L/W 入院雑記2001

※2001年12月26日 道都病院入院。
※2002年2月8日 退院


20020207(木)

最後の晩餐ならぬ、今回の入院シリーズ最後の夜であり、もうしばらくはあって欲しくない入院雑記の最終回。
パソコン画面上では相違はないが携帯で一文字一文字入力しつつ文章をものすのは、例えば手書きともまた違うニュアンスがある。
おそらく他のツールを使うより、携帯は一文の文字数は少ない。伝達できる文字数が限られていることもあるが、やはり打ち込みにかかる時間もあるからではないか。
なるほど絵文字は便利だし簡潔だ。とはいえ全然使えないのだけれど。
便利だし楽しいし面白いけど、心惹かれない。ここら辺、頭が堅いのかもしれない。それなりに「言葉」への思い入れがあるせいか。
書きかけの台本は始めから書き直すことにする。
今自分に与えられた状況で、自分が観たい芝居をつくる。
そのためにもう一度設定やら何となく気にしていた事々を再検討する。
(睡魔。よって退散)


20020206(水)

退院決定を受けて、まさに最後の試験としての外泊。
勿論、そういう決まりがあるわけではなく、単純に「本当に大丈夫なのかい?」という自分自身へのテストのようなものだ。
3ヶ月間も入院していたのだから、もう少し助走期間をおいて、例えば2連泊、3連泊してから徐々にならしたいところが正直なところ。
だが、まぁ、そうもいっていられないというか、あんまりのんびりともしていられない。
これは周囲の状況というよりは自分自身のテンションというか、内的な状態といった方がいいのかもしれない。
とにもかくにもここ数日、2月上旬とは思えない暖かさもあって、ややほっとしつつ、自宅へ。
入院中、厳しい冷え込みもなく、水道管もどうやら無事だった様子。
いろいろと請求書だの何だのと来ていていささか辟易しつつ、それらの整理は退院後に委ねることにする。
まずは、娑婆での生活が本当に可能なのかどうかの試運転からスタート。
マイナスからのリセット・スタートは相変わらずで、しかも思っていたよりも長期間の入院によるダメージというか、様々な側面でのマイナスポイントは大きい。
単純に体力がない。
部屋の整理をしたり洗濯をしようにも、いちいち休みながらではないと何もできないというのは、わかっちゃいるが、なかなかに情けない様でもある。


20020205(火)

退院が決定した。
タイムリミットでもあり、血液データ的にもプレドニン投薬量的にも通院レベルに落ち着きそうな状況ゆえ。
出たから完全復調というわけではないのは言うまでもなく、これからが長いし面倒臭いし我慢だの努力だのしておこうという日々なのだ。
3か月も病院生活していると、いくら外出や外泊をしていても、まるで浦島太郎だ。
疎外感というよりは、乖離感のような。
「まともな」社会よりは不条理な病院という空間に長く逗留したせいだが、退院は喜びよりはむしろ不安だ。
病院では「病人」であることが外的環境・内的心情双方から保証されている。
(以降、強烈な睡魔に襲われ執筆断念)


20020204(月)

そういえばクローンでの最初の入院の時は、病院から大学に通っていたのであった。それなりに単位も取っていたはずで、今にして思うと「よくやってたなぁ」というのが正直な感想。
実際、体力はガラガラと音をたてて崩壊、ちょっとやそっとでは取り戻せそうにない。
「社会」からじわじわと乖離していく感覚。
このマイナスは最終的にどのような形で帳尻を合わせるのか。
3歩進んで2歩下がるならいいのだ。3歩進むも4歩下がる、時には5歩だったりするからシャレにならない。
しかしまぁ、ここはアンゴだなと。
「イノチガケでイキテやるぜコノヤロウ」と。
ダザイではなくアクタガワでもなくミシマでもなくアンゴな理由はそれだ。
入院中に稽古というのもなんだが、日中時間を作ってもらいオギスタにて。
演出の感覚もリハビリ中。
とりあえず「第一の観客」として。
それにしても、我ながらよく笑う演出だなぁとやや反省しつつ。
その分、役者は笑えなくなる。
それでいいのだ。


20020203(日)

