L/W 雑記
2003年2月27日(木)
早ければ明日にでもウェブ版を再開する予定だがどうなることやら。
入院雑記第2シーズン最終回。
だからといってフィールドが変わるだけの話だから特別な感慨はない。
いいも悪いも病院生活は病院生活だし、娑婆は娑婆だ。
ウェブ版は携帯用サイトではないが、基本的にテキストオンリーなので比較的苦痛を感じずに読むこともできる。
親切設計なのではなくてデザインのセンスも技術もないだけ。
ナロウバンド対応とでも言おうか。
さて病状だが、データとしては上々の仕上がりでの退院となる。
CRPは陰性で安定、内視鏡もかなりきれいな状態、腹部の症状もなく、プレドニンは退院時の処方で7.5mgまで減量する。
今回のおまけである肝機能障害はほっとけばいい程度で、後は緑内障対策に眼圧のチェックをするくらいだ。
ま、29才でこれだけあれば十分だろう。
これに糖尿くらいなら引き受けてやってもいいくらいだ。
大は小を兼ねる。
とはいえ、あんまり一人で独占するのも悪いから、当座はこれくらいで勘弁してやろうと思うけど。
何はともあれ娑婆だ。
病状の面ではこれからの肉体的精神的維持が課題になる。
後の報告はウェブにて。
2003年2月26日(水)
夏休み終了前の子供のようである。
あれやこれやと入院中にやっておこうと思っていたことが終わらずたまっている。
まぁ、だいたいがくだらない用事で、「あのゲームをコンプリートしよう」とか「戯曲を書こう」とか「手元にある活字は読んでしまおう」とかそんなもんなんだが、どれ一つとっても達成されてない辺り、いつものことながら己の飽きっぽい性格を認識させられる。暇なら暇でやることなんてたくさんあるだろうに、暇ゆえにあらゆることが後回しにされてしまうのだ。
それでも基本的には暇で困ることはないのだから、よほど精神がぐぅたらにできているということなのだろう。
入院していてやる気満々なのもなかなかにストレスのたまることでもある。
あまりにボケ〜っとしているのも能がない。
この辺はバランスをとりながらというところだ。
このメール配信も明日でいったんは終了。
なるべく早くウェブ版の雑記を再開したい。
せっかくの500文字キッカリの制約ももっと早くに始めるべきだった。
ウェブに戻れば無限の文字数である。
今後は内容や形式にも工夫が必要だろう。
とはいえ、テキストオンリー主義は崩さないつもり。
2003年2月25日(火)
金曜日に退院することになった。
およそ2ケ月の別荘生活もこれで終了である。
入院生活も慣れたらそれが日常であるからあまり苦痛も感じなくなる。
消灯時間なんかはまさに慣れの問題。
これで毎日入れる温泉がついていれば文句はない。
一日のんべんだらりと暮らせる入院生活は、少しコツでなかなかに充実したものになるのだ。
そりゃ、この2年間の1/3を病院で過ごしていれば、そうなるか。
あとはPC環境くらいか。
新聞はゆっくり読めるし、睡眠だけはいくらでも貪れる。
あまりに緊張感がないから、かなり精神的にはゆるーくなってしまうから、創作には不向きではあるが。
ものは考えようというやつだ。
一見不利な状況も、考え方一つでチャンスになる。
そう考える方が何かと便利だし、健康的だ。
あんまり悟りきってしまうのもつまらないけれど、同じ時間を過ごすならば、多少脳天気な方が楽しいに決まっている。
やりたいことは相変わらずモヤモヤと湧いてはいる。
でもこんな状況でもやれることはあるし、それを追いかけていると時間なんか足りないくらいだ。
とはいえ、あまり病院にお世話になるわけにもいかないのだけれど。
2003年2月24日(月)
買ってしまった、「週刊スタートレック」。
今はほとんど観ていないにも関わらず、お金に余裕があったらまずDVDを集めてしまうだろうという程度には好きなのだ。
その罪滅ぼし(?)のつもりで、書店で悩むこと20分、購入決定。
僕のようにマニアになりきれないスタートレックファンて、一番中途半端なのかもしれない。
だいたい継続力に欠けているのだ。
何がなんでもという情熱もない。
いわんや、「みんなに共通の話題」でもない。
と、フト思う。
「共通の話題」ってあるのだろうか。
情報がここまで飽和してくると、バランスの取り方も難しい。
いっそのことある種の情報に秀でている方が、迷いがなくバランスが保ちやすいのかもしれない。
特に何をやっても上昇気流ではない現況にあっては、最低限の常識とオタク的知識のある人材が必要とされているのではないだろうか。
もはや「博識」は死語である。
必要な情報は携帯端末でも検索できる。
広く浅い知識よりは、高度な検索の能力か、検索困難な高度な知識を所有しているかが問われているのだ。
絶対的相対主義と相対的絶対主義。
これが現代的な知識の在り方なのかもしれない。
2003年2月22日(土)
言葉に対しては絶望もしているし、希望も持っている。
言葉で気持ちが伝わるものならば、我々を取り巻く様々な問題はとっくに解決されているはずだ。
その言葉の在り方がすべてを表現しえないから、多くの誤解や誤読が生まれるし、逆にそれゆえにこそ、想像力の入り込む余地がある。
言葉がすべてを言い得るならば、小説や詩のような作品は生まれない。
言葉は諸刃の剣なのだ。
だから面倒臭くもあるわけで、自分も含めよくもまぁ皆さんメールのやり取りなんかするなぁと感心もするし呆れもする。
情報の伝達ツールとしての価値は分かる。
だが、コミュニケーションツールとしてはいかがなものか。
メールで分かり合っちゃうことには薄気味悪ささえ感じる。
「おいおい、ほんとにそれで分かり合っちゃっていいの?」とおせっかいの一つも焼きたくなるものなのだ。
メールは便利ではある。
便利だが、それ以上の価値はない。
何かの本か雑誌に、「メールをもらったらなるべく早く(一日中に)必ず返信しましょう。それが礼儀です」というようなことが書いてあった。
それってメールの利便性をないものにしていないか?
