L/W 入院雑記2001

※2001年10月11日 道都病院入院。
※2001年12月1日 退院。


2001年11月30日(金)

採血結果はかんばしくなかった。嫌な割合でCRPが上昇している。
退院は決まったが治療は後退。絶食状態で退院することになったのである。
確かに自覚症状もある。退院とはいえ今回は気を抜くわけにはいかない。それはそれで気が重い。それは「治る」ということのないこの病気ゆえなのだろう。
病院にいれば似たような境遇の人ばかりだし、病気であるという理解もある。それは楽なのだが、それ以上ではない。
甘えさせてくれというのではない。ただきちんと理解してほしい。これは個人的思いではなく、病気を抱えて生きる人達のささやかな、しかし切実な願いなのだ。
そう。だから「大丈夫?」という言葉は時に頻繁に暴力となる。たいてい「いやぁ、大丈夫じゃないです」なんて答えられないからだ。


2001年11月29日(木)

無為に過ごす。何もする気がせず・・・というより、何かをしよう、あれもこれもと思い付くのだが、そこから動き出せない。どうにも不安定な状態。あまりよろしくない。この雑記に手を付けるにも一時間かかっているし。
プレドニンの影響も多少はあるだろうが、冬になってきたせいかもしれない。
微妙に腹痛。状態としては悪くないはずなのに嫌な感じ。
すべてをリセットしたい。単に消耗しているだけか?右も左も中途半端。
少し、しんどい。


2001年11月27日(火)

採血。入院最後の採血のはずが延長戦。弱陽性。金曜日の再検査に賭ける。
なかなか思い通りにいかないものだ。
気が付くと冬景色。なんだかんだと7週間目に突入。
状態は治まっているが、少しでも無理をしたり、道を外すと振り出しに戻るという仕掛けか。


2001年11月26日(月)

外泊より戻る。
明日は採血。結果が陰性ならば退院となる予定。主治医にはあらかじめ今月いっぱいがリミットと伝えてあるので、いずれにしても今週中には退院する気ではいる。が、ナマモノだからどうなるかは分からないけど。
無理をすると同じことの繰り返し。しかし、前に進むにはエネルギーが必要だ。とするならばしばらくはモロモロから離れて二か月くらい何もしないで暮らすくらいの「覚悟」が必要なのかもしれない。病気を受け入れるとはそういうことかもしれない。
焦りの感情。
苛立ち。
無意味だと分かっているのに止まらない。俺は馬鹿か。


2001年11月24日(土)

天気が良かったので外出。映画を観る。時間の関係で予定外の作品だったがいいガス抜きになりました。EVOLUTION。
外出しながらぼんやり歩いていると何となく創作意欲めいたものがわいてくるというか、それにだまされるというか。なんにせよしばらく脚本を書ききることから離れているから、そろそろ尻に火が付き始めているのも事実で。
こちらもリハビリが必要か。


2001年11月23日(金)

本日よりエレンタール1パック減り、白米開始。嬉しい気持ちよりもこれからが自分との闘いといったところだろう。
食事療法を完璧にこなそうと思うなら個人的に栄養士を雇う以外にない。一人暮らしで厳密にしようとすると仕事なんてやってられないし、ましてや芝居などに関わりあっていられない。
結婚生活をすればいいかというと、主夫ならばいいかもしれないなぁなんて。
病人、なかなかに周囲に影響を与えることなしには存在しないさだめなのだ。
なにやかにやと考えているけど、結局いかにして芝居を続けるかがメインテーマらしい。芝居バカ、役者バカ、いいじゃないの。あとはそれを可能にする環境要件なわけで。
どの病気もそうだけど内臓系疾患は周囲のみならず当人からも軽視される傾向があるなあと実感。
内臓系疾患に理解と協力を!ついでに栄光も。


2001年11月22日(木)

小春日和。眼科受診のついでに少々外出。
目はとりあえず落ち着いている。薬を続けてプレドニン減量を待つといったところ。
明日から食事開始。嬉しいかと言われると複雑。セーブし続ける難しさ。ある意味ではエレンタール一本の方が気楽でもある。なにせ食べないに越したことはないという病気なのだから。
弊害もある。微量元素が欠乏しがちなこと(下手すると大変なことになる)、血中コレステロールの低下などの栄養障害に陥ることもしばし。そういう意味では適度に悪さしてるくらいがちょうどいいともいえる。
ここらの塩梅が難しい。セーブしつつ緩めつつ。