数日前に比べ、ある程度までは調子は回復している。やや不安定な様子はあるが、低いレベルで安定の方向にあるようだ。
とはいえ、午前中は相変わらずだるいし、昼から夕方にかけて微熱が出るのは変わらない。
外出・外泊はある程度自由で、いちいち主治医の許可をとらずともいいのだが、このような状態では外に行くのも不安があるというところが正直なところ。
時間も微妙な時間帯になるし、何かをするにも貧乏だったりするところが悲しい。
金持ちになりたいというのではないが、必要なときに金の心配をしなくてもいいような生活を送りたいものだ。
何ごとも中庸。
人生において「幸せ」はおおむねバランスであるというのが持論だが、こと金に関してはそうではないらしい。
もっとも「幸せバランス論」もあやしいもんだが。


20020202(土)

結局のところ、体調の善し悪しはある程度その変化の度合いや変動の仕方によるのだろう。
ある状態が一定期間保たれ、その付き合い方に慣れてしまえば、それが常態となる。しかし、良くなってみたり悪くなってみたりなかなか安定しない状況、こちらの方がつらい。
振り幅が大きければつらいのはもちろん、細かく常に変化しているのも相当イライラさせられる。
だから後はどのあたりで「妥協」するかということでもある。
内科系の病気は特にそうだ。
完全健康体に比べ、どの辺りで安定を保つか。この塩梅と状態維持のための日々の手間はそうそうたやすいものではない。
単純にワガママの範囲というか自由の度合いが狭まるわけで、そりゃストレスもたまるというものだ。
「健康だったらこんなことしなくてもいいのに」というようなことを日々の生活でしなければならないからだ。
通院、点滴、服薬、運動、リハビリ、食事制限などなど。これらに真面目に取り組んだところで、完全に良くなるわけではない。そこが悩みどころなのだ。


20020201(金)

一般的な「治る」イメージは外科モデルである。
すなわち、ドカンと悪い状況を乗り越えたら、後は日々快方に向かうというそれ。
内科はなかなかそうはいかない。データとにらめっこしつつ、良かったり悪かったり停滞したりをじりじりしながら待っている。
曖昧な部分が多いのだ。
これは言葉の問題でもある。
同じ「調子が悪い」でも具体的に何がどのように悪いのか、その表現は当事者であっても難しい。
とにかく、ここ数日は「調子が悪い」のである。
エレンタールすらまともに受け付けない。時間をかけてゆっくり飲んでいるが、エレンタールを飲むだけで一日の大半の時間を費やしている。
ひとえにこれは右下腹部とみぞおち周辺の差し込むような痛みゆえ。
熱はないが、非常にだるい。吐き気はないが口からモノを受け付けない。
今日の夕方くらいからようやく回復傾向だが、状況は逆戻りだ。
そりゃ鬱屈してくるわな。


20020129(火)

なかなかうまく緩解に導入できない。
いつものことといえばそうなのだが、入院のたびに緩解導入が難しくなっているような気がする。
ある程度までは一気に下がるのだが、プレドニン20mgあたりから足踏みが始まる。
それでも通院可能な範囲までプレドニンは減量しているから退院するが、その後のケアが良くないのかもしれない。
理想を言えば1か月、本当に何もしないくらいの療養が必要で、そこから少しずつ社会復帰するくらいのリズムなのだ。
どうも入退院を繰り返すうちに、そこら辺の感覚が鈍ってきているのかもしれない。
「これくらいなら大丈夫だろう」という小さな無理の積み重ねが、結局は自分の首を締めることになる。
とにもかくにも状況に進展はなく、これぞという打開策もない。
退院のタイミングは微妙だ。


20020128(月)

ま、多少は予測していたがエレンタール7P生活に逆戻り。明日の採血結果がなんとなくみえるようだ。
この微妙な状態はほぼ常態と言っても過言ではない。
普通に食事をし、普通に働き、普通に運動し、普通に酒を飲む。
もはやこれは憧れの夢物語だ。
今年あたりから新薬がでる。効果は期待されているが、副作用もなかなかインパクトがあるようだ。もはやこうなるとリスクに見合うだけの治療効果かどうかの見極めが大切になる。プレドニンすら大小数々な副作用があるが、新薬レミケードはどれくらいのものなのか。
原因治療はいったいいつになれば実現するのか。
待つしかないのだよ、待つしか。
それよりは共存の可能性を探るしかないであろう。
しかし、自分が自分自身に否定されている状態というのは気持ちの上で嫌なものだ。
免疫な諸君よ、何が不満なのだね。


20020127(日)