なんか違うよなぁ。
2003年2月21日(金)
大腸内視鏡検査は記録的な早さで終了。
職人技を堪能させてもらった上に、検査結果も上々で一安心。
早速白米(オニギリ)がスタートした。
これで一日の総摂取カロリーはエレンタール1800kcalにオニギリ480kcalで2280kcalとなる。
これだけ取ってりゃさすがにおなかがいっぱいになる。
とても入院患者の取る量とは思えない量になるのである。
1ケ月半固形物を入れていなかった影響もあるのかもしれない。
外に出たらこんなもんなのかもしれない。
が、今はおなかが満たされ過ぎている状態なのである。
ま、空腹感でキレそうになっているよりはましではあるが。
この病気になって以来、満腹感への恐怖と空腹感への不安が同居している。
だから、食べ過ぎるということはないが、常に食べていないと不安になる。
なんとも燃費の悪い話だ。
口が寂しいのだな。
だから一日自分を観察していると分かるけれど、食べてるか、お茶飲んでるか、タバコ吸っているかのどれかだ。
これで調子が良かったりすると酒も飲んだりするから、ますます口の休まる暇がない。
でも、意外とそういうもんなんじゃないだろうか、と不意に開き直ってみたりする。
2003年2月19日(水)
今日からプレドニンは12.5mg。
それなりに順調に退院へのカウントダウンをしているところだ。
明日の大腸の内視鏡はクライマックスで、この結果で退院のタイミングなどの話がようやく出るかどうかというところ。
自覚症状として何か悪い要素があるとは思えないが、こればかりはカメラを突っ込んでみないと何とも言えない。
内視鏡もこれまたテクニックの世界で、胃カメラなんかでも上手下手がすぐに分かってしまう。
それを考えると、あまり上手い先生ばかりにしてもらうのも考えもので、それに慣れてしまうとヘタクソに当たった時のショックは大きい。
若い先生は基本的に上手ではない。
有名な先生やなんちゃら教授なんてのも怪しい。
一番いいのは検査慣れした中堅どころの先生だが、これも当たりハズレがある。
こういう情報こそ患者の求めるものだけど、なかなか口コミでもフォローはしづらい。
結構こういう技術に関する隠れた名医なんていそうなもんだが、どう判断したら分からないというのが実際のところなのかもしれない。
内視鏡技能検定とかあればいいのだ。
胃カメラ5段とか。
分かりやすい情報開示が求められる時代なのだ。
<追記>
久し振りに500文字から飛び出してみた。
何か溢れ出る情熱につき動かされたわけではない。
むしろ、毎日の500文字という制限の中でさらなる技術の向上を求めてやまない次第。
って、だったらもっと読み返すなり、校正の一つでもするなりすべきなんだけど、そこは一発勝負に賭けたい気持ちもある。
500文字なんてただの携帯メールの字数制限なんだから無視すりゃいいのかも知れないが、それはそれで面白くない。
何かしらの制約あっての面白さもあるからだ。
というわけで、今日は500文字キッカリを目指してみた。
実に下らない、何の役にも立たない思い付きの上に、内容も特に目新しくもなければ、こいつは救いようがない。
200文字キッカリとか500文字キッカリというのは、それなりに練習を積めば割とあっさりできてしまう技術の一つだ。
ほとんど受験くらいにしか使い道がないというのが欠点である。
これでささやかなお小遣いをもらっていたこともあったけれど、時給に直したらかなり悲惨な計算結果になったので、いつの間にかやめてしまった。
新聞で短い本の紹介を書くというものだったが、似非読書家にはややしんどいバイトであった。
と、これで500文字。
2003年2月18日(火)
こうも頻繁に、しかも長期間入院していると、体力はもちろんだが集中力も衰えてくる。というより、緩んでくると言うべきか。
顕著なのは読書のスピードで、以前の半分とまではいかないまでも2/3にはなっている。
加えて飽きっぽいというかすぐ目移りする性格だから、読み掛けでもついつい別の本に手を出してしまう。
だからたいていは何冊か同時進行で読んでいる。
で、速度が落ちているからますます目移りする・・・悪循環この上ない。
それでも案外読んでいる途中は内容を覚えているようで、指輪物語なんかもう何ケ月も開いていないが、多分ページを開いたらそのまま読めるだろう(って、そんなもんか、たいてい)。
変な話、次の本を読みたいがゆえに今の本を読んでいるようなものである。
目の前に人参をちらつかせることで、それを読むエネルギーにしているというか。
ここ数日、読む欲が高まってきた。
去年は反則技的に(多分)200冊は読んだが、今年はややまっとうに200冊を目指そう。
つまり、グインサーガはマンが扱いということだ。
量より質でもあるんだけど。
2003年2月17日(月)
戦争には反対だ。
理由なんてはっきりしている。
自分がされて嫌なことは他人にもすべきではないからだ。
暴力が暴力を解決できるわけがない。
だったらとっくに世界は平和になっているはずだ。
憎しみは憎しみを生む。
どこかでこの連鎖を止めることがなければ、人類は何も変わらない。
ワリを食うのはいつも決まって弱者だ。
「テロとの戦い」って何だ?
テロの親玉に言われても説得力はない。
ファストフードの国はやはりキレやすいのかね。
だからといって、ことさらにスローフードを主張するのも恥ずかしいものがある。
否定はしない。
むしろ望ましい。
ただ、あえて主張しなければならないのが恥ずかしいのだ。
スローフード・スローライフという言葉にはどうも「あの頃は良かった」的匂いを感じてしまう。
要するに地に足のついた日常を送るということだけなのに、変な理屈はいらないんじゃないかということなのだ。
ま、言葉の問題と言ってしまえばそれまでの話。
怒っちゃいけません、怒っちゃ。
実践あるのみです。
理屈屋はどうも理論先行でいけませんや。
理屈も実践も。
このバランス感覚が必要です。
2003年2月16日(日)
日曜日の午後は魔の時間で、妙に落ち着かない。
何をするにも集中できないし、何をしたものだか戸惑ってばかりだ。
だから、この時間帯にお見舞いに来てもらえるのは非常に助かる。
このエアポケットの謎は簡単で、この10年近く、この時間帯が稽古に充てられていたからだ。
・・・あれ?
