L/W 雑記


2002年12月20日(金)

さて、最後の夜である。
実は昨日から6人部屋に1人きり状態。
年末この時期に入院の人もあまりいないから、こんなことも起こる。
そういや去年の年末も1人きりの6人部屋であった。
まぁ確かに広々としてはいるが、誰もいないとそれはそれで落ち着かない。
そんなこんなで微妙に個室気分なのであった。
これにて今回のシリーズは終了なのだが、勝負はここからである。
今までは半ば強制的にコントロールされてきたものを、うまく飼い慣らせるかということである。
最終的には病気への自覚ということであり、その自覚がなければ治療も難しくなる。
すなわち、病気への自覚とは 医師と患者の共通言語でもあるのだ。
しかし、自覚していても治療はしないという人もいる。
それもまたいたしかたなしと思う反面、今の楽よりもこれから先のhappyだってあるんじゃないのと言いたくもなる。
まぁ今が楽でこれから先happyであれば文句はないわけだけれど。
つまりは自己肯定、I'm O.K.の話なのであった。


2002年12月18日(水)

今テレビをつけたら斉藤歩氏が(ドラマで)死んでた。
そういや去年も年末だか年始にテレビをつけたらちょんまげの彼がいたっけ。
いきなり閑話休題から。
さて退院は今週の土曜日で仮決定。
明朝の採血次第で決定となる。
約束通りのクリスマス前、丸2か月、プレドニン15mgでの退院である。
入院時の危機的状況からすれば、順調な経過と言える。
もっとも、大切なのはこれからでだらだらとしたストイックさが求められる。
今回こそは、と気張らずに決意だけはしておこう。
今回、入院を機に何名かの方にはメールで雑記を配信している。
ただホームページ上に置いておくのと、こちらから出向いていくのではテキストの在り方も随分変わるなぁと実感した。
もっとも両方ご存じの方にすりゃ、「何が違うの?」ということかもしれないが・・・
しかしながら、これだけインタネットやメールを利用しておきながら、今後の雑記配信は基本的に知人に限ろうと思うのだ。
まぁメルマガにするほどたいしたものでもないし。


2002年12月16日(月)

今日から夕方に塩のみのおにぎり200kcalが出る。
サイズにすると普通のおにぎりくらいの分量で、それの半分の大きさのものが2つつく。これで一日の摂取カロリーは2000kcal。
ようやくスタート地点だ。
厳密にやるならばここから一つ一つの食品について大丈夫かそうじゃないかのテストをしつつ、食べられる物の種類を確定するとともに、食べる割合を増やし、様子を見つつエレンタールを減らすことになる。
この間、再燃・入院なんてことになったら、またゼロからのやり直し。
悪化・入院することなく順調に経過するとして、比較的食べられるようになるには3年はかかるという。
これが本来のこの病気の食事制約だ。
あんまり真面目にやると亜鉛などの微量元素やコレステロールが低下するので、それは適宜、サプリメントなり点滴で補うのだ。
真面目にやってるのに悪化した時のショックはでかい。
悪化の一要素に食品があることは確かだが、食事を守っていれば悪化しないという保証はない。
ここらは微妙な塩梅なのだ。


2002年12月15日(日)

おかしな話だが、外出や外泊から病院のベッドに戻ってくるとホッとする時がある。
病院生活に体が慣れて退院だの何だのがだんだん鬱陶しくなってくるのだ。
制約やストレスは多いし、面倒なこともあるが、それでも入院している方が楽なことも多い。
慣れといえばそれまでの話。
今年の入院期間は合計で4か月弱となる。
実は歴代2位で調子が悪かった年なのだ。
これも予定通りに退院できたらの話。


2002年12月13日(金)

プレドニン減量は今週はおやすみで17.5mgのまま。来週15mgにリトライ。
ヒトのココロは難しいと改めて実感する一日であった。
と、いうことで以上。


2002年12月12日(木)

そりゃね、いつも同じこと書くけど、やはり食事の時間は拷問みたいなもんですよ。
エレンタールはあくまでも薬剤であって食品ではないのだ。
その証拠に領収書の明細にはこの間の食費はゼロ。
特に検査などなくても本来の医療費は相当の額になる。
だが、患者人口が日本の数倍はいる欧米ではこの成分栄養療法は積極的に行われていない。
理由は「高価だから」。
この国の保険医療制度も危ういが、エレンタールを長期にわたって使うのは保険適応外だったりするのだ。IVHもしかり。
そういう意味では日本の患者は恵まれているのかもしれない。
ところが、「恵まれているから頑張らなくちゃ」と考えられないヒネクレモノだから、なかなかそれでは納得がいかないのだ。
食べることへの欲望とは違う。
他の多数の人々が何気なくしている「食べる」という行為に、ここまでも執着してしまう己の浅ましさ、劣等感なのだ。
だが、こいつをコントロールしないと、長期間安定を保つのが困難なのも実証済みなわけで。
不可抗力の修行僧みたいなもんだ。


2002年12月11日(水)

昨日今日と体調が良くない。
しつこい微熱は毎度の馴染みだが、熱の感覚がいつもとは違う。
常にぞわぞわと薄ら寒く、頭が重い。おなかの調子も怪しげだ。
よってプレドニン減量は一日延期。明朝の採血の結果待ちとなった。
とにかく時間的なリミットはこちらからすでに提出しているのだから、それまでにいかなるスケジュールとなるかだ。
まぁ、休めるだけ休んどけという話も至極もっともなのだが、稼がにゃその休むための時間もとれないのが現実で、その辺がタイミングの難しいところでもある。
精神的にもそんなわけで低調で、いまいちもやっとした情景から抜け出せない。
夜は一応眠れている。
ハルシオンは0.25mgを半分にして、0.125mgとして飲んでいる。
飲まないでサクッと入眠できるのが理想だが、眠れないストレスまで抱えるのはちとつらい。
三大欲求のせめて一つでも満たしたいじゃないか。
睡眠のためのコツは「ベッドを睡眠とセックス以外では使わないこと」なのだそうだ。
なるほど、そういうもんかもしれない。