外泊から戻る。
下痢症状は昨晩深夜まで続き、最後は下血(鮮血)。かなり嫌なムードになる。
午前中から夕方にかけてもまったくパッとせず病院に戻る。
相変わらず平均して体温は高い(36.8前後)が、37度台まではいかない。
下痢症状はとりあえずなし。便意そのものが通常モードにやや近く。
腹痛は微妙に。午前中はかなり低調だったが、今は多少まともに。
だが、微妙。病んでつらいことはないが、限りなく黄色信号。
・・・と、病状に変化があればこんな感じ。
状態は悪いわけではないが、かなり不安定。「いつでも悪くなるぜぃ」と待ち構えている感じ。
うーん、なんとか今月末に決着つけないとちょいとつらいのだが、不安要素は多い。
疲れた。
退院後はいったいどれくらいの期間療養していればいいのか。
やれやれ。
とりあえず肉が食べたいぞ!と静かに叫んでおこう。

テレビで若い女性の指揮者を追いかけていた。本番前、彼女は眠る。
だよなぁ、と思う。
彼女の意図とは違うだろうが、本番前はなぜか眠くなる。時間にしたらせいぜいが3分だろうが、実際に眠ることが多い。
そうすると精神的にフラットな状態になり、変に力んだり緊張しなくなるので、意識的にそうするようにしている。一種の集中法みたいなものだが、そういやこれ、中学くらいからずっとやってたことだった。
役者に関して言えば、いったん意識が断絶することでトンネルをくぐる感覚。一度精神的にプレーンになると、そこからは一気呵成に集中できる。
難しいのは眠りのタイミング。早すぎても遅すぎてもすっきりこない。
ま、ジンクスみたいなものだろう。
楽屋の様子は、その集団で違う。
ところで僕は自分の劇団の楽屋の雰囲気を知らない。
次こそは、と思っているんだけどなぁ。


20020126(土)

今回の入院初の外泊。
調子はさほど悪くはないのだけど、やはり昨日の下痢はやや続き。
どうにもよく分からないのが自分の身体のことだったりする。
たまった雑記をアップしつつ、あまりめでたくない雑記だなぁと改めて感じる。
とはいえ、めでたくで仕方のない雑記も、らしくなくて、それはそれで何かあったのかという事態にもなりかねないので、これくらいで丁度良いのかも知れない。
これもまた、プレドニンの影響なのだろうか。
最近、指が震える。
ペンを握る手に微妙に力が入らない時がある。
まぁ、多少おまけがついてきてももはやあまり変化なしといえばそうなのだけど、少し気になる状態といえば状態。
副作用といえば、体に発疹が今回も出ている。
これはプレドニン減量とともに消滅のはずなので、あまり心配はない。
昨年からの服用のせいだろうか、今回はややムーンフェイス気味。
会う人ごとに「太った?」とか「元気そうだね」と言われるが、実際はただの副作用なだけだったりする。
それでも、まぁ、「案外元気そうじゃないか」と安心してもらえるのはそれはそれでいいのか。
……やっぱりパソコンで書くのは速いなぁと、しみじみ。
携帯で文字を打つのにもかなり慣れて、それなりの速度でいけるなぁとは思っていたのだけど、全然スピードが違う。
メディアによって、身体と頭の回転の仕方というかアプローチが変わってくるのも、それなりに面白い経験である。

<追記>

改めて読み返してみると実に陰気な日々に見えてしまうのは、実際そうだからというよりも、その方が盛り上がるだろう(何が?)というスケベ心なのかもしれない。
まぁ、実際はかなりのほほんと生活しているわけで、しかし、のほほんが一方で義務でもあるようなライフスタイルでもある。
おそらく時間感覚というやつだろう。
物理的な時間と精神的な時間の感覚。
時間は必ずしも数直線で描かれるようなものなのではない。
伸びたり縮んだりするのが時間。
楽しい時間はアッという間に過ぎてしまい、どうでもいい時間が堆積している。
ところが「生きる」という意味においてはこのどうでもいい時間の方が何かと面白かったりするから不思議だ。
楽しい時間を描写するよりも、このだらだらと堆積された時間をいかに的確に面白く描写するかが勝負のしどころのような気さえしてくる。
折角の外泊なんだからここぞ台本の書き時なのだけど、本日はお休み。
だらだらとパソコンの前でインタネットなどしていたりする。
が、しかし「インタネットする」とか「趣味がインタネット」というのがどうにも分からない。
「利用する」というのなら分かる。
いや、そうでもないか。これを読んでいる奇特な皆さんからすれば「インタネットする」の感覚なのか。
もっとも、この雑記は「手代木、生きてます、なんとか」みたいな、手紙の様なものでもあるから、そう言う意味では「利用している」か。
話が逸れた。
そうではなくて、台本を書いていて思うこと。
つまり、セリフなんて、あるいは書かれたコトバなんて、結果に過ぎないのだなぁ、ということ。
ウンチのようなものだなぁ、と。
もっともウンチにはそれなりに情報たっぷりで、ウンチを分析するとその人の体調なり生活習慣なりがかいま見れる訳だからそれはそれでかなりの貴重物なのだけど。
大切なのはセリフの背景にあるもの、書かれなかったコトバなのだということさ。
むしろこれは役者をしているときに痛感することでもある。
自分自身が浅い人間だとセリフも浅くなってしまう。
何故か。
それはそのセリフに相当する内的確信がないからだ。
役者はなんでも出来ることが求められる。もっとも、そんなスーパー人間はそうそういない。
だから少なくとも情報だけは、引き出しだけは豊かにしておく必要がある。
それはそのセリフの背後にあるべき描かれない内実だ。
だいたいが何十年と生きている人間を演じようとするのに2、3ヶ月の期間でその人物になりきれるなんて無茶な話でもあるのだ。
と、まぁ、そんな話。