この話、前にも書いたかも知れない。
それとも別のものに書いた記憶と混同しているのか。
どうにも記憶が曖昧で困る。
メモを書いても、メモを書いたことすら忘れるのだから話にならない。
落書きノートには様々な事柄がおもちゃ箱をひっくり返したかのごとく書かれてあるのだが、肝心なことは書かれていない。
自分の書いたものの下らなさに呆れると同時に感心もしてしまう。
あまりの下らない饒舌に腹も立つがいとおしくも思う。
そして、このアンビバレンスが楽しかったりする。
そしてあらためて書くことが好きなのだと知る。
多分、聖書を書き写せと言われたら喜んで汚い字をノートに展開させたであろう。
書くことそのものが一種の快楽なのだ。
中毒なのだろう。
意味やテーマはない。
書くという行為そのものが突破口なのだ。
2003年2月15日(土)
入院生活は個室に入るならともかく(差額ベッドに入れるくらいの金持ちになりたいのが、ささやかな夢だ)、たいていは集団生活である。
しかも、何か能動的な目的があっての集団ではなく、病気の治療のためにやむを得ず入っているわけで、さぁ楽しく頑張りましょう、なんてことにはならない。
そういうまったりとした雰囲気を日々平穏にやり過ごすには、それなりのルールのようなものがある。
たいていが少し考えれば分かるようなことなのだが、時にそれが分からない人がいたりすると、病室の中はピリピリしてくる。
しつけができていないって、必ずしも若い人間だけに当てはまることではなくて、むしろいい年をして他人への配慮に欠く言動をするなんてのはザラだ。
今、若者は・・・なんて、相変わらずテレビで煽ってはいるが、そんな若者の環境を作り出したのは誰なんだということなのだ。
学校も、親も、地域も子供は放ったらかしで、何かあったら責任のなすりあい。
誰が悪いんじゃない。
全員が悪いのだ。
EQ教育なんて言葉があるけれど、何のことはない。
まっとうに子供に教育しましょうというだけの話だ。
2003年2月14日(金)
計画を立てるのは嫌いじゃないが、それを実行に移す段階になると計画に縛られてしまうようでおっくうになってしまう。
当たり前だ。
計画を立てるのはそれに従って行動するためのものなのだから。
だからといって行き当たりばったりは好きではない。
そこが悩みどころで、いったいどっちなんだという話で、結局は何らかの計画はあった方がいいのだけど、あくまでも下書きに済ませておきたいということなのだ。
到達地点は決まっている。
だが、その道程は自由でありたいのだ。
何者でもない自分ではなく、何者でもありえる自分を肯定したいのだ。
何者かであること、何者かであろうとすること、その欲望を否定するのではない。
ただ、それに拘泥することを唯々諾々と是とはしたくないのだ。
まぁ、いまだもって青二才でありたいなんてことなんだけれど。
例えば今日の一つの決意にしても、意志は強いが、こうじゃなきゃいけないという道があるわけではなくて、ゆるゆると無理せずに進めたいのだ。
それの再確認であり、決意宣言でもある。
2003年2月13日(木)
来週の木曜日にCF(大腸内視鏡)をすることになった。
それである程度の結果が出たら、ようやく次のスケジュールが決まることになる。
良ければ退院に向けてあと何週間となるし、何らかの出血なり潰瘍が認められたら入院期間が延期となる。
いずれにしても90日以上は滞在できないので、少なくともそれまでには退院できるのだけれど(連続91日以上から病院に保険点数が入らなくなるのだ)。
退院は来月頭くらいかなと踏んでいたが、若干延びる可能性も出てきたということだ。
外泊はまだだが、外出は多少できるから、まだましではある。
昨日、北24条周辺を歩いていて、町の光景が微妙にあちこち変化していて、やや浦島気分だった。
病院の時間と外の時間の違いを改めて感じたのであった。
昨年と今年、2年連続で冬をまともに過ごしていない。
今年も退院したらぼちぼち雪解けで春になるのだろう。
なんとなく一季節飛ばすと変な感じで、一年の流れをうまく認識できなくなる。
単にぼ〜っと過ごしているせいなのかもしれないけれど。
その前の年は地下生活者だったしなぁ。
日々暖かいのはいいのだけど、案外、吹雪とか好きなのだ。
2003年2月12日(水)
今日からプレドニンが15mgになった。
今後は段階的に12.5mg、10mgと減量の予定。
体調は変化なし。
体重の減少もない。
相変わらずエレンタールのみの毎日。
てなわけで気分転換に外出ついでに髪を切る。
まだ「歩き慣れていない」ので、膝やら太股が痛くなったりする。
運動不足ここに極まれり。
気分転換とはいいつつ、ほとんどリハビリで、極力歩くようにしている。
だから余計に疲れるのだけれど、運動しないと回復もしないから、ぼちぼちやりましょということになる。
まぁ、それくらい筋力やらスタミナが落ちているということだ。
気長に鍛え直すしかない。
そんなわけだから夜は眠い。
眠いので頭も回らない(言うまでもなく首はもともと回らない)。
500文字の雑記を書くのもヨタヨタしてる。
だったら、短く切り上げてとっとと眠ればいいのだけど、何となく気持ちが悪い。
習慣の恐ろしさか。
だったらPC版もコンスタントに更新なさいという話になり、それはそれで都合が悪い。
・・・なんてヨタ書いてたら規定の文字数に近付いてきた。
だいたい毎日、そんな風に書いております。
ふむ。
2003年2月11日(火)
今日はある占いではむちゃくちゃいい一日だったんだが、何が良かったんだか、いまいち実感がない。
「何も悪いことはなかったんだ。それだけでもいいじゃないか」とは正論だが、嬉しくも何ともない。
相対的な幸せも大事だが、せっかくなんだから絶対的な「いいこと」があってしかるべきだ。
というわけで、今日の残りの時間、消灯後のベッドで占いが証明されることを祈ることにする。
この手の暗示的なものはうまく利用するに越したことはなくて、あんまり良すぎてもうさん臭いし、悪けりゃ恨まれる。
故に表現が玉虫色になる。
だからそれを受け取る側も、その辺を考慮に入れて付き合えばいい。
そういう意味では、ちょっと悪いくらいがいい按配で、なんか失態をやらかしても、イイワケが立つ。
運勢のせいにしちまえというわけだ。
だいたい運勢がいいのに、何もそれを実感できないなんて、まるで自分はその程度の運勢なんだと思い知らされるみたいで可哀想じゃないか。
ま、何もしないでいいことがあるなんてのも都合のいい話。
だったら苦労はしない。
どうしたら楽してオイシイ思いができるかなんて考えるけど、これは運まかせだ。
2003年2月10日(月)
着々なのか、遅々なのか。
水曜日からプレドニンが15mgになる。
小さいオレンジの錠剤が3錠。
たかがこれだけのために入院している。
しかもこの量は外来でも処方可能な量なのだ。
しかし、今回は覚悟の上だし、入院生活も慣れてしまえば一つのライフスタイルだ。
3食ベッド付きで、あとはゴロゴロしてりゃいいんだから、何とも呑気なもんだ。
これで病院内でアルバイトでもさせてくれるなら、いい暇潰しにもなるし、金にもなるというもんなんだが、忙しくて手が足りなーい、なんて言っておきながら誰も雇ってくれない(そりゃそうだ)。