2002年12月9日(月)

忘却と消去は違う。
我々の脳は残念ながら優秀なのでとんでもないデータ量をストックできてしまう。
記憶の隅の隅に投げ捨てられていたような小さな情景が、ある日突然目の前に現れる。
傷は誰しもが持っている。
しかし、誰一人としてその傷を消去することはできない。
どこかで折り合いをつけてるわけだ。
しかし、そのバランスははかなく危うげだ。
この均衡が崩れたとき、「私」は何を考え、何を感じ、どのように行動するのだろう。
否、均衡を保っているというのは「私」の思い込みに過ぎないのかも知れない。
このバランスには絶対の境界線は、ない。
これもまたフィクションに過ぎないと断言するには極端だが、しかしそもそも「社会」とは共同の幻想ではなかったか。
価値観が多様化しているのは、「多様な価値観の存在する社会」という共同幻想の賜物、いわば流行なのだ。
要するに今の問題意識は「癒し」であり、「表現」である。
なぜだか私は「疎外感」というコトバにリアリティを感じる。
また、「癒す」というコトバには傲慢を感じる。
以下、次号。


2002年12月8日(日)

入院中はなかなか寝付けないことが多いので、たいてい睡眠導入剤をもらっている。
眠れそうなときは飲まなかったりもするが、今回はコンスタントに飲むことで無理しないで入眠することにしている。
外にいるとき、身体と脳の疲労のバランスは比較的とれている。だが、入院中となるとなかなかこのバランスがとりづらい。
とはいえ、外泊帰りの今日なんかはあっさり入眠できそうなもんだが、そうでもなかったりするから不思議な話である。


2002年12月6日(金)

焦りはあるかと聞かれて、「ない」と自信を持って言えるほど悟りは開いていないが、案外冷静に事態とこれからのことを考えているつもり。
もっとも人に言わせれば「何言ってんだか」という結末だったりする。
そんなもんだ、とはいささか刹那的だが、やはり私は「気持ちが分かりあえる」というのは人間特有の幻想なのだと思うのだ。
大脳が肥大した特殊な動物であるヒトは、文明という第二の「自然」を手に入れたわけだが、同時に生存の基盤である本能からは縁遠くなった。
結果として複雑なコミュニケーション手段を得たが、複雑になればなるほど本来の目的であるはずのコミュニケーションが困難になっているという実感はどこかにあるのではないだろうか。
「分かりあう」ための努力を必要とすること自体が、「分かりあえない」ヒトの特性を物語っているとも言えるのだ。
文明を背負ったヒトの個体相互には埋まることのない溝がある。
そして、だからこそ、面白いのだと思う。
これが物語のはじまりだ。


2002年12月4日(水)

午後から少々外出。
本屋CD屋電器屋なんかをブラブラして歩き疲れて帰る。
今、分かったのだが、どうも私は読書好きでも活字中毒でもなく、ただ本に囲まれているのが好きらしい。
だから図書館なんかはかえって危険な場所で、なぜ宿泊できないんだろうとか困惑してしまう。
やがては家に帰らなければならない悲しさを味わうのが嫌で、足が遠のいてしまうのだ。そこへいくと本屋などは雑多な空気が入り交じるから、何となく入り何となく出ることができる。
大型チェーンの古本屋も同様。
だから昔ながらの古本屋は危険。
図書館や古本屋にはどこかしら巣のイメージがあるせいかもしれない。
部屋はまさに「巣」であり、なかなか「部屋」と呼ぶには困難な状態である。
病院でも同様で、まずは巣作りから始まる。
単に整理ができない奴と言われれば、はいそれまでよの話。
今日は文庫本1冊にゲーム1本、マルボロ1カートンを買う。
巣作りはいまだ進行中である。
今日は欲望について書くつもりが、書けなかった。
これはまた次の機会に。


2002年12月2日(月)

微妙にみぞおちのあたりがモヤモヤチクチクする。
これまであまりにも順調だったから、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
久し振りにゲームな一日。
一日画面を眺めていられるくらいには集中力が回復しているのだと解釈しておくことにしよう。
というよりも、外出したり外泊したりといった気分転換のせいなんだろう。
なかなか入院生活はなじんでいまえば何でもないし、楽なんだが、「やってらんねーぜ」的欲求も蓄積されてくるもんなのである。
しかし、体力は入院モードだから、気持ちに体が追いつかない。
毎日、外出は疲れちゃうのだ。
それでも毎日出かける人もいて、何をしているかといえば「パチンコ」だそうな。
なるほど、それぞれに暇潰しをしているのだ。


2002年11月30日(土)

外泊中。
何もせず漫画を読む。
そんな感じ。
雑記を書こうと携帯に向かうが眠い。
考えてみりゃPCは起動すらしていない。
ひたすらだらだらと過ごす。


2002年11月29日(金)

順調といえば順調である。
昨晩、密かに残りの入院期間は読書に費やすぞと決意したにも関わらず、早速ゲームを始めている始末。
変な話だがのんびりともしていられなくなってきた。
あれもこれもしたくて、「でもまだ入院してるし」なんて油断してると、いつの間にか退院が近付いていたりする。
まるで夏休みの宿題である。
うーん、早寝早起きをしてサクサクやりたいことをやるしかないな。
なんてところに土日は今回初の外泊であったりする。
今回の外泊の「めあて」は「何もしない」に決定。
どうせ何かしたくなるんだから変に予定を組まないことにしたのだ。
もともと計画倒れは趣味みたいなものだから、計画することそのものが無駄という話もある。
なすがままに流される気楽さが必要だ。
もっとも、流され過ぎなんじゃないの、なんて話もあるけれども、水は高きから低きに流れるのだから、あえて逆らうまいという心意気も肝要なのだ。