2001年11月20日(火)
入院から約40日。ようやく退院に向けたプロセスが始まるような、そうでもないような。
プレステは見事に壊れた様子。代わりにゲームボーイを回収し相変わらずプレイにいそしむ。
久し振りに終日病床に。微妙に病室の空気が緊張感をはらんで落ち着かない。嫌な空気だ。
医者もプロ、看護婦もプロなのだから、やはり患者にもプロフェッショナルが求められるべきだろう。


2001年11月19日(月)

眠れないなと感じたら、とっとと薬を飲んで前後不覚になってしまえばいいのだけど、それでは納得いかずだらだら起きている時もある。
薬といえば目薬。点眼剤は苦手というか下手くそで、思うように眼に薬が入らない。単純に不器用なだけなんだけど。効果は着実に、眼圧は安定しつつある様子。慣れてしまえばこれも生活の一部か。不安だけがもの言わずとぐろを巻いている。
眠れない夜はこの不安が妄想へと変化し、迷走する。妄想が不安をさらに駆り立てる。
こうなると止まらない。暴走する空想物語は夢ともうつつともつかぬまま、やがて朝になる。


2001年11月17日(土)

外出先PCからアップ。
完全に退院してしまわないとなかなか体力の回復は望めない。
今までの経験上、この入院期間だと最低でも1ヶ月はおとなしくしている必要はあるだろう。
前回退院直後、苫小牧での芝居に参加したが、体調は惨憺たるものであった。
1日入院、回復は3日。
とすれば2ヶ月弱の今回は6ヶ月は回復に時間がかかる計算になる。
案外、そんなもんだろうなぁとぼんやり空想する。
4ヶ月入院していたとき、なんだかんだと回復したなぁという実感を得るまでにはやはり1年とかそれくらい必要だったわけで。
なにがどうという具体的な肉体的データがあるわけではないのだけど、まず、とにかく非常に疲れやすい。集中して何時間も仕事なり稽古なりをするためのスタミナに決定的な弱みがある。
睡眠時間は8時間から10時間。
体力だけではなくて、精神的な面でのリハビリも多少は必要になってくるだろうし、頻繁に病院には通わないといけないし等々。
医療費の関係で割と簡単に入院はできるんだけど、そのからのリカバリーは結構真面目に考えないといけませんです。

眼圧は点眼薬のおかげなのかどうか、とにもかくにも通常値に近い値におさまっているようだ。
自然と眼をかばうように気持ちがいっているせいもあるかもしれない。
テレビやパソコン画面を見る時間を短くするとか、長時間連続で本を読まないようにするとか。
眼に関しては前々から微妙に不安には思っていたので、これを機会にもう少し大切に考えるようにしましょうという標語を残し、とりあえずは一安心といったところ。
それよりもクローン君のこの先の方が問題で、いったい何が分かっていて何が分かっていないのか、少し勉強した方がいいのかもしれない。
それなりに情報を入手する手段はないわけではなし。
根治治療はまぁ、気長に待つとしても、もうちょっと「これぞ」という治療法を期待したい今日この頃。
とりあえず、あと1、2年か。


2001年11月16日(金)

昨日はなんだか疲労困憊。気が付くと意識を失っていた次第。
だからといって熟睡かというとそうでもなく、どうにも落ち着かない夜。少し似たような状態が続いている。部屋の中が暖かすぎるのかもしれない。個人的には肌寒いくらいが丁度いいのだけど、これは貧乏性か?なにはともあれ、調子が狂っている感じ。
眼科通いは続く。目薬が効いてきているようだ。偶然とはいえ、早く分かってよかった。その代わり1日5回の点眼。
緑内障は眼の成人病と言われるようだ。ほっときゃ失明するんだから、眼も当てられない。
まぁ、今回もいろいろついでに分かったことがあり、眼もその一つ。アレルギーの検査もまた一つ。胃にできてたポリープもついでに取ってもらったり。不健康ゆえの役得か?
肉体的にはそんなとこ。精神的にはやや不安定。落ち着きがない。ややしんどい。