患者にも昇進試験制度を導入して、積極的に暇な患者に労働させるべきだ。
患者にとっては有意義な時間を過ごせるわけだし、病院側も安い労働力を確保できる。
特級患者になると医師の資格も持てるのだ。
ノンキャリア医師の誕生である。
患者の気持ちが手に取るように分かるのだ。
この不景気だからこそ、患者を遊ばせておいてはいけないのである。
考え方の転換だな。
構造改革の前に精神改革が必要だ。
市場原理も導入しよう。
看護師指名制度だ。
目的は指名料の徴収にある。
2003年2月9日(日)
エルサレムは3つの兄弟宗教の共通の聖地だ。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
共に同じ神様を崇めている人間同士が、殺し合い、奪い合い、利用し合い、憎しみ合っている。
イスラエルとパレスチナの問題はあまりにも歴史の根が深すぎて、どちらが正しいなんて言えない。
憎しみと報復の歴史は、どちらかの完全勝利か、完全なる和睦以外には断ち切れないのではないか。
両者が完全に許し合うことなどありえない。
そりゃもっともなご意見なんだが、もしお互いがその歴史の根底から全てを水に流すことができたら・・・世界は、人類は、新しい歴史を手に入れるのみならず、新たな進化さえ遂げられるだろう。
夢物語だの、青二才だのと言うのは勝手。
だけど理想がなくちゃ、世の中ダメになっちまうじゃないの。
それに世の中仲良くなって宇宙開発してくれないと、エンタープライズはいつまでたってもできないじゃないか。
・・・なんて唐突にマニアな話。
でも地球連邦ができるには第三次世界対戦を経なければならないらしいから、それはそれで鬱だな。
真面目なのか不真面目なのかさっぱり分からない。
そんなもんだ。
2003年2月8日(土)
1万円が6600万円になった。
韓国のロトの当たりが70億円だそうな。
金の話。
アメリカがイラクに侵攻した場合、日本にも「貢献」が求められるだろう。
この金は無論税金なわけだが、莫大に費やされる金はどこに支払われているのかという話はほとんど表に出てこない。
莫大に金がかかるというのは、誰かが得をしているということでもある。
戦争とはいわば大きなビジネスチャンスでもあるわけだ。
人が人を殺すその不幸が、どこぞの企業にとっては飯の種になる。
一人の人間の生命は地球よりも重いのではなかったか。
改めて人の生命の尊さを考えてみる。
「私の生」は「私だけの生」ではない。
人は様々な人々との関わりの中で生きている。
様々な人々に支えられて生かされているのだ。
だから人は生きねばならない。
最期まで生きて生きて生き抜かなければならない。
生きる意味とは生きることそのもののうちにある。
これは権利であると同時に義務である。
誰も他人の生を奪うことは許されないのだ。
まして自分の生となればなおさらのことである。
2003年2月7日(金)
アメリカ帝国が「戦争じゃーい」と息巻く中、アメリカ帝国ニッポン州の片隅で、IVHが抜けて身軽になった男はつぶやく。
「刺身が食べたい」
エレンタールは1800kcalで、食べられる気配はない。
外出は来週くらいから可能にはなるだろう。
先は長い。
こちらも気を長く持たないと潰れるだけだ。
が、欲望というのはやっかいで、制限されればされるほど期待は膨らみ増大する。
うまく息抜きをしてやらないと、増大した欲望に押し潰されるか、欲望が暴走するかしてしまう。
我慢して我慢してキレて食べるときの自分はかなり哀れだ。
悲しくなってくる。
だから我慢はほどほどに自分を甘やかすことにしている。
欲望のままにというのも魅力的だが、さすがにそこまでの体力はないことは認識している。
欲望を理性でコントロールしようとした時、自分の欲望がどんな形のものなのかが分かる。
自分の欲望が理解できれば対処法も分かってくる。
自分を知っていれば、自分を甘やかすツボも分かるというものだ。
2003年2月6日(木)
点滴とは明日でおさらばとなった。
明日からは少しだけ自由の身だ。
ほんの一時期、夢日記をつけていたが、日がな書いている駄文のネタ補給のために今日見た夢を記してみた。
最近あまり夢を見ない(あるいは覚えていない)。
一つには眠剤で無理やり眠っているからということがある。
今一つにはあまり面白い夢を見ないせいもある。
面白い時はハリウッド映画並に突っ込みどころ満載のバカバカしいものなんだが、たいがいがつまらない。
しばらくマメに夢を覚えて書き付けていたのをやめたのは、そのせいだったと記憶している。
よく夢日記をつけると危ないなんて聞いていたけれど、あれって何故なんだっけ。
理由を聞いたことはあるけれど、説得力がないなぁという感想だけしか覚えていない。
ただ、書き始めると「あ、これは覚えておこう」なんて自覚的になってしまい、純粋に夢を見ている状態にならないことは事実だ。
夢が恣意的になるのだ。
それはそれでつまらない。
夢だけ外付けのハードディスクに自動で記録できるなんてことにならないかな。
中島らもが捕まった。
2003年2月5日(水)
エレンタールは1200kcal。
IVHは明日抜ける予定(主治医がうっかり忘れていなければ)。
来週には外出も可能になるだろう。
とはいえ、雪まつりの混雑に加え、インフルエンザが猛威を振るう街中に行くのは、ほとんど自殺行為に等しい。
プレドニンは免疫力を低下させるからだ(だから一度入院したら1〜2カ月はかかってしまうのだ)。
かなり鬱屈もしているが、こんな場面で自分の運を試す気にもならない。
少々本も仕入れたい。
事務処理もある。
外出はしたいが、ちょっと怖いというのが正直なところである。
プレドニンがもう一段階下がれば(20mg→17.5mg)、少しは安心するのだけど、20mgからが今回の勝負どころでもあり、ここら辺の判断が難しい。
これは金曜日の血液データ次第だろう。
肝臓の数値も気になるところ。
うーん。
どうせ肝機能に問題が起きるなら、もっと贅沢したかったなぁ・・・なんてーのは、それはそれでほっとこう。
2003年2月4日(火)
エレンタールは900kcalにて、順調。
木曜日にIVHを抜く。
鎖骨静脈とカテーテルの蜜月の終焉である。
慣れはあるが、テープ負けの痒さと挿入部のいずさは今回はそれほどなかった。
「いずい」って言葉は好きだな。
痛痒い?
なんじゃそりゃ、である。
「いずい」(いづい、か?)は肉体感覚に裏打ちされた素晴らしき方言である。
きっと初恋なんかは「いずい」んだよ、きっと。
あの人に会いたくて会いたくて胸が「いずい」。
是非、使っていただきたい。
「うるかす」なんてのも好きだ。
応用として、だらしない男を評価する際に「あのうるけた奴」なんて使ってみるのもいいだろう。
「こわい」なんか医療用語だもんな、ほとんど。
「なんか具合悪い」よりも「なんかこわいんだわ」の方がリアリティを持って会話ができる。
どこがどうなんだかわからないけどつらい時などはまさに「こわい」の使い時である。
とんでもなく動く芝居をした後の息もできない感覚、あれもまた「こわい」だ。
方言で戯曲を書くのは目新しくもないが、北海道弁をうまく使った戯曲はあるのかな?