2002年11月28日(木)

うそ、ミートソースだろ、とは「どっちの料理ショー」。
食えない人間の前で、食べ物の話も悪いからというので、避けてくれる人がいるが、むしろそれは逆効果だったりする。
代償行為とでもいうのだろうか。「今日の料理」は入院生活に欠かせない番組ですらある。
料理番組を見たり、料理の本を読んだりすることが一種のストレス発散になっているのだろう。
食えないがゆえの執着とでも言うのだろうか。
食へのこだわりというのとも違う、妙な執着があるのは事実なのだ。
下手するとやや病的な傾向も出てくるかもしれん、とそれは心配し過ぎか。
だから「おなかが空いた、食べたい」ではなく、「食べたい、だから食べたい」となるのだ。
ある意味では純粋なのだが、手段と目的が同一である以上、歯止めがきかなくなる危険性もある。
我慢し過ぎの大爆発ほど怖いものはないし、情けないものはない。
衝動的にマックに入りガツガツやってしまうよりは、適度に悪さをした方がましというものだ。
我慢なんて簡単で、大切なのは適度に怠けることなのである。


2002年11月27日(水)

今日はおやすみするです。
なんか一日中眠く、やる気のない状態。
鬱か?
冬だしな。
日光にも当たってないし入院自体がストレスだし。
とにかく今日は本格的にダメオ君。


2002年11月26日(火)

プレドニンが木曜日から20mgになる。
ほんの小さなオレンジ色の粒が2錠減るだけの話だが、同時にこの量は外来でも処方可能な値でもある。
つまり、退院可能域に入るということなのだ。
入院から1か月。
ある意味ではかなりのハイペースといえるし、その分、状態が安定していることを意味する。
この先のスケジュールはDRと話さないと分からないが、20mgでしばらく様子を見つつ、米飯スタート、様子見で2〜3週間後の退院になるのではないだろうか。
・・・と考えると、入院期間としては当初の予定通りなわけで、なんだハイペースでもないじゃんということになるが、20mgの効果は大きい。
外泊も含めた外出の規制が緩和されるからだ。
もっとも、免疫力は低下しているから、注意は必要だが、外泊は大きい。
まぁこれも明日以降の交渉。
今日は昼から外出、眼科など。
完全に問題なしではないが、予測の範囲内なので、よしとしよう。
ただ緑内障は怖いので定期的に通う必要はありそうだ。
目の成人病とも言われてることだし。


2002年11月25日(月)

そろそろ全力を出さないと本やマンガ、ビデオが山積みになってきた。
今日は「ブラックジャックによろしく」「日露戦争物語」の既刊分を読み、MEMORIESを途中まで観た。
無論、これはかなりのローペースなのだが、一生懸命に「こなす」のもおかしな話だ。
なかなか集中力が戻らないということもある。
なかなか理想的な本の虫にはなれないもんだ。
あまり目を酷使したくないという気持ちも多少はあるかもしれない。
とにもかくにも、おもちゃ部屋と化しているベッド周辺を整理する必要がありそうだ。
身体状態は良好。
疲れやすいのは病院用に体が適応しているから。
昨日今日と1400時の体温が37.0を切っているのも、逆に不気味ですらある。
入院時の状況や今までの入院経験を考えたら、現状は良すぎるのだ。
それがかえって不気味なのである。逆に慎重になってしまう。
どうしたもんだか。
病気とのお付き合いはなかなか面倒なのだ。


2002年11月24日(日)

毎日、こうして携帯に向かい雑記を書いていると、ふと思う。
「あ、また同じこと書いてる」
ネタ切れと言われればそれまでだが、基本姿勢は記録にあるので、似たような考え方が再三登場してもおかしくはないのだ。
むしろ、そうじゃないと困るじゃないか。
今回はそれでも複数の人にメール配信していることもあり、内容も多少は意識してしまう。
しかし、考えてもみよ。
我々はいったいどれほどの真実を語り得るのか。
「語る」という言葉自体が全てを物語る。
「語る」とは「騙る」であり、つまりはフィクションの世界なのだ。
あるいは、こうだ。
「私」のリアリティは、「私」という物語(フィクション)において成立する。
・・・久し振りに哲学してみた。
我々は「真実」という名のフィクションを追い求めているのかも知れない。
なんだかそれも夢のない話なんだけど。
今日は少し頭を使い過ぎた。
ほら、だから大事なこと忘れてる。


2002年11月23日(土)

さて、午後9時。消灯時間である。
眠れるかどうかは別に月曜からハルシオンは毎晩もらうことにした。
薬を使わないで眠れるならばそれに越したことはないが、なかなかうまく導眠できないからだ。
クセになるよりはならない方がいいのだろうが、強制的な消灯時間以降の空白を溜め息つきながら過ごすよりはマシというもんだろう。
だが今日は割とサックリ眠れそうだ。
約1か月振りの娑婆。
外は冬。
クリスマス商戦。
プチ浦島太郎な気分。
じゃあ玉手箱でも開けてみましょうとばかりに、せっかく黒くなった髪をまた脱色する。気分転換というのも必要なのだ。
食えないなら別のことをするまでのこと。
まぁ外出して悪さをするにしてもたかが知れてる。
いきなり酒なんて飲まないし、焼き肉だのカレーだのラーメンにも走らない。
そこら辺は慣れたものだし、慎重にもなる。
何か食べたいとか、おなかが空いたとは違う目的、「食べるために食べる」のだ。
あとはとにかく塩気が欲しいというのもある。
にしては今回は噛み捨てはまだだな。