20020125(金)

調子がいいんだか悪いんだかはっきりしない。
腹痛はなし。微熱も微妙に安定。だるいのは相変わらず。下腹部のニヤニヤした感じは治まっている。
ところが唐突に下痢だったりして。改めてコントロールの難しさを認識させられる。
なにせいったん腹痛が始まりCRP陽性になれば平気で4〜8週間の入院、当然絶食&プレドニン増量、つまり「リセット」となる。
ゲームなら同じところから再開可能だが、こちらの世界は時の経過がある。
「リセット」のたびに身体能力が低下するのみならず、社会生活を営む機会や範囲が極端に限定されてしまう。
のほほんと入院している間はまだしも、その後を考えると少しずつ追い詰められていく感覚。ある程度の状況まで持ち直すための時間が、ちょっとした無理によって崩壊してしまうダメージは思いのほか大きい。
身体優先で生活するには、断ち切るなり諦めるなり一時停止するなりせねばならないものが結構ある。
それはそれで単純に悔しいのだ。

そこまでして優先すべき身体か、とすら思う。
だが、身体なくしてはできないこともまたある。
このジレンマ。
開き直りが大切なのかもしれない。限定された条件でできることを模索すればいいだけの話なのだ。
その実行を阻んでいるのは、たわいのないプライドとか意地とかなのかもしれない。まぁ、そういう意味でも腰が重いのも事実。
最終的には決断力だったり判断力だったり実行力だったりするのだろう。
力むとおなかが痛くなってしまうのも難点。
力まず決断、頑張らず実行。
なかなかできることではないわな。
結局は「誰かがいてくれる」という絶対的確信が欲しいだけなのかもしれないけど。
以上、他力本願な話。


20020124(木)

筆が遅いというよりも腰が重いという方が正しい。
しかし、勢いというものは大切で、特にとりあえず書き始めてしまうタイプの僕には必要だ。
プロット決めて、ハコ書きして書き始める……なんてこともしてみたこともあるが、どうも向いていないようだ。
むしろ書き始めたはいいものの、あらぬ方向に流れ行くのが楽しみですらある。
あぁ、つくづくストーリーテラーにはなれないなと思う瞬間である。
まぁ、だから動き始めるまで待つこともあるわけだ。そうすると一歩先が出てくることもあるし、五歩先だったり終点だったりすることもある。
ありがたいのは五歩先くらいの出現だ。それくらいがちょうど見通しが良くて、なんだかちゃくちゃくと進行している気分に浸れる。


20020123(水)

思い付きなんて唐突で当たり前で、急に台本書き始めても不思議はない。とはいえ、病室ではなかなか書けるものではない。
そもそもあまり籠って書くタイプではなくて、人の気配があった方がかえって集中できる、否、集中し過ぎることなく適度の隙間を作ることができる。
というわけで喫茶店だのファストフードだのファミリーレストランだので時間を潰すことになる。
人の気配は欲しい、しかしこちらには構ってくれるなということだ。あまり深く思い起こすこともないが、こういう時の言動はおそらく不審だ。
パソコンは清書と編集用で創作向きではない。単純にノートとペンの方が機動力があるというだけではない。筆は乗るが、キーボードは乗らない。スピードはパソコンの方が圧倒的に速いのだけど、ひっかかりがないのだ。
ひっかかりつつ、追いつけないくらいがちょうどいいような気がするのはコンスタントに書いていない者のいいわけか。

