雑記

1999年11月分


19991128(日)

やはり慌ただしい週末。
自主制作映画の現場へ行ってみたり、稽古をしてみたり……
慌ただしさの中に自分を浸しているとふと足下が危ういのに気付く。
平日はこの足下を固めることをしようと思う。
一度にすべての問題を解決することは出来ないが、毎日毎時間何かを埋めていくことは出来るはずである。
あとは選択の問題だ。
それは「しなければならない」という強迫的なものでもあって、そこから逃げ出したいという気持ちも生じてしまうが、まぁ、愛嬌。
なにかしら停滞を感じる今日この頃。
また、明日から始めればいいのだ。


19991123(火)

不眠の夜には何も生まれない。
むなしくコトバが費やされるだけだ。
そしてわずかな睡眠によって全てをかき消されてしまうのである。

戯曲ワークショップのシンポジウムに出席する。
何かしらの新しい試みが、しかし、もっと広く知れ渡ってもいいはずなのにと思う。
伝えようとする努力と手段を誰が持っているかという問題がそこにはある。
何とはなしに、そこに一種の「乖離」を感じているのは僕だけではないはずだ。

さて、「共犯性」という示唆を得た。
なかなかに含みのあるコトバだと思う。
しかしまずは孤独な戦いから幕を開けようではないか。


19991118(木)

何となく「普通」の日。
何もないわけではないのだが、あえて言えば何もしなかった一日である。
いや、そうでもないのだが、なんというか「普通」の日だったのだ。
それもまたよし。
今週のテーマとしては潜伏であったのだから。


19991117(水)

なかなか更新しないのは忙しいからではない。
しかし、何かしらココロに余裕がないせいはあるかもしれない。
あるいは逆に緩みきっているせいか。
いずれにしてもここら辺で巻き返しを図っていかなければならないであろう。
そのためにはこの冬景色は起爆剤とはならないようだ。
昨日は歩いていても少し楽しかったが、今日になってみるともはやココロは冬モード。
慣れというものは恐ろしい。
そして、どこかしら緩んでいるココロを感じさせる。
停電期間は終了した。
あとは自らを鼓舞するだけである。
なにかと占いを見るのも考えものだ。


19991114(日)

怒濤の週末。
昨日から今日にかけて。
日中、オーディションの後、シアターゲームへの参加、
その後、ロイトンに入り、午前3時に本番。
そして、飯店の精算会。
テンションの調整に苦労する。


19991112(金)

全てが終わって、しばしの停電状態。
だが、そういつまでも止まっているわけにはいかない。
様々な雑事と、しなければいけないこと、したいこと、相変わらず山積みである。
それでいいのだと思うし、そうであり続けたいとも思う。
時々の停電は必要だが。
停電を経ても僕には何の変化もない。
充電ではないからである。
だが、怖れるべきは漏電である。
何も漏らさぬこと。
如何に効率よく電力を消費するかが決め手なのである。
それは人間であれ、電力会社であれ、同じことだ。
無駄は必要だ。
必要な無駄を必要な分だけかけること。
それは必然なのである。
しばしの休息。
明日からの集中。
何事も一つずつ。

いまだに正式参加決定はなされていないが、遊戯祭に関する作業を進める。
内部的な不安の要素は多い。
メンバーは参加することの意義に関して不安を抱いている様子だ。
その気持ちは充分に分かる。
実際、運営に関して不安要素は多いからだ。
しかし、何とはなしに直感として参加する方向の方が健全であるように思うのだ。
論理的な理由を挙げられないのがなんとも情けない話ではあるのではあるが。
物理的な部分でのメリットはそれほどに期待は出来ない。
遊戯祭ですることを予定している演目に関しても単独ですることは可能だ。
だが、今までとは違うお客さんとの出会いは確実にあるであろう。
また、そういう人々に自分たちの作品を評価してもらう機会でもあるのだ。
まずは参加団体を含めた上での運営が今回。
願わくば次回以降は独自の制作組織を立ち上げてのスタートであって欲しい。
しかし、これは人手不足の集団ゆえのわがままなのかもしれないが。

「THIRD IMPRESSION」へ向けた稽古。
インプットの必要性も感じつつ、だがしかし例えば今回の即興のような稽古の必要性も感じる。
少しずつではあるがヴァージョンアップしていかなければならない。
そのために「箱馬再生工場」に参加する。
アウトプットと同時にインプットも行う。
結局はそういうことなのだ。