2001年11月14日(水)

不安。漠然とした形をもたない不安。誰しもがそれぞれに抱えているだろうに、ついつい自分だけが特別なんだと思ってしまう浅はかさ。と同時にそのリアリティ、絶対感。
午前中、外出して眼科へ。
別件での簡単な検査のはずが、意外な結果。ある意味、偶然の成果。
眼圧が通常の倍くらいあるらしい。緑内障のような症状。プレドニンの副作用なのか、はたまた・・・。
とりあえず様子をみるしかないだろう。近視が強いのも確かだし、それとの相関も十分に考えられる。
薬をもらい、明日明後日も通院。
微妙にショック。
難しいやね、なかなかに。
時間が経過するにつれボディブローのように効いてくる感じ。
……って、それほど大ごとか?嫌気はさすけど。
本を買い、映画を観る。

<追記>
コトバ。
コトバの力。
神は名付けることで世界を創った。
名付けられた瞬間、新たな秩序が生まれた。
混沌が事実となり、状態となる。
コトバとは契機であり、はじめであり、力である。
だが、根源そのものではない。
キリスト教神学では、この根源を神に求めた。
……話が逸れていく。
つまり、ある症状に名前が与えられると、途端現実味を帯びてくるという話。それまでと何も変わったこともなく、己の存在はそのままなのに、新たなコトバが降り注がれた瞬間、まるで無から生じたかのようにその存在がクローズアップされる。
考えてみりゃすごい話だ。
このすごさがコトバの醍醐味なのかもしれない。
それはセリフを引き受ける責任感ということでもある。


2001年11月13日(火)

外は雪。
腹痛は思い出したかのように時折。
麺が食べたい。
CRPは陰性。明後日からプレドニン減量。食事も始めてみて様子見。
結果、安定すれば退院が見えるシナリオ。
うまくいけば来週中に退院の可能性もあるが、この手の期待には乗らない方が無難。
微妙な腹痛が不気味である。これがなくならない限り復活は難しい。
自分の病気の説明をするのが面倒だ。病名自体がマイナーなのもあるが、用語解説から始めないといけないせいもある。
シュヨウとカイヨウの違い、分かります?


2001年11月12日(月)

微熱はやや落ち着きつつある。しかし、若干の腹痛あり。下腹部が重い感じ。
健康と仕事と演劇と生活と。身体はひとつしかないのだから、優先順位をつけないといけない。突っ走るだけではどうしようもないのだ。
気が滅入る。ただとどまっていたい。
いつものこと。
体調が上昇してくると精神も向上する。途端、肉体がガタと離脱する。落ち込む。……この繰り返し。なんだろう。やはり「焦り」か?
たが、何に対して?


2001年11月11日(日)

例えば受け取る情報量の違い。病院という社会、演劇という社会。いろいろな人、その類型と「その人」性と。
てなことをぼんやり考えているうちに消灯時間になり。
先のことなど考えずに、「今」だけをそのままで生きられることが幸せなのかどうか。そこには絶望もない代わりに希望もない。
前を向いて歩もうとするならば闘わざるを得ない。力を尽くすだけなんだが、時にいいようもない不安感に苛まれる。
つまるところ、「今に見ていろ」から始まっているだけなにかもしれないけど。
今回の外泊は観劇も目的だったのだが、かなわず。集団としての技術・知識の蓄積を思う一方、結局「人」だよなぁと、なんとなく。



2001年11月10日(土)

久しぶりにパソコンから。
携帯のメールを通して雑記を書いていたけれども、案外、饒舌なようだ、この人は。
今日と明日、外泊。
事務所でダラダラと。
やはり地下は時間が流れないなぁと、実感。
環境とは恐ろしいものだ。
窓際のベッドと、窓の一つもない地下室。
この落差は大きい。
時間のよどみ。
見せ物をするにはいいけれども、生活スペースとしてはどうにも適当ではない。そんなことを改めて実感している外泊患者。
まぁ、もっともここは職場であって、生活スペースではないのだけど、一日の大半を過ごす場所としては、人間に厳しい環境なのだ。つまり、空気の流れというもので、空気も時間もよどんでいる。
それは良い意味でもあるのだけど。
よどみの中から生み出されるもの。
しかし、そこを「日常」とするには、それなりのエネルギーを必要とすること。