病室ではなかなか書けない話だった。
最大の敵は消灯時間だ。ほぼ強制終了に近い形で作業は中断する。
だったらその時間に合わせて作業をすればいいのだが、一番筆が進む時間帯でもあるのだ。ま、根本的に昼間書く習慣にすればいいだけのこと(それはそれで弊害が生じないわけではない)。
時間だけが問題でもない。
……がとてつもなく眠いのでまたの機会に。

眠れるはずが全然駄目そうなので続き。
人の気配といっても、たとえば雑踏の中であったり、かたわらで別のことをしているとか、そういう状況であり、精神的には一人の世界なのだ。
ただ籠るとなると逃げ道がなくなる。これは大変に都合が悪いわけだ。
そういう意味では病室で台本を書くのはなかなか難しい。つまりは「目」の問題。
出だしはいつでも好調だ。風呂敷を広げるだけでよい。問題は落としどころ。
一つの絵は見えている。そこに向かいたいが、向かったら向かったで気に食わない。
単に天の邪鬼なだけか?


20020122(火)

最近、これを書いている最中に眠くなる。携帯持ったまま眠ったくらいにして。
コトバを出すためのエネルギー不足のようなものでなかなか集中力が持続しない。
前回・今回の入院でかなり頭の中は緩い状態。ここから一定のテンションに引き上げるにはそれなりの回復時間が必要なのかもしれない。少なくとも「今」は全然駄目な感じ。何かをしようというエネルギーが病院生活の時間にあっさりと流されてしまっている。
いかん、いかんのだ、なんて思うが、どうにも漏電し続け先に進まない。
昨年までのある種の焦りの感覚はない代わりに、何とも言えない気怠さがある。
身体の状態がそのまま精神に影響している。以前はこれにあらがうことが一つの病気との「付き合い方」であった。
なんだろう。やはり無意識の部分では相当落ち込んでいるのかも。
体調悪化で幾度となく「リセット」を余儀なくされ、さすがに少しへこたれているのであろうか。


20020121(月)

前回入院時に比べさらに「何かをしよう」という意思に欠けている今日この頃。
何かをしていないと不安でたまらない状態よりは少なくとも肉体的には楽だ。精神的にもこちらの方が健康的だ。ある意味では贅沢な境遇ともいえる。
黙っていても栄養補給ができ、睡眠に関しては好きなだけ、ぼんやりとする時間は山のように。
病院の一日もうまく使えばそれほど長くもない。
本日、霙の中外出。
髪を切る。


20020118(金)

しばしのお休みであった。
血液データ的にはカンカイになっているのでプレドニンをやや駆け足で減量。現在20mg。退院圏内ではある。
だが、患者本人としても不安要素が多く、「早く退院した〜い」ともならない。
自由が制約されているのは面倒だが、さすがに延べ3か月にもならんとする温室暮らし。今日も少し外出していたが、肉体的な挫折感は大きい。
いったいどれくらいの時間をリハビリに割けばいいのか。体力は言うまでもなく。エネルギーも。
後者はむしろきっかけか。


20020110(木)

今日はなんだかバタバタと。


20020109(水)

夜になるとようやく頭が動き始める。考える時間だけならばいらないくらいある。本や雑誌で情報を吸収する時間もある。
だが、体力がない。
肉体的な体力はかなり落ちているのは明白だが、ここでの問題は精神的な体力だ。
例えば3時間外出する。あまりの体力低下に愕然とするが、それ以上に今なにかをするだけの精神的エネルギーの欠如に恐怖すら覚える。
病院生活の時間感覚と娑婆のそれの乖離。この時間感覚のズレは大きい。スピード感の違いというか。
退院後の生活を考えてしまう。このギャップを埋めるための時間が必要だと痛感する。そこで無理をすると元の木阿弥ということになってしまう。今回の入院はまさに「ふりだしに戻る」といったところ。
退院してもしばらくはおとなしくしていろということなのだ。


20020108(火)

催涙番組といえばプロジェクトXである。本日、スペシャルで浅間山荘事件。
しょっぱな、おむすびの映像でやられる。以後、やられっ放し。
入院中は特にやられることが多い。他にすることもないので、自然、集中して観てしまうからだ。
しかし、まぁ、あまりテレビっ子・ゲームっ子でいるわけにもいかず、多少は書きものなど。と、いずれにしても目を使わずにはいられないわけで、いかに毎日の生活で目を使っていることかと再認識。
外出。
やはりやや膝が痛い。
ただの運動不足だけど、やはりプレドニンの副作用も気になる。