2002年11月22日(金)

肉体的状況は変化なし。
気分として何か気を張っている感じで意味もなく疲れている。
午後の検温もやや高め。
多分、私の平熱はならすと36.8くらいなんだろう。
今日14:00で37.4。変な体質なのかもしれない。
入院中は特に汗をかいたりするのも、そのせいか。
いつもなら氷枕をもらうのだが、今回はもらわないようにしている。夜になれば下がるのがわかっているからだ。
それに本格的に熱が出るときの状態は半端じゃないから、すぐに分かる。
悲しいかな、これも経験の蓄積というやつ。
精神的に落ち着かない、イライラしているのは飴の食べ方で分かる。
意識と無意識の葛藤である。
明日は初の外出。
誘惑は多いがおとなしくしているしかない。
食べ物の夢はこの時期、日常茶飯。
夢の世界ではスープカレーがブームらしく、今回はナンバー1の登場を誇る。
現実的要求としては寿司なんだけどなぁ。
入院4週間。いまだ白米にたどり着けない。


2002年11月21日(木)

どうにも落ち着かない。
ゲームをしても、本を読んでも、ビデオを観ても、集中できない。
そういう時期なのだと理解はできるが、反応は難しい。
確かに何かに「頑張る」必要性はないのだが、しかし、こうも集中できないとやや苛立ちも募る。これが悪循環を生む。
きっと気分転換の苦手な性分なのだろう。
フラストレーションの捌け口が制限されているという環境もある。
今日は吹雪いていたけど、それすらも羨ましい。
我慢するのは簡単だ。しかし、飴と鞭の例えのように、ご褒美も必要なのだ。
せめて自分へのご褒美だけは逃すわけにはいかない。
相変わらず私は人生バランス論者なのだが、ものは言いよう。
悪くないと言えばそうだし、駄目だというのもまたしかり。
これぞ気の持ちようなのだ。
まぁ、なんか可哀想なヒトのように感じるが、案外、そうでもないんだろう、このヒトは。
自己分析には終焉がないので、無駄話はおしまい。


2002年11月20日(水)

病室を引っ越した。305から302へ。今年の2月まで住んでた部屋だ。
気持ちとしては窓側が落ち着くのだけど、今は真ん中ポジション。
部屋の主から新人へ降格である。
明日からプレドニンは30mg。
短時間ながら、外出圏内である。最重要課題は部屋の水落としなので、これは早急に対処しなければならない。
さて、神頼みも必要だろうとの思い付きから、久し振りにメダイを首からぶら下げてみた。
ベッド脇にはいただいた神社のお守り。
西洋と日本のカミサマの競合だが、なまぐさクリスチャンとしてはいい按配なのかもしれない。
十字架をぶら下げるよりメダイの方が落ち着くのは、子供の頃からの刷り込みだろう。
今日はゲストが多く、賑やかで、楽しかった。
反面、帰ってしまうと寂しいわけで。
いやいや、人の情けが身に沁みる午後なのだ。
怒られても反省しない、とよく怒られるのだが、反省はするのだ。ただ、繰り返してしまうだけで。
それって反省してないってことか。


2002年11月19日(火)

空気がある。
病棟の空気。病室の空気。
いつの間にか病室の主になっていた。
が、主の力を行使することなく、比較的つつましやかに生活することにする。
若い人や煙草吸いが同室にいるとまた別だが、今の空気は個人主義的というか、カーテンを大きく広げている人はいない。
まぁそちらの方が気が楽でもある。なかなか病院の空気に打ち解けにくい気持ちも分かる。
別に仲が悪いわけではなく、そういう空気なのだ。
最近は雑記を書いて、しばらくして眠れないようだとハルシオンを使っている。
何せ夜の病院で眠れないのはつらい。
とにかく寝付いたら勝利なので、入院のこの時期くらいからはたいてい導入剤を使うのだ。
ま、眠れそうな時と半々くらいの割合か。
無論、必要な時しかもらわないので余剰分はございませんのであしからず。
退屈はしないが、外には出たい。が、装備は秋仕様。の、前にプレドニン40mg。
悩ましい。
マンガの差し入れ。明日から読むか。


2002年11月18日(月)

まぁ、道程は長いが仕方がない。それはそれでまた一つの選択なのだし、楽をするよりはいいんじゃないかとも思うのだ。
自虐趣味ではない。ただ、身の置き所の問題なのだ。今、安易な道を選択することは、最終的に何も残さないことになりそうだから。
どうせ後悔なんてついて回るんだから、するならいい後悔をしようという積極的消極主義である。
さすがにエレン1日2100kcalはきついので1800kcalにしてもらう。だいたい何にもしてないんだから、そんなんで十分なのだ。
血液検査も順調。やや気になっていたコレステロール値も正常値。イントラはしなくてもいいのである。
点滴やエレンだけだと心配なのは亜鉛など微量元素の欠乏とコレステロールの低下である。
だいたいそうなってきたら体はフラフラしてきたりするから多少は分かるし、口角炎にもなる。今のところは大丈夫というレベルだけど。
プレドニンも今週中には30mgに減量できそう。
少しだけ先が見えてきた。


2002年11月17日(日)