2001年11月9日(金)

昨日は大腸カメラであった。予想よりも状態は良く、前回入院時の狭窄部は多少の跡を残しつつ解消されていた。が、カイヨウの温床となっている部位はかなりきれいな状態にはなっているものの、傷が治りきっていない。CRPが陰性から陽性になったのも、ここの傷が治っていないためだ。
よって食事の開始は延期。今回は慎重に経過を見ているので、ゆっくりゆっくりというわけだ。来週頭の採血の結果を見て、食事開始かどうかが決まる。だもので予定がずれこみ、今月いっぱいは別荘生活ということになりそうだ。やれやれ。
まぁ、悪さもしないで限りなく真面目に患者人生まっとうすれば、この若干の時間が埋められたかと問われたら、答えは否だ。
肉体的物理的な事象だけが問題なのではない。心理的精神的ストレスをいかに零に近付けるかがポイントなのだ。


2001年11月8日(木)

安らかなる生活。
病気のことを考える時のキーワードのような言葉。そのための第一歩としてはカオス状態の部屋の大整理だろう。つまり、必要なのは心身ともにくつろげる場所であり、時間であり、状況なのだ。
心安らかなることがよい状態を維持するための第一条件といっても過言ではない。
もっとも「君子危うきに近付かず」なわけで、予防のしようがないわけではないが、君子ならぬ愚者はついつい引き込まれてしまうのである。
病院にいるから安静であるかといえばそうでもない。ただ何もしないというだけだ。ここもひとつの社会であればストレスもたまる。プライベートなどあったものではない。
心安らかなる毎日を。心からくつろげる時間を。


2001年11月7日(水)

午後、微熱と身体のだるいのはいつものことながら、どうにかならないものかと思う。病院にいて、定期的に検温しているから分かることだが、おそらくこの4年間ずっとこの微熱状態は継続しているに違いなく、すっきりとしていると感じられる日なんて年に数日といったところだろう。そういう状態に慣れてしまったせいもあり、「こういうもんだ」と思っていたが、やはりこれはこれで常に病気から自由ではないということなのだ。
微熱、身体のだるさ、決してすっきりすることない結腸部。この3点セットから解放されるのはいつのことか。
焦り、不安、苛立ち。わかっちゃいるけど、ま、わかっちゃいないんだろうなぁ、なんて。
走るのにも走り方の問題なのだ、と今日も反省。


2001年11月6日(火)

薬を使わなくても眠られることは眠られるのだが、眠りが浅い。ここ数日は「ぐっすり」と眠っていない。薬は効くのだが、ふつりと意識がなくなる感覚が不快でもある。
眠気は十分。


2001年11月5日(月)

日月と外泊していた。
昨日は芝居を観、映画を観でダウン。体力の落ちるのはあっという間だ。回復にかかる時間を考えるとますます痛感する。入院を繰り返すようになって4年。体力は入院するたびに落ちていく。これを取り戻すには精神力というわけだ。
さすがに今回は落ち込んでいるのは事実。いたしかたないのが半分、自己管理の甘さ半分。その根本には焦りのようなもの。そりゃもたねぇよ。そうじゃなくとも病気持ち。
検査をし、結果を見、改めて病気のことを考えると、自分の範囲が見えてくる。それがまた、悔しい。いまだ、病気と向き合えていないのだ。
弱さを虚勢でカバーする。けれどそれは虚構で、長続きするようなものではない。否、人はなんらかのフィクションを生きている。タマネギの皮。構成に無理があると物語はあらぬ方向に飛躍してしまう。
戦っては勝てないのだ。戦わなずして勝つ。そのための力が欲しい。


2001年11月3日(土)