この辺、勉強不足である。
2003年2月3日(月)
豆こそ食べなかったが夕方からエレンタールが出た。
今日からスタートで600kcal。
明日から300kcalずつ増えて、1800kcalで様子見。
これに伴い、点滴は明日から12時間の大きなもの一つとなる。
ささやかな変化だが、順調にいけば週末にはIVHが抜ける計算になる。
1カ月に及ぶ点滴生活からの脱出である。
肝機能障害に関しては随時採血の結果を見つつ静観というところ。
プレドニン使用による眼圧の上昇も気になるので、外出可能になったら眼科にかかる予定。
まぁなんとも侘しい20代最後の日々である。
今は復活の日まで力を蓄えるのみ。
・・・って、完全復活には数年はかかることになるのだけど。
とにかく「まずは」3年間、再入院がなければ期待は大きい。
3年をクリアしたら次は7年で、その頃には研究が進んで根治治療が可能になるか、僕の免疫機能が低下して炎症が起こりづらくなっているはずだ。
今のところクローン絡みで腸の手術はしていないから、まぁ、これくらいの「期待」は持てるのだ。
長いな、道程は。
2003年2月2日(日)
病状の話をしておこう。
相変わらずのIVH(中心静脈注射)で24時間点滴の絶食中。
プレドニン(副腎皮質ホルモン)は経口で20mg。
腹痛発熱はなし。
CRP(炎症反応)は陰性。
退屈と欲求不満。
・・・くらいならいつものこと。
時々面白い出来事も起こる。
今回は脂肪肝だということが判明した。
つまり、肝臓に栄養が行き過ぎているということを意味するのだ。
前回の血液データを見ても、確かに微妙な数値は出ていたけど、脂肪肝かよ、おいおい。ガチョウだって旨いもの食ってフォアグラ提供しているというのに、こちとら点滴だけで栄養過多かい。
まぁ、今週からエレンタールを開始して点滴を減らす予定だから、取りあえずは様子見というところ。
食事療法を真面目に守れば脂肪肝から先に進みようがないのも事実なので、また新しいネタがふえたわいという程度の感想なんだが、いい感じはない。
難しい病気にはオマケがつきものだから仕方がないと諦めるしかないけれど、いったいぜんたいこいつらに相当する幸福をもらわないと割に合いませんぜ神様なんて抗議の一つでもしたくなる。
まぁ、こいつをうまく利用しろということか?
2003年2月1日(土)
以前入院していた病院は同じ階に産婦人科があって、ホギャホギャ聞こえていたものだった。
同じ階で亡くなる人もいた。
生命の始まりと終わりが文字通り同居している何とも不思議な空間だったのだ。
病院にいると半ば当たり前のように人が亡くなる。
「また誰か亡くなったよ」なんて談話室で話している。
あぁそうなのだ、人は死ぬのだなと思う。
私は「今」生きていることが好きだ。
昨日までがどうだったか、明日からどうなるかは、つまるところ話のタネでしかない。
過去は変わらないし、未来は分からない(だからこそ人は過去にこだわり、未来に不安や希望を思うのだけど)。
ならば「今」をどう変えていくかだろう。
意思や理性の便利なところは、なにくれと理由をつけて「今」を変革する力があることだ。
入院を逆境と見るか、チャンスとするかは、物事をどう解釈し、何を意思するかの違いだけで中身なんて変わりっこない。
理性的論理的なんてつまらない言葉遊びみたいだが、バカとなんとかは使いようで、割と役だったりするもんなのだ。
理屈で現実を変えられるということ。
以上、論理的思考のススメでした。
2003年1月31日(金)
消灯時間は午後9時。
普段ならば稽古をしているか酒を飲んでいる時間だ。
入院して悩ましいのはこの時間制限で、なかなかこれに順応できるものではない。
それなりに元気な人ならば11時くらいまでテレビを見たりしている。
以前までは僕もそうだったのだが、今回は早く寝てしまうことにしている。
何も身動きがとれなくて、かつ眠れないのはつらいので睡眠導入剤をもらっているのだけど、雑記を書き終えたら飲むようにしている。
以前は薬を使うことへの抵抗も多少はあったが、今はあった方が楽だし、とっとと寝て、翌日身動きのできるうちにあれやこれややるのが正解だろうと思っている。
微妙なのだ。
12時くらいならばそのまま眠れる。
けれども、翌日の午前中は役に立たない。
活動時間は制限がある。
だとしたら、活動可能時間を最大限有効に活用する手段を講じるべきだ。
時間は在るものではなく、作るものだ。
漫然と時を過ごすほど虚しいものはない。
一生かかっても全ての本を読むことはできないが、休まずに追いかけることは可能なのだ。
バカをする時間も欲しいじゃないか。
くだらないことはもっと大事だ。
2003年1月30日(木)
入院中の木曜日午後9時といえば「どっちの料理ショー」である。
食べるということに無自覚だった頃にはまず見なかったであろうという種類の番組だ。
同様に国内グルメ旅ものだとか、人気ラーメン店ランキングだとか、料理番組だとか、ついつい見入ってしまう。
「きょうの料理」は愛読すらしている。
我ながら相当に「食」に執着している様が見て取れる。
これは「禁断の味」というやつで、駄目だからこそ余計に欲望がかき立てられるのだ。
だから、案外実現してしまうとあっさりしたもんで、しかもたいして量も食べられないから、半分くらいで満足したりする。
「一念発起して食欲を断ち、空腹はエレンタール飲みで補う」という自分内企画を考えてみたが、そのために費やされる理性のエネルギーに比して見返りがまるでないのが分かったので即刻中断。
あやうく仙人を目指すところであった。
とはいえ、コントロールはすべきで、仙人は目指さなくても、同様の努力だの我慢だのは必須なのだ。
我慢は美徳という文化的背景がこの国のクローン病医療にIVHとエレンタールを定着させたと確信している。
武士は食わねど高楊枝、なのだ。
2003年1月29日(水)
最近は一日中「書くということ」について考えたり、実際に書いたりしているのだが、今までと違い変な焦りや不安はない。
絶対的な自信があるというわけではない(妙にプライドが高いという自意識はあるけど)。
開き直りとも違う。
ただ、「あぁこれでいいのだ」という自分自身への安心感というか信頼感のようなものがようやく見えてきたのだ・・・と思う。
それなりの年齢になってきたということなのかも知れない。
だからこそ、今が突っ走り時なんだと、これは確信。
ただ今度の突っ走りの違うのは、何が突っ走ってるのか一見分からないところにある。
今一度の原点回帰とでもいうのだろうか、少なくとも年齢の1/2はモノを書くことにとらわれてきたのだから、ちょっと戻ってみようかと、そういうことでもある。
書いていることは実に実にたわいのない、まるで中身のない駄文や思い付きだ。
そこが始まりだったし、今もそこから始めるしか知らない。
・・・成長してないってことか?