病棟にも週末の空気がある。
特に日曜日は家族連れのお見舞いなどがあり賑やかな反面、外泊などでいつもの人がいなかったりする寂しさとか。
どうも私はこの日曜日の空気は苦手らしい。なんだか落ち着かないというか。やってることはいつもと変わらないのにどこか集中できないというか。
昨日はあまりよく眠れなかった。そのせいなのかもしれない。
それにややイライラして落ち着かない部分もある。
なーんにもしていない入院生活も、なーんにもしていないがゆえにストレスも溜まるのだ。
もう慣れたとはいえ、やはり食事の時間はしんどいし。食べ物の恨みは恐ろしいとは、是真実也。
食べるというのは、小さいことかもしれないが、生命活動と文化活動の基礎にあたる行為である。
キリストは「人はパンのみにて生きるにあらず」と言ったが、問題はそのパンすら食えないこの病気、この状況なのである。
ま、いろんな病気があり、人それぞれに苦しい思いをしているわけだが、やっぱ「食えない」のはかなり可哀想である。しゃーないのはしゃーないんだが。


2002年11月16日(土)

点滴は本日1パックで終了。
3週間の長きにわたる点滴生活も一応終止符。代わって1日3回2100kcal相当のエレンタールとの闘争の日々が始まる。
さすがに飴ガムの消費量は減る。
まぁ口から日常の糧を得るだけ点滴よりはマシだと考えるしかない。
プレドニンの減量状態を見て白米が始まるが、それは最低でも2〜3週間は先であろう。外出・外泊もそれくらい先になるか。
この辺はDRとの交渉次第である。
思い起こせば病院から毎日大学に通ったこともあったのだ。
そこまでやってその結果が今この状態とは、笑える話である。
もしクローンになっていなかったら、なんて妄想することもたまにあるが、どうもそちらの生活には食指が動かない。
今がHAPPYでどうしようもないぜいえ〜いというわけでもないが、それでも肯定すべきは「今」だ。
ま、病気も一つのアイデンティティと申しますか、これもまた我が道と申しますか、かえって物事がシンプルになったように思うのだ。
ものは考えようとも言うけれど。


2002年11月15日(金)

あぁ週末。気が付くと入院から3週間。
その割にはゲームは進んでないし、本も読んでないし、ビデオもDVDも観ていないなぁと反省。
もともとインドアな私には入院生活はある種パラダイスである。
もっとも食えないし、酒はないし、自由は多々きかないけれど、それでも一日中ゲームをしていて許される環境というのもなかなかない。
ものすごく時間を贅沢に使っているわけだ。
とはいえ退屈ではないのだ。暇かもしれないが、退屈するなんて考えられない。もっとも、眠れない夜は例外。こればかりは消灯時間にかなわないのである。
点滴は2パック。明日は1パック。例によって針先が痛くなったのでルートははずす。明日は翼状針になるのか。
おそらく明日か明後日で点滴は終了のはず。エレンタールは1日3回となる。
別に食事の時間に合わせてエレンタールを出す必要もないのだ、本来的には。
あれは食品ではなく、薬品です。
便宜的習慣的に食事の時間に出されるが、かえって哀しさが増すというものだ。
鼻チューブはもっと嫌なのは言うまでもない。


2002年11月14日(木)

今日からプレドニンは経口にチェンジ。40mgは変わらない。これでしばらく様子を見ることとなる。
点滴は3パック。明日から2パックになる。まぁ順調。今日は途中腕が痛くなり、針チェンジ。右手に移る。
夜からは点滴フリーになるので、階段で移動したりするが、たった1往復で膝や太股、ふくらはぎなどに違和感があったりする。げに恐ろしきは入院中の運動量低下である。
順調なこともあればそうでもないこともある。
ヒトゴトといってしまえばそれまでの話。でもヒトゴトゆえに実際の力になれない自分がいるのも事実。しかし、それは傲慢というものなのかもしれない。なかなかに悩ましい。そろそろ夜に眠れない時期にさしかかってきた。念のために導入剤をオーダー。しんどかったら使うことにする。
別に昼寝をしたりもしないんだけど、それにしても病院の夜は長い。消灯は9時である。普通に稽古をしていたりする時間帯だ。そんな時間に眠りなさいというのが無理な話で。が、それでも結構眠れてしまうのが不思議なんだけど。


2002年11月13日(水)

昨日の夜から夜間の点滴は終了で、フリーな状態で眠ることができている。ま、腕に針が刺さったままなのはご愛嬌。
解放感は無論あるが、ある意味では点滴生活に利点もある。
なにせ「食べる」という行為に時間が取られることはない。正真正銘ぶっ続けでゲームをすることだって可能なのだ。・・・それだけの利点なんだけど。
明日からプレドニンが経口に変わる。点滴も減り、今週中には自由の身になる予定。
あとはプレドニンが30mgくらいまで減量できれば外出も多少は可能になる。これは2週間くらい先の話か。
活字中毒がそろそろ。これの禁断症状もきついので、意識的にゲームをしたりもしているのだけど、どうもやはり文字がないと始まらない。今回はあまり本を持ち込んでないから、今朝から新聞を買って読むことにした。とにかく内容よりも活字を追いかけるのが目的である。
以前、漢和辞典で「書淫」というコトバを見つけたが、それはそれで一つの目標だったりもするかもしれない。
音声映像情報の即効性と文字情報の想像性。どうも後者に魅力を感じてしまうのだ。


2002年11月12日(火)

昨日からタカダ氏のHPに間借りしている。しばし、お目汚しを。
採血の結果はマイナスで予想通り。
今日から点滴生活脱却に向けたプログラム。入院18日目にして300kcal分のエレンタール摂取。ようやく人間に近付いた。
今後はエレンタール経口摂取分の割合を増やしつつ、点滴量を減らす予定。プレドニンも近々経口になるであろう。現在40mg。
大きめの検査も終了し、これからは栄養療法の開始とプレドニン減量の日々となる。
ここからがある意味では本番で、精神戦の様相を呈するのである。
食欲との戦い。
まぁ文字にしてしまえば、なんとも浅ましいものだけれど、実際問題、これはおなかいたいなんかとは比べものにならないくらいしんどい。
ただ食べるのを我慢するというレベルではない。厳密に言えば終わる見通しのない食事制限である。
もっとも、それをさぼるから入院するハメにもなるわけだけど。
我慢したから何か報われるわけでもなし。つーか、そんな考えではこの病気とは付き合えないし。
少しいいニュース。IBD専門の共済ができたそうな。ようやくか、という思いもあるが、何よりめでたい。