20020107(月)

昨晩は雑記を書いている間に眠ってしまった。昨日はさすがに睡眠不足だったのだろう。
今日は珍しく3人立て続けにお見舞い。せっかくなんだから分散して来てくれればいいのに、なんて。
ゲームをしたり、テレビを眺めたり、少しだけ活字に飢えてみたりしている。芝居のことも少しは考える。あまりだらだら正しい病人しているわけにもいかなくなりつつある。
どうも「これだ!」という精神がないのは、そもそもベースとなる自己がないせいだ。あるいは、「これが俺だ」と決めつけたくないのだ。決められもせず、ぶらぶらしているどうしようもない奴、ともいえる。
最終的には何かを選ぶか、どこかに落ち着くかするのだろうが、そうなりたいと憧れつつ、非常に単純な抵抗がある。多分、「誰でもありうる自分」という存在になりたいのだろう。「誰でもない自分」には恐怖を覚えるが、「誰にでもなり得る自分」には憧れる。
あ。
だから役者やってるのか?

せっかくサックリと眠られたと思ったら、夜中パチリと目が覚めてそこから眠れない。
眠りには苦労する。
入院中に限らず普段の生活でもそうなのだから、仕方がないといえばそれまでなんだけど。
娑婆にいれば疲れて眠るなんてこともできるが、いたって安静な別荘生活となればそれも叶わない。
今のところ薬をもらってはいないが、前回のように寝る前の薬を処方してもらうのがいいのかもしれない。
これで昼寝なんてしてしまったら、どうにも身動きができないわけで。なにせ、夜の行動に関しては制限が多すぎるから。普段なら稽古真っ最中だったり、仕事中だったりする時間に消灯というのは、なかなか慣れるものでもない。
いや、適応力が単に低下しているだけなのか?
なにはともあれ、間もなく採血の時間。その後、しばらくして起床である。・・・多分寝ているけど。


20020105(土)

外出。
プレドニン40ミリ中なので2時間程度。家と病院の往復のみ。
それでも多少はストレス発散。家からプレステも回収したことだし。
たった2時間の外出なれど疲れる。前回の入院に引き続き体力は相当落ちているのだろう。
膝も微妙に痛い。運動不足もあり、冬ということもあり、可能性としてのプレドニン副作用もあり。
プレドニン他ステロイド系の薬品でボロボロになっている人を見ると「いずれは」と恐ろしくなる。
結局は体のどこかに無理をさせるわけだから、強力なクスリほど「毒」になるのは当然のことわり。西洋医学の摂理である。
さて、今春認可されるレミケード。期待値はまぁまぁなれど、やはり副作用はあるのだろう。何でもいいから「治す」ための治療を待ち望むだけなんだけど。
もしくはQOLが高まるか。エレンタール中心のEDは確かに効果的だが、これでは精神的にしんどいのみならず、社会的にも「病人」のままだ。
病気そのもののつらさよりも骨身にしみるのは「病気持ち」として生活することなのだ。
後は「慣れ」か「諦め」。または「開き直り」。
いずれにしても前向きじゃねーや。

どうも1月というのは鬼門らしく。
昨年1月の雑記を読み返してみる(テキスト打ちみたいなウェブだから携帯でもまともに読める)。
かなりキテおりましたな、昨年も。今年も景気の悪い書き始めだったけど、去年もかなり最悪な滑り出し。しかもその後に体調を大幅に崩しているあたり、馬鹿馬鹿し過ぎて笑えない。
もともとがnegative thinkingな人間がムリヤリ前に前に行こうとしている、そんな感じです。
壮絶なのか、ただのアホなのか。まぁ、後者に間違いないんだが、少しは読んで面白いのは作者の情けか。
ギリギリのところでフィクションに仕立てあげられたら、それはそれでいいのかも知れないけど。
いやいや時々は読み返してみるものです。
しかし俺は元気のいい時ってーのはないのかね。そもそも文章のトーンがいかん。かつ、鬱屈している時に長文だから余計しょぼくれてくる。
別に読んで下さる皆様に愛嬌を振りまけるほどの芸もないが、多少は、ねぇ。
今のままじゃ、相当に駄目な人だからなぁ。ま、事実でもあるけど。
でも嘘書いてもしょうがないしな。


20020104(金)