2003年1月28日(火)
「逆境こそが最大のチャンスである」なんていうけど、みんながみんなプロジェクトXじゃないんだからなどと斜に構えているが(トここで「地上の星」)、案外そうなのかもなんて思ったものである。
例えば今の状況。
夜の時間制限はあるものの、それ以外の時間は全て自由に書くための時間であると考えていいのだ。
仕事やそれ以外の活動やら何やらに時間と体力を使うことなく、ひたすらにダラダラ書いていられる時間があるのだ。
今更気付いているあたりが志の低さを露呈していて情けない限りだが、少なくとも「書く」ということに関しては恵まれているのだから、これを活かさない手はないのだ。
だからといって欲をかいてもよろしくないわけで、つまりはとにかく書くべしの一言に集約される。
とにかくしばらく書き進まないと全体のストーリーや構成なんかが思い浮かばないので、今は何も考えず流れに任せて書いている。
一通り書かないと全体が考えられないというやり方は再考の余地ありまくりだが、どうにもその手間が好きなのだ。
2003年1月27日(月)
多少でもまとまったものを書こうとすると恨めしいのが消灯時間。
どうしても時間切れ終了となってしまう。
しかし、まぁ、デタラメ書いているうちはまだいいとしよう。
むしろこの中途半端に振り上げた拳ならぬ、微妙なやる気の方が問題だ。
下手にテンションが上がると今の状況がいたたまれなくなってきて、そのことへの不満で前に進めなくなる。
情熱は必要だが、冷静さも大切だ。
情熱を全面に押し出すことだけが、情熱ではない。
時に勇気ある撤退、戦略的敗退もしなければならない。
負け犬の遠吠えと違うのは自らの戦力を知っているか否かだ。
自己分析と状況判断から今を見極め、次を狙う。情熱だけでは戦えない。
スキルも忍耐も、時にはいい加減さや甘えすら必要だし、それが武器になるのだ。
まぁ、もっとも、その正体が眠れる獅子なのか、日向ぼっこの子猫なのかは別の話。
それでも子猫は子猫なりに世界と渡り合えるし、どちらも等しく貴いものなのである。
2003年1月26日(日)
久し振りに起床時間(午前6時)に目覚めて活動したせいか、妙に肉体的に疲れている。別に特別なことをしているわけではない。ただいつもよりも長く起きているというだけなのだ。
夜はひたすらに眠れないから、雑記を書いて薬を飲んでしまうのが基本。
薬を飲まないと眠れないというわけではないが、飲んだほうが楽だというだけの話。
根性や努力ではリラックスはできないのだ。
疲れてパタンが一番分かりやすい入眠パターンで愛用していたが、これは体がもたないから駄目で、酒も同様の上に金がかかる。
もっとも、常に眠れないわけではなくて、入院時にはひどいが平常はそれでも眠れている(今や何が平常か分からない方が問題だ)。
だいたい眠れないときはいろいろ考えてしまうのが悪循環を招くのであって、そんな時は「今起きてる余裕があるなら昼間働けよ」とツッコミの一つでも入れたくなる。
まぁこの辺も自己コントロールってやつで、「寝るか」なんて何も考えないで布団にもぐったら朝なんてこともあるんだから、実際眠れないのかどうかは怪しいもんだ。
2003年1月25日(土)
ランナーズハイというのがあるけれど、ライターズハイもきっとあって、極限まで書くと「あはははははは」と気持ち良くなるに決まっているなんて妄想してみる。
それに挑戦するでもないが、今日は久し振りに一日中ノートに向かい通しであった。
といってモノになるような書きものをしていたわけではなく、つれづれなるままによしなきごとを・・・というやつで、まるで中身はない。
ほとんど自己分析用の資料のようなものである。
我ながら一日中ノートに向かっていてよく飽きないなと感心したが、これは中毒みたいなもんだなと、最終的には妙に納得してみたり、何事も体力だなんて意味不明なイイワケしたり、なんだか一人上手な一日であった。
分かりやすく表現するなら朝から晩まで日記を書いている状態、それが今日の私だ。
何か書けないもんかなぁとレポート用紙も用意してもらっているが、こちらは手付かずで寂しい限り。
この辺のバランスが良ければ多少は救いがあるのになぁ、なんてぼやいてみる。
2003年1月22日(水)
今日からプレドニンが30mgになった。
とりあえず1週間、これで様子を見る。
とにかく今回の入院は20mg以降の減量とその後の状態の安定化が課題だから、今はまだ序盤戦で、IVHが抜け、エレンタールが始まってからが本番ということになる。
データと経験則からいって、退院後全ての栄養をエレンタールで賄うならば、そうそう悪くはならないのは理解している。
理屈では理解しているし、ほぼ実践していた時期もある。
これはしかしそれなりの精神力が必要で、なおかつ安全弁も必要である。
でもまぁそれでやってる人もいるんだからできるでしょ、なんてーのは確かにお説ごもっとも、んなこたぁ分かっとるわい、代わりにやってくれるんかい、と言いたくもなる。
ある程度はやれる自信はあるが、何事にも許容範囲というものがあって、それを振り切ってまで努力をするのは、かえって危険なのだ。
逃げるわけにもいかないから、付き合うしかないのだけれど、無視の一つでもしてやりたくなるのだ。
2003年1月21日(火)
何だかんだと再入院から2週間。
発熱腹痛はなく、風邪も治まり、CRPも陰性で、とりわけて検査もない、とくれば後はいかにして起きている時間を使うかというのが大問題である。
要するに暇でどうしようもないのだが、一方で暇潰しの手段がないわけではないのだ。
しかし、暇なんて強制されるもんじゃなくて、ぽかりとヤコブの梯子のごとくに訪れるからこそありがたいのであって、とにかく暇なんてのは精神衛生上はなはだよろしくないことこの上ない。
気力の問題もあって、やはり24時間点滴と飴ガムでは憂鬱にもなってくるもんだ。
なかなかプロフェッショナルな患者にはなりきれないなぁと反省してみたりもする。
いや、まぁ、やはり重大事は食事で、これさえ何とかなれば状況が変わるのは目に見えている。
そして、まさにそれが大問題なのだ。
これだけ抑圧されたら、そりゃ誰でも反動で食いたくなるわいなんて改めて実感している次第。
理性と本能の葛藤とでもすれば多少は見栄えがするか?