2002年11月11日(月)

前回もそうであったが、担当のドクターが2人いる。
一人は天使病院からの付き合いのN先生、もう一人は若いO先生。
今回はO先生メインということで診てもらっている。
年齢や経験、性格が違えば当然、方針や進め方も変わってくる。
疑問点は明確に、意見は率直に、これがプロ患者への道と心得る。
ま、早い話がインフォームドコンセントは大切だし、患者のQOLも大切だ、ということなのだ。
写真を見せる、数値を示す、こういうマメな作業をしないと、なかなか最近の患者は納得しないのだよ。言っても分からないだろうから言わない、ではなく、それを分からせるためのコミュニケーション能力の問題なのだ。
日々精進ってことである。
というわけで初体験造影CTは終了。何も言わないということは問題なしとみてよいだろう。要確認。
明日の採血で問題なければエレンタールへの移行決定。黙ってりゃ、再IVHだったんだから、たまったもんじゃない。
一歩前進。時間がかかる。


2002年11月10日(日)

入院中新たなミッションが始まる。
手元には高そうなカメラ(使用経験なし)とお馴染みのフィルムインカメラ。これで定点観測を始める。
体調はまぁなんとか。若干のだるさと疲労感と、どうしようもない食欲と。
1か月後でも、「普通」の人からすればあまり変わらないかも知れないが、少なくとも1日3回自分の力で栄養を摂取しているはずだ。うまくいけば、白米くらいは食べられるかも知れない。
とにかく1度入院となると白い御飯までの道は遠く、2か月入院して病院で食べたものがプレーンおむすびのみという有様。
かなりかわいそうな人のようだ。そりゃあ鬱々としてもくるよ。
いまだエレンタールすら飲めない状況に苛立ちはつのる。
明日は造影剤を使ったCT。とっとと問題なしの結果を出し、点滴スタンド生活から脱却したい。忍耐力にもそれ相応の限度があるのだ。
IVHやめた、抗生物質使ってる、でも熱が微妙にひかないとかであれば我慢のしようはあるのだが。


2002年11月9日(土)

IVHのカテーテルを抜いたのが良かったのか、抗生物質の勝利か不明だが、今日は一日熱はなし。かえってその不気味さに反応して、何となく頭痛な一日。
原因が前者であれば問題は単純だが、単に薬が効いたというだけならいまだに事態は変わらないことになる。
医療は確かに日々進歩しているが基本は同じ。モグラ叩きの原則である。ただその選択肢が増えただけ、検査の数も増えるのだ。特にいったん治まってしまえば、過去の症状の原因を特定するのは難しい。何事にも万能はないのである。
万能包丁は万能じゃないし、多目的ホールは多目的じゃない。最大公約数が必ずしも「公」ではないのと同じだ。多数決が「正」なわけでもない。
国連はあくまでも第二次世界対戦の戦勝国会議なのである。なぜ彼の五か国が安保理の常任理事国なのか理由は簡単である。「戦争で勝ったから」。それを見落とすと何かとんでもない間違いをしてしまいかねない。
アルカイダにせよ、イラクにせよ、その少し昔には米のクニがさかんに武器提供していたことを忘れてはならない。


2002年11月8日(金)

発熱40は相変わらず。
通常の採血と悪寒時に別の採血を行う。
CRPは上昇。
クローンがらみなのか、感染症他の原因なのか特定できないので、取りあえずIVHはいったん抜き、腕にルートを確保する。
体温の昇降が激しいので体力的にはふらふら。さすがにかなりやられてる。
抗生物質の点滴を再開したので、それなりの効果があることを期待したい。
週明けには初の造影CTの予定。ここで何かしら引っ掛かれば状況は変わるだろう。
可能性の一つに病変部に膿瘍(ウミ)ができていることが考えられ、それが熱を引き起こしているかもしれないのだ。そのための検査である。
なかなか今回は悩ましい症状だ。何せこれだけ熱が出ているにもかかわらず、お馴染みの腹痛はなし。触診でもそれらしいものはない。
まぁとにかく高熱だけは勘弁願いたい。のんびりゲームもできやしないし、ビデオも見られない、本も読めない。入院中こそ最も忙しいのである。
それにしても、人間のきき腕ってたいして役に立たないなぁと改めて実感。点滴はきき腕にしてもらうべきである。


2002年11月7日(木)

なんだか具合が悪いなぁ、熱がありそうだなぁ、つーか寝てる間に体温確実に上昇してるぞ、と目を覚まし体温計を取り出したのが午前2時半。
発熱ジャスト40.0。
まさに入院前と同じ状況である。ここまでの経緯が順調だっただけにショック。
即座にボルタレン座薬を挿入するも、6時間後には再び40.0の世界。
ただのクローン病変から来る熱ではないようだ。今後いくつかの検査がオーダーされることになる。が、なによりこの熱を何とかしてほしい。
いや、熱は下げられるのだ。つらいのは熱が上がりきるまでの悪寒である。実際ひどいときには全身が震えて、とにかくしんどい。そりゃそうだ。1時間くらいで体温が3度とか上がるんだから無理がかかるのも当然の話なのだ。
というわけで、ただ今体温上昇中。


2002年11月5日(火)

