとつらく、午後は寝たり起きたり休養にもならない休養をとっていた。
まるで休めないのだけれど……
CRPを1以下で安定させること。
なんとか、こんな状態でも、それでもなんとか。
少なくともあと数ヶ月はつぶれるわけにはいかないのだから。
CRPを安定させつつ、なおかつ他の人たち以上のことをやってのける。
まぁ、消化器以外はどうってことないワケだから、可能は可能である。
しかし、消化器の不調が他にも影響を確実におよぼすということも忘れてはならない。
要するに己を知るということなのだろう。
敵は見えつつある。
18991005(火)
精神状態はあまりよくない。
なんというか精神に粘りがない。
ここぞ踏ん張り時という場面ではあるのに。
作業の量は、まぁ、それなりに。
だが、ここで逃げ出すわけにもいかない。
ひたすらに前を向いて走るのみである。
前向きに、前向きに。
粘り強さが、結果に結びつくハズなのだから。
ここ数日の愚痴をすべてエネルギーに転換しよう。
省エネと叫ばれて久しいが、結局、我々は大量消費の生活から離脱できない。
むしろ、省エネはそれでも大量消費文明を棄てないぞという精神の裏返しである。
それとも我々は集団自殺の道をたどろうとしているのか。
遺伝子の地図が作製されても、このプログラムは回避不可能なようである。
破壊は再生を予感させる事業だ。
科学は人間の本性を進歩させることはない。
そもそも、進歩とは何か。
人間の「進歩」の先には何が想定されているのか。
進歩という思想の究極には何があるのか。
それは有限と無限の狭間に似て、抜け出すことの出来ない迷路である。
迷路を彷徨ううちに、やがて我々は迷路の中にいることすら忘れてしまうだろう。
その方が幸せであるかもしれない。
無限と有限の狭間の迷路には出口はない。
そこには「信」があるのみである。
19991004(月)
ライブ直前の徹夜状況は絶対的に避けたいので、時間を見つけてはCDを焼いている。
焼くのはいいのだ。
面倒なのはそのチェックだ。
面倒と言うほど作業自体は面倒ではなくて、要するに時間がかかるのである。
まぁ、同時進行で別の作業もできるが、少なくともその間はずっと聞いている必要性がある。
基本的に安定生産の態勢には入っているのだが、ふとしたことから不具合が起きたりすることもある。
今日も1枚原因不明のNGが出た。
どことなく、集中力を欠き、精神に余裕がない。
良くない状況だ。
危機的ではないにしろ、ズルズルとひきずり込まれてしまう可能性はある。
どうにもリラックスできないのであろう。
よろしくない。
19991003(日)
午前中から夕方まで稽古。
自宅に戻り、細かい作業。
CDの増産やら、脚本の改訂やら、エトセトラエトセトラ。
どうにも週末が一番忙しい気がする。
作業の優先順位なりスケジュールなりを決めておかなければいけない。
月曜日からは昼間に時間を作れる人間でもなくなるし。
……そうか、そうだとすると一体、いつ作業をすればいいのだ?
インプットの余裕のなさをどうやってごまかしながら生活していくのか。
今はある意味で非常に危機的状況ではある。
しかし、こういうせっぱ詰まった時期だからこそ、あの合間をかいくぐってインプット生活を行うのがよいのであろう。
まずは、精神的な安定を回復&維持することから始めよう。
19991002(土)
雨チャリ。
少し甘く見ていたようだ。
かなり濡れネズミ。
その格好でSKG「ノストラダンク」を観る。
差し入れの酒濡れる。
考えてみればSKGを観るのは初めてだ。
確かに女性のお客さんが圧倒的に多いのだ。
ふむ。
脚本・演出的な構成とかスピード感、求めているものは分かる気がした。
問題はそれが僕の創造の中の映像と、実際の舞台が重ならなかったことだ。
それは単純に役者のセリフが聞き取れないという前半から始まった。
センスを技術がつぶしてしまうということは、ままあることだ。
だが、それに甘んじているわけにはかない。
目の前には伝えるべきお客さんがいるのだから。
きっと面白い芝居のハズなのに、それが残念でならない。
しかし、土曜日の日中にマリアが埋まるなんて、うらやましいったらありゃしない。
むしろ、土曜の昼間だからか?
今月は最低でもあと2本は芝居を観たい。
最近になって、ようやく芝居を観たいという気になってきた。
いいことなのか、そうではないのか……
あとは観るための資金だな。