2003年1月20日(月)
何かを書くのに、一人にならないと書けないというタイプではない。
別に誰がいても構わないのだが、ただこちらに意識を向けないでいてくれればよいのだ。人はいてほしい、でも構わないでほしい、必要なときは絶妙なタイミングで構ってほしい、そんなわがままを妄想したりする。
かえって一人で閉じこもるのはよくない。
そういう時期もないわけではないが、集中しなければならない状況に追い込まれているようで、それが逆効果になる。
さて、病室で何か作品めいたものを書くことは可能かという問題。
書いてしまえば可能だし、実際可能だったのだが、勝手が違うというか、どうも必要以上に気が散ってしまう。
まぁ個室だったり差額ベッドだったりすれば事情は違うのだろうが、それは将来の楽しみにとっておくとして、何よりニコチンとカフェインが自由にならないというのが大きいようだ。
あとは周り中が暇を持て余していて、何か変わったことがないか目を光らせたりしているのもナニなのである。
とか書きつつ微妙に書きモードなのには理由がある。
一つには今、小説を読んでいること、もう一つには何となく今自分がしようとしていることに確信が持てたことだ。
何で刺激を受けるかというところの話なのだが、私の場合、直接的に書くという行為に結び付くのは小説を読んでいるときだ。
一時期文体模写的に書いたりもしたが、そこまでの影響力によるのではなく、読むと同時に書きたくなるのだ。
内容はこの場合あまり問題ではない。
つまり、サッカー好きが試合を観てて自分もしたくなる心境に近いのかもしれない。
アイディアや企画性では、むしろ映画である。
こちらは演出的刺激とでもいうべきか。
で芝居なんだが、これは愛憎入り交じってしまい、あまり役には立たないことが多い。
まぁ、そんなわけでまるで形にならない言葉を書き連ねている今日この頃。
やってることは16年間あまり変わっていない気がする。
やはり言葉も作品という形で成仏させにゃあいかんのだ。
クリスチャンだけど。
2003年1月19日(日)
小説なぞを読んでいると「なぜにこの人達はこんなにも饒舌なんだろう」と思うことがある。
まぁ次から次へと文字を書き連ねるもんだと呆れてしまうのだ。
ところが、これが素人の浅はかさで、「なんだ、こんなんだったら自分でも書けるわい」なんて思ってみても、それを職業的に行うには、相当の知識と技術が必要となる。
無論「受ける」作品となるには、同時代的なセンスも要求される。
モノ書きとはモノを書いてこそモノ書きであるのは当たり前にして、それに金銭を結び付けなくてはただの趣味の人になってしまう。
ところで、「趣味、読書」とは、年間に何冊くらいを基準にしたらいいのだろうか。
あるいは「映画観賞」は?
趣味がスノボーとかダイビングだとかスポーツならなんとなく納得できるが、文化系の趣味はどことなく基盤が曖昧だ。
といいつつ、趣味欄には「読書」なんて書いてしまうんだけど、実際に読書を趣味に感じているかどうかははなはだ怪しいもんだ。
2003年1月18日(土)
前回入院時にやたらゲームをしていたせいか、今回はそれほどでもない。
少なくとも起きたら電源を入れ、消灯までコントローラーを握っているという状態ではない。
まぁもっともこれは意欲の問題で、全体的にテンションが低く、何事にも集中できないということなのかもしれない。
マンガやら本やらは割とそれでも読んでいる。
それでも一時期の坂口安吾全集読破やグインサーガ読破の勢いはない。
ダザイはいつも挫折しているが、次こそはと狙ってはいる。
そのためには家にある本を引っ張りだし、足りないものは揃えて、ドンと目の前に積んでから始めたいものだ。
やりがいでいえばローダンシリーズだろうか。
あれを全巻持っているという人に会ったことはないが、いるはずなんだ。
あとはエルキュール・ポアロものの読破。
こいつは金がなくて本を売ってた頃に御飯になってしまったのであった。
ふむ。
そうか、今は案外「読みたい」時期らしい。
読書スピードの低下は、集中力の欠如だ。
これはプレドニンのせいにしておこう。
2003年1月17日(金)
クローンの方は順調に経過。
CRPも陰性になり、後は時間が過ぎるのを待つばかりである。
むしろ悩ましいのは風邪で、鼻水は出るし、頭も何となく重い。
何もかもがすっきりしないうちに一日が終わろうとしている。
まぁ、マンガや本を読んだり、ゲームしたり、TV観てる間に一日が終わるなんて、ある意味では贅沢極まりないのだが、「それくらいしかない」という限られた選択肢の中の出来事だからどこか気が晴れないのだ。
これもしゃーない話で、入院患者で毎日充実して楽しい、なんて人が何人いるというのか。
いや、そうでもないかもしれない。
僕の場合、これに3度の食事が付けばかなり満足してしまいそうだし。
しかし、まさにそれが問題なんだけど。
そこにたどり着くとやはり気が滅入る。
食べる、寝る、セックスする、という動物的原点があってこその文化文明なのだ。
飯食わずして何ができる、米食わずして何ができる。
まさに修行な毎日なのだ。
2003年1月16日(木)
風邪症状薬抑えられている。
ただ、くしゃみが少々。
なんとも落ち着かない。
クローンの調子が悪くて発熱したり、アレルギーでくしゃみしたりはあるが、考えてみりゃ風邪は久し振りなのだ。
子供の頃、高校生くらいまではよく風邪をひいていたが、こちらで暮らすようになってからは風邪をひかなくなった。
浪人の1年間はまだ風邪ひきを引きずっていたが、大学入学以降は風邪に関しては健康だったと言える。
一人暮らしの微妙な緊張感もあるのかもしれない。
看病とは「病ヲ看ル」と書く。
身近な病人に対して何かをしてあげたいという気持ちは理解できるが、実際には「看ル」ことくらいしかできないということなのかもしれない。
しかし、ただそばにいるということだけでも、患者の助けになるものなのだ。
身体的な治療も大切だが、精神的な癒しも忘れてはいかんのだ。
そういう場面での精神科医や臨床心理士の役割は大きいのだけど、なかなかそこまで手を回せないのがこのクニの現状のようだ。
2003年1月15日(水)
エピソード2をようやく観た。
中だるみの2年生であった。
話の先が分かっているお客さんに納得のいく作品を提供するのは難しい。
時代劇の難しさにも似ているのかもしれない。
しかし、そう、チャンバラはやはり摺り足で腰を落とし、型と型がぶつかり、つばぜりあい・・・ていうのが好きだなぁ。
結局、こうしてインプット生活をしているわけだが、そのくせコソコソと書いていたりもする。
だが、こちらはどうもよろしくない。
筆が乗らないとか以前に、ノートに向かうと空腹感が急激に意識せられて書くという作業そのものに集中できないのだ。
やはりある程度は環境というやつが大切で、煙草は吸いたいし、コーヒーもあって欲しい、独り言も言いたい、音楽は重要だ・・・なんて考えていると、「おいおい、そんなたいそうなもの書いてんのか?」と自分ツッコミしたくもなる。