やはり胃カメラなんか嫌いだ。
とにかく食道に物体があり続ける状態なんて、どう考えても異常じゃないか。「リラックスしてねぇ」なんて言われるが、そんな状態でリラックスできる人がいたら紹介して欲しい。そんなわけで硬直状態の中、気合いで乗り切った(かどうかは怪しいが)胃カメラ。終わってみたら特に問題はなく、十二指腸もきれいなものであった。で、いつものおまけで喉が痛くなる。繰り返すがあんなもん、平気で飲み込めるなんて、それはそれで「特技」の世界だと思う。
明日は大腸カメラ。
こちらもつらい検査だが胃カメラのような不条理さは感じない。ただ、こいつのやっかいなのは事前準備なのだ。僕のように完全絶食でも、腸内はきれいにしないといけないから、夜のうちに下剤を2種類飲み、朝には2リットルの二フレックという下剤を飲む。この二フレックは優れもので、水分は普通大腸で吸収されるのだが、こいつは吸収されないのである。つまり、口から肛門まで2リットルの水が通過するのである。
まぁこれがしんどくて、しばらくはトイレに籠ることになるのである。


2002年11月4日(月)

嫌だ嫌だと言っても仕方がないのだが、それでも嫌なものは嫌なのだ。
明日は胃カメラ、明後日には大腸カメラがある。毎回、入院の度に行うお馴染みの検査なのだけど、まぁしんどい。
20分ほど口やらお尻からカメラを入れるだけの簡単かつ基本的な検査なのだけど、喉にカメラが入るということそのものが恐ろしいし、大腸内視鏡は事前の2リットル下剤で体力を消耗してしまう。
まぁよほどのマニアでなければ病院の検査が好きなんてことはありえないことだ。
というわけで苦行の2daysなのである。
反面、そんな検査でもなけりゃ、病人感覚も薄れていくわけで、病人としての自覚を促すという教育的目的にはかなっているのである。
とにかく、これ以上変なものが見つからないことを祈りつつ、DRの腕に期待するしかないのである。
「家族」というつながりを短く定義するのは難しい。社会制度としての家族ならば話は明確だが、「制度としての家族=つながりとしての家族」に必ずしもならないから、隙間が生まれる。
表現は隙間を眺めるところから始まる。


2002年11月3日(日)

シモの話から。
祝!開通!ってなもんで、何も口から摂取していなくても、それなりに出るものは出るのです。
まぁ、それはともかくとして。
比較的おなかの症状もなく、順調に安定してきているように見せかけておいて、そうは問屋がおろさない流れ。
みぞおちを中心としたチクチクする痛み少々。
胃もよく荒れるし、プレドニンの副作用にも胃潰瘍はあった(これは経口摂取の場合か?)。それに痛みは必ずしも痛みの要因となっている部位に感じるわけでもないし。
少々ヤな感じだが、いつものこと。ただ、病院にいるから我慢する必要もないし、暇だから敏感に反応しているだけなのだ。
入院してぬるーい生活をしていると、なんて毎日無理をしているんだろうなんて思ってしまう。普段の生活だって偏差値的にはぬるーい方なんだけど、それでも体がもたないということなのか。
それは、また、ちょっと、違うか。
あれだ。バカンスのようなもんだ。ただ、時期を自分で選べないだけで。スローライフはスローライフなんだけどな。


2002年11月2日(土)

飴ガムはOKなんだけど、一日の摂取量を考えるとかなりのカロリーになりそうだ。
口が寂しいというのもあるし、空腹感を紛らすためというのもあるし、押し寄せる食欲の波への防波堤でもある。
とりあえず煙草の量が減ったのは、まぁ、いいことなのか。
週末は特に新しい展開はない。DRもお休みだからだ。
今日は一日ゲーム小僧。集中しているかといえば、そうでもあり、そうでもなし。集中はしているけど、頭の中では全然別なことを考えている。逆に考えるためにゲームのスイッチを入れることもある。
ま、遊んでることには変わりはないんだけどね。何も考えないカラッポの状態を生み出すステップのうちの一つというか。


2002年11月1日(金)

薬が効いているせいもあるが、回復は順調。
熱も治まった様子。
入院1週間で急速回復はいつものパターン。
今一番の問題はおなかの動き、ガスはあるのに便がないことくらい。この病気に限らず消化器系はどうしてもこの手のシモの話が大切になってくる。そこが何とも情けないというか、悲しいところなんだけど。
とはいえ、完全絶食では溜まるものも溜まらないわけで、そうそう「はい、そうですか」と素直に排出されるわけでもない。とりあえずシンラックを使い始める。あまり効果は期待しないし、これで開通したら、なんとなく悔しい気持ちになりそうだ。
便秘傾向はIVHからエレンタールになっても継続することが予想される。というか、これもいつものこと。
環境の変化というよりは食生活(と呼べるかははなはだ疑問ながら)の変化なのだ。
夜は比較的眠れているが、全体的に浅く、夢ばかり見る。しかも何となく重苦しい。
やはり体に挿管されたチューブが気になるからなのか。
何はともあれ1週間が過ぎた。
ようやく入院生活スタートといったところ。


2002年10月31日(木)

ようやく風呂に入ることができた。
30分だけIVHからの解放。
何が違うって、階段の昇降ができる。思わず嬉しくなって下の売店まで階段で行ってみたら、筋肉が微妙にヒクついたりする。肉体はこうして衰えていくのである。
昨日借りた「JSA」を観る。南北分断をテーマにしたヒット作だ。何が良いとか悪いとかではないのだ。ただ、互いの在り方が明確ならざるを得ないのだ。ゆえにドラマが生まれる。日本という国の輪郭を考える。
昨日から飴やガムはOKになったのはいいのだが、あまりに四六時中飴ガムしてると、しまいに口の中が変になってくる。無論、おなかは満たされない。
あさましきは食欲というやつで、おそらくこれはなかなか経験できるものでもないし、経験できたからといって人間的に成長するとも思えない。だからついつい、リバウンドで食べてしまったりもするのだけど。この食うことへの執着は性欲の比ではない。
だいたいが食欲は紛らわせようがない。「腹が減った、食いたい」には嘘いつわりがない。