入院中の曜日感覚は平日と土日の差くらいしかない。だから唐突に祝日だったりすると困惑してしまうのだ。とはいえ、今日はあまりにも何もしない一日であった。
まぁ、入院していること自体、何もしないことを意味しているのだけど。さすがに日がなブラウン管に向かっていると何もしていなくても微妙に疲弊してしまうようだ。
昼寝もほとんどしないし。
一日の大半をベッドの上で過ごしながら微妙に寝不足感に襲われるのも変な話だ。普段の生活ではありえない。
つまりはナマケモノは案外多忙ということで。


2001年11月2日(金)

我慢するというのは、それなりに易しいことである。たいていは抜け道があり、裏技があり、終わりがあるからだ。
我慢することは簡単だ。だが、簡単ゆえになかなかできないのも事実。理論的には絶食&エレンタール&イントラリピットがいいに決まってる。それなりにやり通す自信も実績もないわけではない。
だが、だ。やはり弱い人間。あまり真面目に我慢するとかえってそれがストレスとなり、暴走しかねない。
(事実、暴走時は「食べる行為」そのものが目的となる)
それよりは適当に悪さしつつ、一線を越えないように注意している方がよい。
これはこれで賭けでもあるんだけど。

<追記>

病院で眠れないのは、一日中ベットを中心とした生活だからということもあるけれど、理由はそれだけではない。たとえベッドの住民でも、日中はほとんど昼寝もしない。むしろ日常生活に根源があるのだ。
考えてみたら「寝るぞ!」と意気揚々と眠ることなんてなくて、疲れてバタリとという毎日であり、それがいつの間にか習慣になっている。疲れてもいないのに眠れないのはある意味で当然なのだ。
とはいえ、それはそれで不健全な生活状況なのであり、ましてや難病の人間のすることではない。
もっとも、「難病」という事実ゆえの行為なのだろうが。
理屈では理解していても、心理の面ではまだまだ病気との折り合いがついていないということなのかもしれない。いまだに「それってウソよん」とある日突然治ってる、なんて空想したりもするし。
でも、僕と芝居をつなぎ止めている大きな要因もまたこの病気なのだ。たぶん。


2001年11月1日(木)

明日からプレドニンの量が外来レベルに減る。このあと1週間様子を見つつ、1週間米飯を試験しつつ、何もなければ退院ということになる。
おなかの調子は悪くはない。が、完全でもない。思い出したかのように痛くなる時がある。どうあがいても忘れさせてはくれないようだ。そこが困りもの。
それにしても今回は何もしていない。前回は坂口安吾読破なんてしていたけど、今回はまるで何もなし。これはこれでいいのだ。


2001年10月31日(水)

外出。低血圧気味なのか、ふらつく。こればかりは病院にいてはどうしようもなくて、慣れるしかない。
病状には変化なし。痛みや張りなどもない。血液検査の結果も早い段階で陰性化を示している。今までだらだらと陽性反応を示していたのとは大きな違いだ。
後は実際にカメラで見て確認するのみである。僕の仕事は根治療法が見つかるまで今の状態を維持すること。医療科学の進歩に期待を寄せるのみである。国家の予算が少しでもこうした研究に使われることを願うばかりである。
今日の月は赤、黄色。
戦わざるをえない人達。
青臭いけど、武力では何も解決しない。戦争は憎しみを再生産するだけだ。


2001年10月30日(火)

朝が早かったせいか疲れているようだ。
病棟という空間は一種独特のルールのようなものがある。疲労感にしても日常生活とは異なった基準で判断される。だらだらしているのが仕事みたいな環境ゆえに、これに慣れてしまうと息抜きが苦痛となる。
プレドニンの副作用がじわりと出始めている。量は確実に減ってはいるものの累積量はビギナー脱出くらいはあるだろう。体にぽつぽつと吹き出物が現れたのも、その一つ。睡眠が浅いのもプレドニンの影響だろう。今回は薬を使って寝ている。
完全離脱には時間がかかるだろう。魔法の薬は存在しない。何かと引き換えに効果を生み出すだけだ。


2001年10月29日(月)

娑婆へ。適度なペースでの外出は気分転換になるし、社会復帰へのリハビリも兼ねている。
実際、筋肉は2週間でどう動かすものだか忘れてしまうくらいのものだから。
自分では文化系人間であろうとしているけど、どうも体育系人間的傾向があるようで。いざとなったら「気合い」みたいな部分は否めない。これは強くなることへの憧れなのかもしれない。肉体的な強さへの憧れは本能的なものだ。生存競争を勝ち残るために。