書けるのだ、実際は、多分。
ただタイムリミットが厳しい。
少なくとも、夜書きたいから書くとはいかないのだ。
2003年1月14日(火)
昨日からの咳は継続中。
つらいほどではないが邪魔くさい。
イソジンでうがいをする。
主治医と今後の方針を話し合う。
今はプレドニンが効いているので、敢えて新薬に手を出さずに正攻法で様子を見ることにした。
とはいえ一昨年、昨年、今年と入院が続く上、高熱も出していることから、今回はかなり慎重な展開になる予定。
毎度毎度のことだけど、マイナスからの出発というわけだ。
ゼロに戻すにはやたら時間がかかるくせに、悪くなるのには時間がかからないのも相変わらず。
いろいろな人達に支えられているのも理解しているが、要するに問題は、「いかにして返していくのか」だ。
「何をか成さん」というやつだ。
焦ったところで何もないのだけど、ただねぇ、あまりにも単調な毎日というのも考えものだ。
必要なのはアウトプットでもなく、インプットでもなく、「変化」だ。
この無気力をどーにかせにゃならん。
2003年1月13日(月)
年末年始から何となく見返していたERを見終えた。
妹がバック・トゥ・ザ・フューチャーとスターウォーズのDVDを持ってきたから、明日からはしばらく。
今日は読書も少々。
本を読むほどの集中力がないせいか、そのまま昼寝など。
午前中から咳が少し。
念のためにマスクをする。
今の時点で何らかのウィルスをいただくのはよろしくない。
とはいえ、病院内はある種の閉鎖空間だから、風邪なんかは流行りやすいのだ。
この時期は病院こそ危険なのである。
隣が酸素を使っているため、夜になっても水槽のポンプのような音がする。
これが意外と落ち着く。
夜の病院は嫌いじゃない。
ただ、あまりにも何もできないだけだ。
まぁ半分くらい「自分ち」的感覚があるからかもしれない、悲しいことに。
年末に稽古用にと思い注文したシューズを受け取った。
卓球用のシューズなのだが、軽いし馴染みがあるので好きなのだ。
即戦力ではなくなったのは残念ではあるけれど。
2003年1月12日(日)
腹痛・発熱ともに落ち着くと、後は退屈が待っている。
エレンタールを飲むという「作業」があるならともかく、ただ点滴をしているだけの状態では薬を飲むタイミングすら忘れてしまいかねない。
まぁ実際はいくらでもやることはあるから、退屈している暇なんてなくて、相変わらず時間と持続的な集中力が欲しいところ。
つまり、忙しいだとか暇だとかは気持ちの問題で、少なくともそれを口実にはできないのだ。
時間があるならインプットの作業をすればよろしい。
やること(と自分が勝手に思い込んでること)に追い立てられて、身動きできなくなるのもバカバカしい。
大切なのはいかに己がリラックスした状態で、その時々のベストをたたけるかだ。
その結果が「今」の自分なら、そこからがスタートなのだ。
可能性とはそこからしか生まれない。
あとはそれをきちんと楽しめるかどうかだ。
その意味では捨てる勇気も必要だ。
1つのコトバの裏には、書かれなかった100のコトバがある。
想像力とは後者を指すのである。
2003年1月11日(土)
相変わらずイライラしてしまうのは仕方がない。
プレドニンの量も多いし、IVHでエレンタールも口にできないし、理由をあげたらキリがない。
イギリスのある病院ではクローン病の栄養指導を精神科医が行っているそうだ。
精神科医はともかく、とにかく黙ってうんうんと話を聞く人間は必要だ。
例えばその代償が「書く」という行為だったりもする。
たかだか「食べる」ために何故これだけの犠牲を要求されるのか、いまだに理解に苦しむのだが、実際に調子が悪くなったら食べるどころではないのだから、あきらめが肝心という話になる。
因みに向かいのベッドも同病者。
各々孤独に闘っているわけだ。
馬鹿みたいな話で、つまりは一日中食い物のことを考えて終えるなんてこともザラにある。
だからといって誰にもどうすることができない。
去年同様、再入院はかなりこたえているようだ。
こりゃ人並以上に何か楽しい人生イベントがなきゃウソだろってことになる。
2003年1月10日(金)
昨日から今日にかけて病室の出入りが激しい。
今は6人部屋に5人。
入院時には2人であった。
プレドニンを使っているせいもあり、また精神的にも低調なこともありなかなか寝付けない。
昨日からハルシオンを処方してもらっている。
薬自体を敬遠する人がいたり、睡眠導入剤などに対する誤解などもあるが、要するに使い方の問題で、むしろ消灯後の病棟で眠れないことの方が重大なのだ。
慣れればそれなりに心安らぐ時間といえなくもないのだが、余計なこともたくさん頭に浮かぶ。
けれども「今」は身動きがとれない。
それが余計にしんどい。
だったらとっとと寝た方がマシというものだ。
発熱はおさまり、腹痛は小康状態。
CRPも2.0台まで下がった。
プレドニンの効果だろう。
今回は当面は早めにプレドニン減量をはかる。
明日には50mg、その4日後には40mg、1週間様子を見てさらに減量の予定だ。
新薬のレミケードは今回使わないかもしれないが、せっかくだから積極的治療を試みるのもありかと思っている。
もっとも実際のリスクとの兼ね合いなんだけど。
2003年1月8日(水)
昨日、10年ぶりくらいに身長を計ったら2cmほど伸びていた。
今更大きくなってもしゃあないのだが、まぁよしとしよう。
IVH開始。
プレドニン60mg点滴で、午前中39.6まであった熱も今のところはおさまっている。
横行結腸と回盲部に痛み。
とりあえず今日の処置で最短2週間コースはなくなった。
新薬のレミケードに関しては来週主治医と話す予定。
高校生物の復習でもしておくか。
薬の効く作用については確かそれくらいの知識で追いつくはずだ。
胃の薬が一つ減った。
プロマックは発症時から飲み続けた薬だ。
考えてみれば胃には病変はないわけだし、当然のことなんだが、なんとなく不安というか自信がない。
しばらくすればなれるだろう。
ということはザンタックもそのうちなくなるのか?
ま、薬は減らせるだけ減らした方がよい。
2003年1月7日(火)
突然の再開にはわけがある。
本日、入院。
通算何回目かなんて忘れた。
退院後もなかなか状態が安定しなかった。
薬も食事も比較的真面目に守っていたが、それでも悪化する時は悪化する。
情け容赦はない。
さすがに気分もドヨドヨしてくるし、嫌気も差してくる。
まぁ、とにかくしょげちゃってるのだ。
体調も悪い。腹痛と発熱のダブル他、ゲームをする元気もない(今のところは)。
病棟は年末年始でだいぶん入れ替わったようだ。
風邪はかなり流行っているようだ。
今回はレミケードを使うかもしれない。
日本では昨年に認可された新薬である。
気になって何度か情報を集めたことがあるが、副作用もなかなか豪華であったことを記憶している。
しかし、この1、2年で4回も入退院を繰り返しているのはよろしくないわけで、ここいらで多少なりとも打って出ることもえーんじゃないかと思うのだ。