2002年10月30日(水)

この時期は回復の様子が分かりやすく、「あぁ休養」という感覚がある。
昨日今日に関しては、毎回悩まされる微熱すらほとんどない。
そのせいかお見舞いに来てくれる人達も安心半分拍子抜け半分といったところ。
だがこの調子の良さは一定条件下でのかりそめのものであることは本人が一番分かっている。今の状態を維持しているのはIVHとプレドニンと毛布2枚と氷枕だからだ。
毎日何をしているかというと、なかなかに退屈している暇はない。そもそも「退屈」になりようがないわけで。やりたいことは山のようにある。読みたい本だけを追っていっても死んでも追いつかない。それなのに「退屈」するなんて不可能な話なのだ。
閑話休題。
今回はプレステ2に加え、ビデオまでも持ち込んだから、とにかくそれだけでも大忙し。本も読みたいし、今日の料理は欠かさず見たいし、考えごともないわけではない。
今日はプラモデルをもらった。さすがに病院では作れないが、退院したらまた始めてみるのもいいのかもしれない。
・・・ほら、またやりたいことが増えた。


2002年10月29日(火)

眼圧測定の結果は異常なし。現時点では一安心だが、プレドニン増量して間もないだけにもう少し様子を見てみないと何とも言えない。
退院したら真面目に眼科にも通おう。
CRPの下降と症状の安定化を受けてしばらくのスケジュールが決まった。
抗生物質の点滴は木曜まで。金曜からはプレドニンも50mgになる。
来週には胃と大腸の内視鏡検査。
経過を見てIVHを抜き、エレンタールに移行しプレドニンも経口となる。
そこからプレドニンを徐々に減量し、20mgの時点で退院。
つまり、いつものコースに戻るわけだ。
今回は始まりこそ波乱の幕明けだったが、気付いてみると元のコースに軌道修正というわけだ。
そのこと自体は医学的には安心なのだが、結局はなにやかやと無理がたたってしまったというだけの話でもあり、そこんとこ目も当てられない永劫回帰の世界。
ただひたすらに今後の生活の在り方を考えなくちゃいけないあたりも今まで通りで、何も変わらない自分が情けない。
珍しく熱の出ない日。
点滴ステロイドが効いているのか?


2002年10月28日(月)

これが2週間は続くことになる。

さて、あまり入院経過ばかり書いていても追いつかないので、今日からはその日のことなどを書こう。
今は午前中が鬼門。昨日までは必ずといっていいほど一度は熱がポンと上がって、ボルタレン座薬のお世話になっていたが、今日のところは落ち着いているようだ。だが、体はだるく、なかなかベッドから起き上がれない。午前中は氷枕と毛布増量と。
それでもIVHと抗生物質とプレドニン60mgの成果は出てきていて、炎症反応CRPは入院当初の13以上から2.6までに下がったのである。これが1.0を下回ってくれるとまずは安全圏に片足を踏み入れたことになる。が、これはまだまだ先の話。とはいえ、定石の投薬で結果が出たということは、ある程度今後の治療のメドにもなるのでひとまずは安心というところ。
きがかりはプレドニン増量に伴う眼圧の上昇からくる緑内障の進行である。取りあえず明日、院内で眼圧の測定をして、その結果次第というところ。
今日は午後から来客の多い一日であった。こういう日があるとかえって誰も来ない日がやたら寂しい。


2003年10月27日(日)

自分の思うように話すのに普段の数倍の時間と労力を必要とするのだ。
加えて息が苦しいし、車の振動は厳しいし、身動きもままならない。もっとも、身動きなんかできるような状態ではなかったのだけど。
病院に着いてから気が付いたのだが、着ていた服は汗でびしょ濡れであった。相当な脱水症状だったのではないだろうか。
すぐさま、採血と点滴が行われた。
この時もまだ熱は40度を下回っていない。
少し落ち着いた時点でようやく意識を失っていた時の様子を聞くことができた。
目はすわっており、言っていることは意味不明、とにかくフラフラと部屋の中を歩き回っていたらしい。それで危険を感じて同居人が119したのだそうな。
無論、その間のことはまったく記憶にない。
ようやく38度台に「落ち着いた」ので、レントゲンと心電図をして、病棟に移動になったのである。
で点滴三昧で初日は終わり、完全絶食の日々が始まるのであった。
翌25日からはIVH生活の開始。
点滴は点滴なんだが、濃度のある輸液を長時間、腕に針を刺して点滴すると血管がもたないので、首の根元あたりにある血管にチューブを挿入して、そこから点滴をするのだ。
(つづく)


2003年10月26日(土)

もちろん、好きで入院するわけではない。が、ある程度の仕方のない部分と、日々の油断の蓄積がこのような結果となるのだ。とにかく今回の入院は前回にも増して数多くの皆様にご迷惑をかけた。この場を借りておわび申し上げたい。本当にすみませんでした。
今回の入院状況は過去最悪の高熱から始まった。入院そのものは24日。実はその前日にすでにDRからは入院勧告は出ていたのだけど、まさかこんな時期に別荘暮らしをするわけにもいかず1週間の執行猶予をもらっての帰宅だったのだ。この時の発熱、すでに39.6度。その夜、解熱剤を使用するも40度を超えることしばし。おそらくこの時点でかなり脱水症状が進んでいたと考えられる。
明けて24日。熱は下がらず、会社に欠勤の旨伝えて、薬を飲み・・・と、ここで意識が途切れている。次に微かに意識が戻った時、私は救急車の中にいた。朦朧とする意識の中、救急隊員の質問に答えようとするが、なかなか一度にきちんと答えられない。
(つづく)