仕事始め。病棟内も年末年始外泊の患者さんらが戻ってきて通常モード。ついでに状況も変化。
CRP陰性化&肝臓の数値も落ち着いて(データ未見)、点滴終了。イントラ週3回のみとなる。エレンタールは5P→7P。プレドニンも40ミリからの減量決定で、「通常」の入院パターンに。退院は今後の血液データとプレドニン減量の塩梅で、早くて1月半ばか。長時間の外出外泊は難しいだろうが、多少はできるようになるだろう。
とはいえ連続入院の影響は大きい。肉体的精神的回復には今年上半期を費やすことになるだろう。心も身体も相当にマイナスからのスタート。のべ3か月にわたる入院は最低でもそれくらいのインパクトはある。
毎度のことながら色々考えてしまうがな。これから先。まるで予定がたてられない。またいつか調子が悪くなるかもしれない。いっそのこと、全くの方向転換をした方がいいのかもしれない。
まだ何かをなしえたという何もないままに、何を選択すべきなのか。
入院の度にマイナスからのリセット。しんどいな。


20020103(木)

ストレスが相当蓄積されている様子。
こうなってくると何もしたくなくなってくる。
集中力は低下するし、イライラしてくるし。
入院生活、絶食、プレドニンの影響等々・・・原因は明らかだけど、いかんともしがたい。
矛盾しているようだが、食べ物番組はよく観る。代償行為と一言でまとめることができるが、内情は複雑だ。観ることで「食べたい」欲求を代償する一方で、欲求が倍加されて再生産されるという泥沼構造。しかし、観ないとこれはまたストレスにつながる。
客観的に「可哀想」なシチュエーションだが、こういう時は好きにさせておくに限る。変に気を使われるとかえってこちらが気を使ってしまうのだ。
やはり、第一に「共感」ではなく「理解」なのだ。つまり知識として相手を「知る」ということ。
人によりけりだけど病気を抱える人に安易に「治す」という言葉は使わない方がいいだろう。世の中、治らない病気は結構多いわけだし。案外、こんなたわいのない、悪意のない一言が人を傷つけることがあるのだ。それは「知らなかった」「善意で」などの言い訳は無効である。


20020102(水)

まだ新年2日目か。時間の経過は残酷なほどにゆるやかだ。
病院生活が長くなるといろいろな感覚が鈍ってくる。また、それを維持するためのエネルギーも低下してくる。
もっとも、そのような力を継続し、あまつさえアップしようなどということが、そもそも病人らしからぬことでもあって、常にギラギラしている入院患者なんて危なっかしいことこの上ない。
ストレスは順調に蓄積中。とにかく、食いたい。否、「普通」でいいから、健康でありたい。それだけの贅沢なのだけど、その「それだけ」の難しさ。「それだけの普通」のなんと難しいことか。
代わりに何かくれよ、と何度思うことか。
逃げたい気持ち。けれど「逃げる」に値することをしているのかという反省。
今は精神的にガス欠中。とにかく集中するしかないのだけど、身体がついていかないだろう。
うーぬ。自分勝手に行き詰まってるなぁ。


20020101(火)

めでたくなくともおめでとう。
ある意味では心静かに新年を迎えることができた。酒もおせちも餅もなく、エレンだけなのがタマニキズ。
点滴の針も夜になって抜いてもらい、数日ぶりにフリーハンド。
それにしても本当に正月のテレビは観るべきものがない。病院にこそCSを。
ストレスはかなりたまっている様子。ストレスがたまるとますます何もしたくなくなるのもいつものこと。まぁ、プレドニン増量でイライラしているのもあるのだろう。加えて食えない、外にも出られない、しかも正月などなど、苛立つネタにだけは事欠かない。
どうもこればかりは慣れるということはないようだ。
退屈はしない性分で、それはないんだけど。必要なのは暇潰しではなくて、「満たされてる」感覚、その実感。こいつには多少なりともエネルギーがいる。

全然眠れない。昼間うとうとしすぎているせいもあるけれど。
こういう環境にあって何か精神的なものを持続するのは難しい。時間がのっぺりと過ぎていって、いつの間にかいつもの時間になっている。
こういう時間の過ごし方は嫌いではないが、選択肢がそれしかないのは、やはり苦痛なのである。
あまりにも無力な自分といやがおうでも向き合わねばならない。
病気をひたすらに呪うばかりで、何も前に進まない。
よくよくこれは理不尽というやつで、いったい僕の人生、どこでバランスをとろうとしているのかしらと悩んでしまう。
悩みようもないのは百も承知。これが事実ってやつなんだから、しょうがないじゃないか。でもなぁ、何だか納得いかないんだよなぁ・・・
眠れない夜はいつも堂々巡り。
最近は負のエネルギーにやられっぱなし。
俺様、絶好調!なんて時が到来するんだろうか。
……ないな、多分。でも約束されてても悪くはないじゃないか。
そこんとこ、ひとつ、頼みますよ。