2001年10月28日(日)

3度目の日曜日。土日の病棟は平日とは空気が違う。何も変わらないかのような入院生活にも1週間のリズムはあるのだ。
外泊する人、地方から家族がお見舞いに来る人。土日はそんなイレギュラーがあちこちにある。
実は今日まで気が付かなかったのだけど、自分のテレビの傾向。かなり意識的に「食べもの」番組を選択している。まぁ、食いたいからしょうがないけど、あまり人に見せたくない光景だ。絵としてはかなり哀しいものがある。しかし、当人にしてみれば、むしろ見て、何かを発散させたいのだ。
なにはともあれ、「食いたい」。


2001年10月27日(土)

時々、ふと気がつくとぼんやりしている。
今日はそんな一日で、ついうっかり忘れてしまうなんてこともしばしば。入院中だからそもそも緊張感なんて皆無なをだけど、それを凌駕するぼんやりぶりな一日であった。
まぁ、この休暇中は本当に停電状態で、何も吸収しないし、発信もしないと決めていたから目標通りなのだけど。
問題は残りの別荘暮らしが終わった後に社会復帰できるかどうかだ。
今はとにかく休める限り休みたい。
肉体も精神もそれを要求していたということなのだろう。まぁ、精神的には居心地がよいとはいえないけど。


2001年10月26日(金)

いつものことだが、初めての外出は疲れる。
2週間アスファルトを踏まないと、足はこれだけ衰えます、という見本のような状態で、体は筋肉で動くということを再認識するような体験である。
そういう意味ではリハビリのようなものなのだろう。
何かを始める、再開するエネルギーは沸いてこない。今は休みたいだけ。


2001年10月25日(木)

注腸バリウムの写真を見る。前回よりもいい状態だが、大きく前進しているというわけでもない。
もう少しで新薬が認可されるので、それに期待しつつ状態を維持するしかない。対処療法から病因に少しでも肉薄するような進歩を期待しつつ。
後退はしていないのだから。
手術だけは避けつつ。


2001年10月24日(水)

人のお見舞いが苦手な僕は、人がお見舞いに来てくれると恐縮してしまう。
きっと入院中はあまり話をする機会がないので話をすることに不安があるせいだろう。
時に不必要に饒舌になることがある。
今回、この状態がさほどでもないのは、ものを書くことをしていないせいだろう。
芝居のことをまるで考えることなく、従って頭はぼんやりと一日を過ごしているせいだ。


2001年10月23日(火)

これくらいの時期になると夜眠れない。かといって昼寝をしているわけでもない。生活リズムの問題と退屈な毎日と体を動かさない時間と。
エレンタールのみだとコレステロール不足になってしまうので週2回、イントラリピットを入れることになる。後のイベントは大腸カメラくらいか。週末くらいには外出できるかもしれない。状況が安定してしまえばプレドニン減量を待つばかり。


2001年10月22日(月)

モバイルツールを使って病院から。
入院から10日あまり。あらかたのイベントを終えて、後は検査結果のまとめと経過の観察が残るのみ。相変わらずこの流れは健在だ。
今回はさすがに手術も覚悟していたが、とりあえずクリアのようだ。「切り始めたら止まらない」。多分、きっと。
これくらいの時期からストレスがたまってくるのもいつものこと。考えてみたら病院の楽しみなんて食事くらいなんだから。
ただ今絶食中。といっても、この病気になって4年、病院で食べた食事はおにぎりのみ。たいていそこまでで退院となる。つまり、病院の御飯を食べたことがないのだ。
食事の時間ほど嫌な時間はない。病棟は「その時間」目がけて沸き立つが、ただただ不愉快な時間となるだけなのだ。こればかりはなかなか慣れることができない。
「仕方がないさ」と悟るにはまだまだ修行が必要だ。今回はプレステ導入のせいで、時間は潰せている。もうひとつには、今、何もしたくない、というのもあるけど。わかっていたとはいえ、それなりに精神的に落ち込んでもいるのだろう。