20011231(月)

今年を振り返るよりも、病室で年を越す侘しさ。
さすがに落ち込むよなぁ。
ま、来年来年。

自販機にお茶を買いに行く間に新年になっていた。らしくていいや。
気分が気分なせいか、あまり前向きなことは考えられない。
心機一転という部分と継続は力なりという部分と。多分、後退の部分も。
相も変わらず身体のことは継続で。しかし、同時に「健康管理」はしないことに。「健康管理」とは「健康な人」の用語であると気付いたので。役者が風邪をひかないのは健康管理だが、癌の人に健康管理を説くのは誤りであるのと同じ論理で。
「元に戻りたい」とは病気の人なら誰しもが望むこと。しかし、現実にはうまくいかないことも知っている。病気と健康の境界は曖昧だ。しかし、「病人」とそうでない人の意識は断絶している。
駄目な時はどうあがいても駄目なのだ。これがなかなか理解してもらえなくて、社会に戻るのに苦労している人は多い。病気に罪の意識を持ち込む習慣も健在だ。
なかなかなかなか。


20011230(日)

外は暴風雪、中はがらんと。
ただ今6人部屋にただ一人。寂しいとかいうよりも空間をもてあましてしまう。寒い。
点滴の本数が減り、エレンタールが3パック→5パックに。CRPも下がりつつあるようだ。まあまあの状況。
年末で患者さんの数も少なくて、全体的にまったりムード。の割に皆さん真面目に消灯している。ま、テレビにも飽きるか。明日なんかはもう少し賑やかなんだろうけど。


20011228(金)

本日は腹部エコー。
今日までの段階で肝臓と脾臓がやや肥大しているとのこと。
一方で抗生物質は今日まで。後は明日採血して年末は様子見(お休みなので)。点滴はそのまんま。やや液漏れで腕も腫れてきたのでいったん針を抜く。
明日あたりから続々と入院患者も外泊へ。僕の部屋は6人部屋で今3人が入っているが、居残りは僕だけ。寂しい年越しになりそうだ。
今までと異なる治療を行っているので、とまどいはあるがようやく慣れてきた。
例によって食事はなし。エレンタールも300cc×3回と、なんとも厳しい状況。今回はあまりゆっくりともしていられないので、やや焦りはあるが、プレドニン40mgでは身動きもできない。熱も微妙な出方をしてくるし。
……それにしても今回の入院雑記は闘病記録っぽいな。反省。


20011227(木)

昨日はそれまでの激戦を受けて何となく眠れたような気がしたけど、今日などはある程度状況が落ち着いたせいか、いつもの病院の夜に戻ったかのようだ。
今回の入院の病名はクローンはもちろんなのだが、加えて肝機能障害というおまけつき。採血の結果、肝臓の状態を表す数値が高かったようだ。具体的にどういう状況かは不明だが、もしかすると今回は後者がメインとなるかもしれない。今はとにかく検査をして結果を待つばかり。病院での年越しは決定的となった。
可能性としては何らかのウィルス感染が考えられ、抗生物質の点滴も行っている。
朝から晩まで点滴である。腕には点滴の針が刺さったまんま。以前は血管痛も時々あったのだが、最近はあまりない。まぁ、少しでも楽な方がいいに決まっている。
本日、腹部CT。明日は腹部エコー。


20011226(水)

逆戻り。しかも同じ病室・同じベッド・同じ風景。横になり微妙にくつろいでいる自分が哀しい。
退院してから必ずしも調子は良くなかったがここまで悪化する原因が見当たらない。
腹痛は適度に、とにかく熱熱熱。39-40度の熱。味覚は変わるわ、胃はエレンタールすら受け付けないわ、何かするにも普段の何倍もの時間はかかるわ等々。身動き取れず病院にいけないなんてのも久し振り。今回は「やばいやばい」と心の中で呟いていたけど。
高熱恒例「パズルの夢」。色と数字と模様と会話がぐちゃぐちゃになっていて絶対に解けない。これがまたきっついんだ。
それにしてもクリスマスは高熱でぶっ倒れ、病院で年越しなんて面白くない冗談以下だな。